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고서점

2010年2月23日、火曜日。家族で부산へ行った。行く前から、부산へ行ったら보수동の책방골목へ行き、고서점(古書店)を見ようと計画していた。

고서점_c0019613_14161587.jpg“고서점”だなんて、店名とは思えないほど平凡な名前だ。平凡なだけでなく、インターネットで“고서점”と入力してこの店を見つけようとは思わないだろう。けれども、グーグルではこの店が真っ先に出てくる(2010年2月25日現在)。しかも、その徹底的に平凡な名前が、かえって印象深い。

この店の存在は、去年『모든 책은 헌책이다』(최종규著、그물코、2004) で読んで知った。その後、今年に入ってインターネットで偶然この店から買い物をしている。

そのいきさつは、こうだ。ある日、『한글갈』をインターネットで検索していたら、고서점のサイトが出てきた。値段は70,000원と、他のサイトと比較して悪くない。ただ、どうしたわけか、写真が이희승の『벙어리 냉가슴』の表紙だった。それで電話をかけて、これは本当に『한글갈』ですかと尋ねると、そうですというので、その場で(2010年2月6日16時01分に)カード決済した。

品物は、3日後の2月9日に受け取った。本の状態は良好で、同じ年に同じ出版社から出た『우리말본』よりも良質の紙を使っている。そのとき購入したのは、次の本だ。

 『한글갈』(崔鉉培著、正音社、1946)

この本の購入を通じていい印象を持っていたので、부산へ行ったら、ぜひこの店に行きたいと思っていたのだった。

책방골목の入り口でタクシーを降りるとすぐに、次男は단골서점(051-256-1916)で메이플스토리という漫画本を見つけ、買ってと言った。見ると、ビニールのカバーが掛かっている。新品だ。定価は8,500원。しかし、主人のおばさんに、これくださいと言って差し出すと、6,500원ですという。ちょっと無愛想な主人だけれど、本は安い。それから妻と子どもは찜질방へ行き、私は고서점へ直行した。

고서점は入り口を入ってアーケードを抜け、それから右へ折れ曲がってすぐに、左側にある。アンティークな雰囲気の煉瓦造りの建物だ。建物の中には本がぎっしりと詰まっている。その中の、いちばん右の入り口のほうに、古書が集中しているのが見え、さらに、主人が机の前で作業しているのが見えた。

中を覗きこむと、主人が私に気づき、ご用ですかと尋ねた。30代ぐらいの若い男性だ。本を見に来たんですけど、と答えると、どんな本をお探しですかというので、主に韓国語学の本を探していますと答えた。そして、先日『한글갈』を購入した者ですと自己紹介した。すると主人は、表情が明るくなり、ああ、あのときのと言って喜んでくれた。

そして、韓国語学関係の本はこの棚に集まっていますというので、見ると、いちばん上には茶色い表紙の『우리말본』があった。それから主人は、김두봉の『깁더 조선말본』を私に見せた。サイズはB6版ぐらいで、厚さは約1センチ。真っ黒な表紙に金箔で書名が押してある。湿気を含んで傷んだ部分がある以外は、ほぼ完璧な保存状態だ。奥付の地名は「京城」とある。私は、『깁더 조선말본』は上海で刷ったものとばかり思っていたけれど、後には「京城」でも刷られたらしい。

そのときふと、現在博士課程に通っていて論文準備をしている日本人の知り合いのことを思い出し、電話をしてみた。もし持っていなかったら買って行ってあげようと思ったからだ(もちろん代金は立替だ)。そこで電話をして聞いてみると、持っているという。이극로の音声学書もあったので、聞いてみると、それも実物を持っているという。彼はけっこう蔵書家なのだった。

『깁더 조선말본』は以前、北朝鮮に渡った学者ということで、それを所持しているだけで危険視されていたそうだ。その後、そのような制約は解かれたけれど、それでも10年ぐらい前までは今より稀少で、80万ウォンぐらいで取引されていたという。それに比べたら、現在はかなり安くなっているとのことだった。

古本屋へ行くといつも尋ねる『통문관 책방비화』と『옛책 그 언저리에서』と『윤동주 자필 시고전집』を尋ねた。やはりなかったけれど、驚いたことは、『통문관 책방비화』はつい最近(엊그제)売れたとのことだった。それまでずっと、インターネットでも出していたという。くまなく探していたはずだったのに、気づかなかったというのは、何らかの検索上の盲点があったようだ。残念なことだ。

しかし、そういう分野に関心があるのならといって、모리스 쿠-랑(Maurice Courant)の『朝鮮文化史序説』を見せてくれた。“Bibliographie Coréenne”韓国書誌学を訳したものだ。この本は70年代にも翻訳されたそうだけれど、これが最初に訳されたものだという。序文を読んでみると、内容も面白そうだ。それで、買うことに決めた。今日買ったのは、次の2冊。

 『깁더 조선말본』(김두봉著、匯東書舘、1934。初版本。320,000원)
 『朝鮮文化史序説』(모리스・쿠-랑著/金壽卿訳、凡章閣、1946。初版本。70,000원)

ちなみに、『깁더 조선말본』が初版本というのは、匯東書舘で刷られた初版本ということで、もとは1922年に上海で刷られたものだ。韓国文法大系の解題には、こう書かれている。

版權에 1934(昭和 9)년 2월 京城, 匯東書舘 發行으로 되어 있는 책이 있으나, 머리말에 「말본」을 박은지 여듧 해만에야 이 책을 다시 박게 되었다 하고, 1923(大正 12)년 5월 權悳奎 「朝鮮語文經緯」 187-190 면에는 이 책이 인용되어 있다. 그러면, 이 版權은 뒤에 국내에서 만들어 붙인 것에 틀림 없으며, 위의 引用事實을 감안하여 1922년에 上海에서 발행했다는 견해가 옳다고 믿어진다.
主人が、もしよかったらといって、兪吉濬の『大韓文典』(同文舘、1909)の影印本をコピー・製本したものを下さった。これは、韓国文法大系に収録されているものをコピーしたもので、その解題も一緒にコピーされている。持っていなかったので、ありがたくいただいた。

『大韓文典』の奥付が「隆起3年」となっていたので、この年号を西暦で調べるために、自作の年号対照表を取り出した。そして主人に、こんなものを作ったんですと言って見せた。そして、檀期は本を調べるとき重要な年号なのに何度覚えても忘れてしまう、と言ったら、自分は檀期4282年が西暦1949年だということだけ覚えていると言った。語呂がいいので覚えやすいのだそうだ。なるほど、사이팔이(4282)というのは発音しやすい。そしてその年は、朝鮮戦争の始まった重要な年だ。私も、“サイパリ・サーグ”と覚えることにした。

書誌学と関連して、최종규氏の話になった。고서점の主人は彼と仲がよいらしく、この店で최종규氏の写真展示会も行ったことがあるそうだ。최종규氏は古本屋ブームの火付け役になっているということで、고서점の主人は彼にとても感謝していた。

それから、ネット古書店の話題に移った。年配の人たちがやっている古本屋の中には、インターネットの波に乗れずに淘汰されていく店も多いけれど、その一方で、ネット古書店の出現によって、かえってオフラインの古本屋が増え始めているのだという。

インターネットができない古本屋が淘汰されていくというのは、誰の説明を待つまでもなく、古本屋を巡っていると自然に分かってくるけれど、オンライン古書店がオフライン古書店を増やすというのは、意外な話だった。どういう仕組みでそうなるのだろうか。ネットでも売るけれど、その倉庫を売り場としても開放するということなのだろうか。いずれにしても、インターネット書店の発達が古本屋に肯定的な影響を与えているのは、歓迎すべきことだ。

私が古本屋に関心を持ち始めた経緯を話した。それから、ついに古本屋が夢にまで出てきたということを話した。その夢は、あまりにも高い値段を吹っかける古本屋に対して腹が立って抗議するというものだった。そして、そんな夢を見た原因は、古本サイトで失った漫画本を買い戻したとき、高かったのがわだかまりとして残っていたのではないか、という話をした。そのとき買ったのは、30,000원で買った『신인 婦夫』(김수정)と、20,000원で買った이현세の『공포의 외인구단』第10巻だ。

主人の話では、現在漫画はインターネットの古本屋が登場してからバブルになっているということだった。漫画本が1冊2万ウォンや3万ウォンもするのは、需要と供給の関係から見ると、ちょっと異常だという。だから、しばらくしたらまた値段が下がっていくのではないだろうかということだった。

実は、私は古本漫画の価格上昇について、実は少し肯定的に考えている。日本でもそうだけれど、韓国でも漫画本は冷遇されてきた。それで、どんなにすばらしい作品でも、子供が読むものだということで、親たちは気楽に漫画本を捨てていた。そのために、初めはたくさん出回っていた漫画本も、気が付いたときには僅少になってしまっている。自分の家の本棚にあるボロボロの漫画本が、たとえば100万ウォンだと知ったとしたら、子供がそれを手に取って読んでいたら、もっと丁寧に扱いなさい、と注意するようになるかもしれない。そうなれば、漫画本を粗末に扱う習慣が正されるかもしれない。そんな話をすると、主人もなるほどと言って笑った。

『신인 婦夫』は手に入れにくくなってしまったけれど、あの漫画は非常に文学的ですばらしい作品だというと、主人もそれを認めていた。そして、김수정の作品としては『일곱 개의 숟가락』という作品が最高だといった。それは、彼の作品の中で最高であるばかりか、韓国漫画の中で最高の作品だという。ところが残念なことに、現在は幻の本になってしまっているのだそうだ。

主人の父親が経営する東邦美術會館の2階にある書庫へ案内された。こういうことは、頼んでも実現することではないので、光栄なことだ。店を出るとき、外から양주동の『고가연구』が目に入った。『고가연구』に関心がおありですか、と聞かれたので、はいと答えた。

広い空間に、古書や骨董品が並んでいた。書庫にあった『現代韓國 國學文獻 資料展』(東邦美術會館、1995)というパンフレットを下さった。父が作ったものですという。

書庫を出てから、主人の父親と会って挨拶をした。そして、今しがたいただいたパンフレットにサインを求めると、快く応じてくださった。「東邦美術会舘 梁浩錫」と書いてあった。そのあと、自分は骨董品と古美術と、そして古書を扱ってきたが、もしきみが古書に関心があるのなら、それらを見る目が無ければならないといい、きみも今からでいいから、ちゃんと勉強しなさいと言われた。

それから梁浩錫翁は私の顔を見ると、君は体が弱いから運動をしなさいと言った。自分はもう70を越したが、大学教授の友人たちはみんな死んでしまった。そのわけは、自分は今でも1日10時間歩き続けることができるが、彼らは運動をしなかった。だから、きみも1日1時間でもいいから、毎日歩きなさい、ということだった。梁浩錫翁の生年をインターネットで調べると、1935年と出て来る。今年75歳だ。

そして、東邦美術會館で出した韓国語学関係の資料の目録や、美術品の写真集などを下さった。いただいたのは、次の4冊。

 『東邦美術會舘開舘紀年展』(東邦美術會舘、1980年5月)
 『東邦美術會舘開舘記念企劃展』(東邦美術会館、1980年6月)
 『東邦美術會舘開舘記念 韓国現代作家招待展』(東邦美術會舘、1980年8月)
 『韓國古美術展』(韓国古美術協會釜山支會、1991年11月)

かなり年代物の本なので、貴重なものではありませんかというと、たくさんあるからいいのだと言う。それでも、『韓國古美術展』をあげたことは息子に言わないでほしいと釘を刺された。この本は、パンフレットではなく本格的な図録で、磁器や書画、木器などの写真が収録されている。

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翌日(2010年2月24日)、また고서점を訪問した。妻と子供が映画を見ている間の古本屋めぐりだ。けれど、今回の부산旅行は、時間も少ないし、初めてでもあるので、보수동 책방골목の本屋をあれこれ巡るよりは、1ヵ所に集中した方がいいと思った。それで、他にも気になる本屋はあったけれど、深入りはせず、ただ探している本があるかどうかを聞くだけに済ませた。まず、近くのコンビニで買ったペットボトルのジュースを、手土産に持って行った。

私が行くと、昨日目に留まった양주동の『古歌研究』を見せてくれた。そして、この『古歌研究』には続編があるのを知ってますかと言った。いいえ、と答えると、『麗謠箋注』という本を出してきた。

『古歌研究』は、1954年版が40,000원で、1960年版が15,000원だという。見ると、1954年版は紙がだいぶ弱っていて、しかも上の方が裂けて一部失われているページがあった。一方、1960年版は、いい紙を用いていて、印刷状況も良好だった。それで、1960年版を買うことにした。

『麗謠箋注』は、1957年度版が20,000원で、1947年版が40,000원だという。1957年度版は紙の状態は良好だけれど、版型がだいぶ傷んでいて、文字が潰れているところもあった。一方、1947年版は、紙はだいぶ色あせているけれど、印刷状態は良好だ。そのうえ、背表紙の文字が堂々としていて気持ちいい。誰が書いたものか尋ねると、主人の父親、つまり양호석翁が書いたものだという。この背文字は、私が고서점を訪れた記念になると思い、こちらを買うことにした。

そのあと、『한글갈』の販売ページに間違って載っていた、이희승の『벙어리 냉가슴』も見せてもらった。이희승は、大変な古書収集家だったという。その人の随筆集なら、古書収集にまつわる逸話なども載っているかもしれないと思ったのだ。それと関連して、主人は『李熙昇隨筆集 소경의 잠꼬대』も見せてくれた。どちらも10,000원だというので、買うことにした。選んだのは以下の通り。

 『古歌研究』(梁柱東著、博文書舘、1960)
 『麗謠箋注』(梁柱東著、乙酉文化社、1947。初版本)
 『李熙昇隨筆集 벙어리 냉가슴』(李熙昇著、一潮閣、1956。1958年再版。奥付喪失)
 『李熙昇隨筆集 소경의 잠꼬대』(李熙昇著、一潮閣、1962。1974年3版)

『古歌研究』は、『국어국문학사전』によると、1942年に『朝鮮古歌研究』の名で出版されたそうだ。どこから出版されたのかは分からない。私が分かったのは、1954年版も博文書舘から出ているということまでだ。『麗謠箋注』は、インターネットの百科事典などを見ると、あるものは1946年と出ていて 、あるものは1941年と出ている 。しかし、1947年と記されたものが多く、『국어국문학사전』にも1947年と書かれているので、1947年が初版というのが正しいようだ。『벙어리 냉가슴』は、最後の数ページが失われていて、当然奥付も失われている。前書きを見ると、1958年に再版したもののようだけれど、これはいつ刷ったものなのか不明。『소경의 잠꼬대』は、版権情報がしっかりしている。

合計75,000원だったのだけれど、カード決済を済ませて本を梱包するとき、主人が手を滑らせ、本が床にドサドサと落ちてしまった。他の本は無事だったけれど、いちばん下にあった『벙어리 냉가슴』の後ろの数ページが取れてしまった。私は家に帰ってから修繕するので構わないと言ったけれど、主人は申し訳ないからこれは無料にするといって、1万ウォンを返してくれた。かえって申し訳なかった。しかし、私も仕事をするときに、고서점の主人のような態度を持てるようになりたいとも思った。

主人は古書の棚を整理していた。その棚に積んである本を手に取って見ながら、自分が古書を見る目がないことを、つくづく感じた。これは古い本だと思ったものが、日帝時代のものだという。まだ100年しかたっていない。

古書には偽物が時々あるという。特に洋綴じの本(양장본)はそうだという。詩集に多いらしい。それから、影印本も、古くなると本物のように見えてしまうことがあるという。ある人は、『少年』という雑誌を持っている、と고서점の主人に言ったそうだ。そうですか、それは300万ウォンぐらいしますよと答えた。その後、その人が雑誌を持ってきたのを見たら、なんとそれは、影印本だったそうだ。影印本もかなり古くなっていたために、本物のように見えるのだった。主人は本物を見たことがあるので、それが影印本だということがすぐに分かったという。気の毒なのは持ち主で、その落胆振りといったらなかったそうだ。古書を見る難しさをつくづく感じた。

写真の話をした。昨日、私が主人と話をしているときにも、ある大学生ぐらいの女性が、店の中に入って写真を撮り始めた。それで主人が、写真は許可を得てから撮ってくださいと言っていた。책방골목のサイトに、黙って写真を撮ることに対する不快感を表す書き込みがあるのを読んだ。それらを見ると、私が日本的な感覚の中からいまだに抜け出せていないのではないかという気がした。

私は、建物を外から撮るのは問題ないけれど、内部を撮るのはマナー違反だと考えている。もちろん、観光地でない普通の家屋や派出所などを撮ると、あらぬ疑いをかけられる恐れがあるので、避けているけれども、ビルでも看板でも、何でも撮る。記録が貴重だという点と、プライバシーを尊重しなければならないという点とのバランスを取って、そのように考えているわけだ。それに、ブログなどでその店を紹介するとき、内部の写真を載せるのでなく、外観を載せた方が、ずっと実用的だ。内部は行けば分かるけれど、外観はその店を探すときの目安になるからだ。

結局私は、店の外観を撮るのを嫌がる店主も理解しがたいし、店内の書架を、頼めば撮影させてくれるというのも、理解しがたいのだった。だから私は今までに、뿌리서점と신촌헌책방以外は、本棚の写真を撮ったことがない。

고서점は、特に語文関係の古書が多く、インターネット価格も妥当だ。チェックしておくべきネット古書店の一つだし、直接訪問すれば、さらに多くの本を見ることができる。11時ごろから店を開き、夜は20時30分から21時ごろ店を閉じるそうだ。

고서점の住所は、부산시 중구 보수동1가 119。電話番号は、051-253-7220。ウェブサイトは、www.oldbookshop.co.kr
# by ijustat | 2010-02-25 14:07 | Bookshops

뿌리서점4

またもや文字数が制限を超過してしまった。それで、3たび新しく記事を立てることになった。以前の書き込みは次の通り。

 뿌리서점 (2009年10月28日~2009年12月27日)
 뿌리서점2 (2009年12月30日~2010年1月31日)
 뿌리서점3 (2010年2月6日~2010年2月20日)

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2010年2月21日、日曜日。18時過ぎに뿌리서점に立ち寄った。そのときちょうど、중간상인(仲買人)が来ていて、뿌리서점の主人は店先で本の選別をしていた。ずいぶん慎重に、長い時間をかけて、本を選んでいた。オートバイで本を運んできた初老の중간상인は、その脇の腰掛に座っていた。選別が終わり、買う本を決めると、主人は23,000원を중간상인に渡した。その人は、受け取った5枚の紙幣をじっと見つめながら、ゆっくりと数えていた。

私も本を持ってきた。主に妻が処分した信仰書や聖書だ。これも主人はじっくりと選別し、中に混じっていたノートや私が持ってきた日本語学習書はダメだったけれど、信仰書と聖書はすべて買い取ってくれて、10,000원くれた。これは、중간상인が持ってきた本の半分にもならない量だったので、중간상인からも一般の客からも、同じ値段で本を買い取ることが分かった。

それから、本を見に売り場へ降りた。今日は何も買わないつもりだったのだけれど、日本の本が並んでいる棚で、『あなたの疑問は、みんなの疑問―コンプリ神父が答える』という本が目に留まった。何だろうと思ってみると、キリスト教の教理に関する問答集だった。なかなかよさそうな本だったので、手に取った。

そのあと、『イギリス・ジョーク集』という本があったので、手にとって読んでみた。

 一人のアイルランド人が天文台に雇われた。
 最初の夜勤のとき、学者が大きな望遠鏡をのぞいているところをわきでみていた。
 と、突然流れ星が落ちた。
 「うわあ、すごい」と、たまげたアイルランド人が叫んだ。「うまくあてましたね、先生」
表紙の見返りには、こんな言葉が書いてあった。

ユーモア――それは悲しみのカリカチュアである。
            ……ピエール・ダノニス<フランス>
いい言葉だ。それで、この本を買うことにした。今日買ったのは、次の2冊。

 『イギリス・ジョーク集』(船戸英夫訳編、実業之日本社、1974。1976年4版)
 『あなたの疑問は、みんなの疑問―コンプリ神父が答える』(ガエタノ・コンプリ著、ドン・ボスコ社、1990。1993年2版)

主人に値段を聞くと、最初4,000원と言い、それから3,000원にしてくれた。あとで本の下に書かれた値段を見たら、どちらも“30”と書かれている。これは、3,000원という意味だ。つまり、表示どおりに買うと6,000원になる本を、3,000원で売ってくれたというわけだ。

日本語能力試験の教材のヒントになるものはないかと思って、日本の雑誌を物色してみたけれど、雑誌ではなかなかヒントは得られないことが分かった。生活にかかわる雑学の本や、実務的な書類や案内書、街角での物売りの声などから、ヒントは得られるようだ。けれども、韓国には日本の街角がないので、それらの資料を得るのは難しいことになりそうだ。まあ、頑張ってみよう。

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2010年3月6日、土曜日。교보문고へ行った帰り道、뿌리서점に寄った。先日교보문고で買った『우리말 띄어쓰기 길잡이』(문태식編、도서출판 세진사、2003)を持って売り場まで降りて行き、主人に本を1冊持ってきましたと言うと、1冊なら買わなきゃ(한 권이면 사야죠)という。

私は古本屋に本を売るとき、なぜ手放すのかを説明する悪い癖があるけれど、ここでもその癖が出て、この本は物足りないと言った。すると主人は、どうして物足りないのかと聞いた。そこで、これは辞書として使うには用例が少なすぎて、知りたい分かち書きが載っていない。それで、もっと本格的なものがほしいと思っていたところへ、先日인천の배다리골목へ行ったとき、『띄어쓰기사전』という本格的な辞書を手に入れたので、この本はもう必要なくなったのだと答えた。主人は『우리말 띄어쓰기 길잡이』に2,000원を払った。

そのあと、부산の보수동 책방골목へ行った話と、인천の배다리골목へ行った話をした。そして、보수동 책방골목にある고서점という名の古本屋で김두봉の『깁더 조선말본』を320,000원で買った話をした。それを聞いて主人は、その本なら10年前に上海版を100,000원で売ったことがあると言った。2000年ごろのことですね、と私は確認した。なぜなら、고서점の主人から、今から10年ほど前は800,000원で取引されていたことを聞いているからだ。しかもそれは、京城版のことで、上海版だったらいくらになるのか見当もつかない。すると主人は、いや、80年代のことだと言った。だったら20年以上前のことですよと答えると、そうか?と訝った。80年代といえば、이희승の『국어대사전』(개정증보판、민중서림)が1988年の時点で75,000원だった。2010年現在、定価200,000원(ISBN-13: 978-8938701015)で売られている。上海版は、なかなか手に入らないと聞いている。それを80年代後半に100,000원で売ったというのは、当時の値段としても決して高かったとはいえない。

この日は何も買う予定がなかったのに、日本の本がある棚を見ていたら、辻人成の詩集があった。へえ、この人は詩も書いているのか、多彩だなあと思いながら手に取ってみると、なかなかいい。それで、つい買ってしまった。書名は以下の通り。値段は3,000원。

 『屋上で遊ぶ子供たち』(辻人成著、集英社、1992。1993年3版)

詩集のように売れない本は、たいていは初版で終わってしまうと思うのだけれど、この本は1992年10月10日に初版を刷ったのち、1993年1月25日の時点で第3版を刷っている。

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2010年3月19日、金曜日の深夜。妻と一緒に용산の이마트へ買い物に行った帰り、뿌리서점へ寄った。次男の小学校の先生が、子供に本を1週間1冊読ませなさいと言っていたそうだ。けれども、次男は本1冊を2~3時間で読んでしまう。1週間で1冊は、次男にとっては本を読めというより、本を読むなというのに近い。それに刺激されてか、数年に1冊本を読むかどうかという妻が、本を読みたいから뿌리서점へ行ってみようと言ったのだ。それは革命的なできごとだった。

店に入り、妻が日本の本を探している間、自分は長男の役に立ちそうな、簡便な英会話文例集を探そうと思い、外国語教材がある棚へ行った。すると、50代ぐらいの男が私に大きな声で「교수님(大学の先生)」と呼んだ。何だろうと思って相手を見ると、自分は日本語が読めるようになりたいのだという。そのわけは、日本の法律を読みたいからだという。

法律が専門なのですかと聞くと、自分は医者だったと答えた。しかし法律も大学でたしかに専攻したし、コンピュータサイエンスも必要だという。何だか要領を得ない話だ。

漢字が分かるなら、日本語を読めるようになるのは訳ないことですと答えた。そして、どうやったら最短距離で勉強できるかを説明した。けれども、それには返事もせずに、自分は莫大な金を奪われたのだけれど、韓国の法律は日本の法律を訳したもので、それは西洋の法律を訳したものだし、英語はギリシア語やラテン語から来ていて、特に法律はラテン語が多い。で、アメリカの法律家たちは、もとはといえば、アングロサクソンでイギリスの法律を基にしており、裁判ではその法律用語を自分たちに都合いいように解釈して、意味を逆さにしたりしてしまう。そんなことをずっと話し続ける。

何が言いたいのかさっぱり摑めないので、何で日本語が必要なんですか、と聞き直した。すると、だから韓国の法律は日本の法律を訳したものだし、その源流は西洋の法律なんだから、英語の法律は、アングロサクソンの文化から出たものであって、もとはギリシア語やラテン語から来たものであり、ギリシア語は今から3000年前にフェニキア文字からギリシア人が作った文字だ。自分は10年ほど前に30億ウォンにもなる金を奪われたのだけれど、これから本に書こうとも思っているのだけれど、アメリカ人の法律の起源はラテン語やギリシア語で、それが日本語に訳されたわけで、アメリカはアングロサクソンの法律であるから、その源流はギリシア・ローマに遡り、それを知っている彼らは法律用語を楯にとって意味を逆に解釈したりする。自分は確かに大学で法律も専攻したし、卒業証書も持っているけれど、英語はラテン語とギリシア語から作られたもので、だから英語の法律にはラテン語がたくさん使われていて、それは、私たちの法律用語とは大いに異なる。なぜなら、それは元はといえば、ラテン語で法律が書かれたためで……と、そんな風に、話は巨大な渦を巻いて混乱している。

私が何をしにこの棚の前に来たのか、この人は一向に察する気配がない。私が目の前の棚にある本を取ったり入れたりしていても、まったく意に介さない。日本ではKYなんて単語が数年前から大手を振っているらしいけれど、この人は、空気が読めないというのを通り越して、まわりの空気を吹き飛ばし、自分の幻想の中へ相手かまわず呑み込んでいく。

妻が来て、早く行こうと言ったのを機に、それでは失礼いたしますと言って、その場を離れた。

妻は、ドストエフスキーの『罪と罰』が読みたいと言った。初めからそんな重い本を読もうとするのは良くないよと言うと、あれは彼が獄中でキリストを受け入れた証なんだよという。幸か不幸か、뿌리서점には、『罪と罰』の日本語版はなかった。まずは本棚にある中から面白そうなものを探すべきだと思うのだけれど、妻はそういう無計画な本探しを潔しとしないらしい。結局1冊も買わずに店を出た。

妻と一緒に売り場から階段を上がると、外に主人がいた。私の顔を見ると、今も古本屋めぐりをやってますかと聞く。ええ、1週間に1軒ぐらい、行っていますと答えると、そうですかと、にこやかに微笑んだ。寒さの緩んだ風が、頬をうっすらと冷やしながら、夜の裏通りを静かに流れている。

主人は昔の話を始めた。

1980年代ごろ、동부이촌동に중앙대학교 국문과の教授がいた。その教授はたくさんの人から本を寄贈されるために、家が本で溢れてしまい、ついに奥さんが癇癪を起こして、通りかかった파지상(屑屋)に本をただで売り払ったという。その파지상はリヤカー1台にどっさり本をもらって、自分もいい本をたくさん手に入れたそうだ。教授の奥さんは、뿌리서점にもどっさり本を運んできて、お金も取らずに帰って行った。主人はその教授の家にも行ったことがあるらしく、ベランダまでも本でいっぱいだったと言った。それも、良書でいっぱいだったのだそうだ。おかげでずいぶん儲けさせてもらいました、と顔をほころばせながら話していた。私は、本に対する理解のない奥さんを持ったことは、その教授にとって災難だったに違いないと思った。

寄贈された本でいっぱいといえば、詩人の김남조の家もそうだったという。숙명여자대학교の教授をしていたけれど、家は반포동にあって、そこも寄贈された本であふれかえっていたそうだ。뿌리서점の主人は、김남조の家からも、どっさりとサイン入りの詩集を手に入れた。

こういう話を聞くのは面白いので、もっと聞きたかったけれど、妻が早く帰ろうと急かすので、しかたなく主人に挨拶をして車に乗り込んだ。運転を始めると、たった今主人の話していた教授の奥さんの話を妻は持ち出し、あたしだって癇癪を起こすわよと言った。いやあ、まずい話を聞かせてしまった。

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2010年3月20日、土曜日。21時ごろ、뿌리서점へ行った。店に着いたときには、客が数人いるだけで、主人がいなかった。私は前回来たときに、他の客から話しかけられて探せなかった英会話の例文集を探した。しばらくして主人が店に戻ってきた。

下の子が処分した本を持ってきたと言うと、表情を曇らせた。子供の本は、最近はなかなか売れないのだそうだ。それでも見てくれた。そして、単行本はいちおう引き取ってくれて、5冊ほどで2,000원くれた。残った本は、대오서점に持って行こうか。

뿌리서점では、いつも大きな音で時事討論ばかりやるラジオが鳴り響いている。私が店に行ったときには、今日は史上最悪の黄砂だと言っていた。具体的な数値や単位は忘れてしまったけれど、空気中の黄砂の含有量が最も多かったという。そのため、서해안(黄海に面した地域)では、行楽行事が中止になったりもしたという。

英会話の文例集は、なかなか探しにくかった。どれも分厚くて、なかなか薄いものが見つからないのだ。それで、結局次の1冊を買った。

 『말이 확 트이는 이창수 회화영어』(이창수著、다락원、1993。1998年15刷)

ちょうど私が本代を払う頃、중간상인(仲買人)が来て、せっかく来たのだから本を買えと뿌리서점の主人に迫った。もう22時を回っていたので主人は渋い顔をしたけれど、自分たちはせっかく来たんだぞと言って譲らない。それで主人は、分かりました、じゃあ本を見ましょうと答えた。

私は、路面に置かれた本を主人が検討するのかと思って期待したけれど、店の外に出てみると、トラックの上で本を検討していた。トラックの運転席には不貞腐れた顔をした運転手が煙草を吹かしていて、뿌리서점の入り口では、先ほどの중간상인が戸口で門番のように立ちはだかって、険しい表情で主人を睨んでいた。まるでやくざみたいだ。

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2010年4月7日、水曜日。授業が終わってから뿌리서점に立ち寄った。先日배다리골목の図書館で최종규氏からいただいた写真を主人に見せてあげようと思ったのだ。店に着いて私が写真を見せると、主人は최종규氏を褒め称え始めた。

それから主人と一緒に、戦争が起こったら韓半島はおしまいだという話から、ベトナム戦争のときに海上で台風に遭ってひどい目にあった話、韓国とトルコが9千年前に同じ部族で、当時の金石文に「조선」と書かれているのが発見されたという話を聞いた。

韓半島の戦争の話と、金石文の話はあまり興味を誘わなかったけれど、海上で台風に遭ったときの話はすごかった。主人は若かりしころ、軍隊に入隊してベトナムに送られた。軍艦でベトナムへ赴くとき、巨大な台風に遭遇して、船は上下左右に大きく揺れた。そのときの船酔いはひどかったそうだ。船体が波に突き上げられるたびに吐いたという。吐くものが無くなっても吐いたそうだ。次々と押し寄せる、高さ10メートルの巨大な波に船が突き上げられ、ストーンと落下するとき、死ぬほど吐き気がしたと言っていた。船乗りになって20年のフィリピン人も乗っていたそうだけれど、彼ですら船酔いに苦しんでいたというから、その凄さが伺われる。行きだけでなく、帰りもそうやって船酔いに悩まされたそうだ。

主人が外で本の整理をしていたとき、中国語の本が置いてある棚の前の本の山の上に、10冊束ねられた漫画本があった。見ると、「名侦探 柯南」と書いてある。新品同様だ。店の中に降りてきた主人に、「명탐정 코난」の中国語版はいくらですかと尋ねると、1冊1,000원だという。じゃあ買いますと答えた。計算するとき、主人はさらに1,000원まけてくれた。主人は、中国の漫画はなかなか売れないのだけれど、新たな持ち主が出来てよかった(중국 만화는 잘 안 팔리는데 주인을 찾아서 다행이에요)と言っていた。

そうやって買ったのは、次の10冊。

 『名侦探 柯南 特别篇1』(青山剛昌著、青文訳、长春出版社、2002)
 『名侦探 柯南 特别篇2』(青山剛昌著、青文訳、长春出版社、2002)
 『名侦探 柯南 特别篇3』(青山剛昌著、青文訳、长春出版社、2002)
 『名侦探 柯南 特别篇4』(青山剛昌著、青文訳、长春出版社、2002)
 『名侦探 柯南 特别篇5』(青山剛昌著、青文訳、长春出版社、2002)
 『名侦探 柯南 特别篇6』(青山剛昌著、青文訳、长春出版社、2003)
 『名侦探 柯南 特别篇7』(青山剛昌著、青文訳、长春出版社、2003)
 『名侦探 柯南 特别篇8』(青山剛昌著、青文訳、长春出版社、2003)
 『名侦探 柯南 特别篇9』(青山剛昌著、青文訳、长春出版社、2003)
 『名侦探 柯南 特别篇10』(青山剛昌著、青文訳、长春出版社、2003)

次の日研究室で、第1冊の最初にある「消失的男人」を読んだ。単語がよくわからなくても、漢字なので意味は追える。ところが、コナンの決定的な一言が理解できなくて、なぜ犯人が分かったのか理解できなかった。あとで、同室の陈华先生に教えてもらって、やっと分かった。

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2010年4月24日、土曜日。知人の김완일氏と영풍문고で長々と駄弁った帰り道。용산駅で降りたあと、夜風が気持ちよくて涼しかったので、まっすぐ家へ帰らずに、뿌리서점へと足を向けた。店先の雛壇で本を見ていると、主人が中から出てきた。風が暖かかったので、まっすぐ帰らずに、ついつい来ちゃいましたと言うと、それはすばらしいと言って喜んだ。

それから店内に降りて行き、本を眺め始めた。まずは日本の本のある棚から。新しく入ってきた本で気を引くものはなかった。戦前版の『廣辭林』があったので、開いてみると、染みた部分が橙色に変色している他は、新品さながらのきれいさだった。へえ、いつ印刷されたんだろう、と思って奥付を見ると、昭和15年に刷られたとある。

英書のあるところから男性が出てきて、私を見ると、「안녕하세요?」と挨拶をした。最初は誰だか思い出さなかったけれど、すぐに気が付いた。「아, 마상영 선생님!」と答えると、よくぞ覚えていてくれましたと言ってにっこり微笑んだ。それで私は、この間(2009年12月6日)この店で会って、ウラル・アルタイ語族について聞かれたときのことを話した。そのとき私は、自分の知っている範囲で答えたつもりだったけれど、帰ってから調べてみると、間違っていた。どんな風に間違っていたんですか、と마상영氏は尋ねた。にこやかだけれど、その質問は正鵠を射ている。それで説明した。ウラル・アルタイ語族の共通点は母音調和にあると言ったけれど、チュルク語族のある言語は 、母音が減少したために母音調和がなくなってしまっていた。それに、アルタイ語族には人称変化がないと言ったけれど、人称変化がないのは満州語とモンゴル語で、チュルク語族はどれも人称変化があった。そんなことを話すと、またにこやかな笑みを浮かべ、いいことを教わりましたと言った。

마상영氏との話を切り上げたあと、もう少し奥へ行くと、中国語の本がある棚に、『语言学百题』というタイトルのコピー本があった。韓国では、外国の本などを無断でコピーして製本する場合が多い。これもその一つだ。정은서점ではコピー本は買い取らないけれど、뿌리서점ではかまわずに買い取る。この本を手に取った。

そのとき、また男性客が入ってきて、太くよく通る声で、主人に「안녕하세요오」と挨拶をした。それからすぐに、「ノムラ・タツオ상이 2017년에 한국을 다시 접수하겠다고 했어요」と言った。主人が驚いて、「아니, 일본이 다시 한국을 지배한단 말이에요?」と叫ぶと、「그렇죠」と言う。“ノムラ・タツオ”の発音は正確だった。だけど、知らない名前だ。男はさらに続けた。「1945년에 일본이 미국의 궤계에 걸려서 이 아름다운 강산을 빼앗겼는데, 2017년에 이 아름다운 강산을 되찾겠다고 했대잖아요」という。主人は「아니, 2012년에 우주가 망한다고 하는디, 2017년이면 아무 소용 없어요.」と答えた。するとその男も負けずに、「그런 꿈 같은 소리 하지 마시라니까요. 진짜 그렇게 말했어요. 일본 사람들은 지하에 도피쳐를 만들었대잖아요. 그러니까 지구가 멸망해도 살아남을 거거든요. 그들은 결코 죽지 않아요. 전 일본의 기술을 믿어요」と主張した。ひょっとして、熱狂的な愛国者の辛辣な皮肉? それとも、キ印?

私はその男と顔をあわせるのを避けるため、日本の本棚がある通路から、いちばん右側の、洋書や写真集、漢籍本などがある棚へ退避した。そして、棚にある本を適当に取り出して、一番奥に椅子代わりとして置いてある、プラスチックのビールボックスに腰掛けて、本のページを開いた。シェイクスピアの“The Tempest”だった。難しくてよく分からないけれど、単語を一つ一つ目で追っていった。しかし、耳は依然としてその男の方へ傾く。「천황이 빨리 한국을 방문해야 돼요. 천황이 무슨 뜻인지 알아요? 하늘을 다스리는 황제라는 뜻이에요. 곰의 자손과는 달라요. 그러니까 빨리 천황이 와서 한국을 다스려 줘야 한국도 좋아질 거예요…….」

そのとき妻から電話が来た。今どこにいるのという。私は声を殺して答えた。今、뿌리서점にいるんだけど、変な客が来て日本礼賛をしてるから、店の隅で本を読んでいるふりをしながら、その客が帰るのを待ってるんだ。妻は、あらそう、じゃ気をつけてね、と言って電話を切った。“The Tempest”なんか、ちっとも頭に入らない。

そこへ、主人が本の整理をするために、こちらの通路に入ってきた。そして、「교수님은 요즘에도 헌책방 순례 자주 다니시나요?」と言った。見上げると、主人の後ろにその男がいて、こちらを見ている。困った。逃げようがない。主人は、昨日の新聞で、청계천の古本屋が惨憺たる状況だという記事を読んだ話をした。ある할머니は長年店を構えてきたけれど、昔はたくさん来た学生客も、最近はコンピュータに熱中して本を読まなくなり、1日の売り上げが1万ウォンにもならない日があるということだった。すると、後ろにいた男は、「거짓말이겠죠」と言った。しかし主人はそれを無視して、청계천には昔は150件もあったという古本屋が、今では30件しか残っていないけれど、まさかそんなに悲惨な状況だとは知らなかったといい、こういうことは청계천から始まって、じきに他の古本屋にも拡散していくはずだと、心配顔で言った。そして、自分は500年古本屋を続けるつもりだったのにと言って嘆いた。500年というのはどういう意味だろう。私には韓国の古本屋の未来を占う能力はないけれど、古本屋が消滅するとは思えない。その男がまた脇から、古書を扱えばいいと答えた。主人は、最近は古書がなかなか出てこないと答えながら、通路から出て行った。男も一緒に出て行った。

そのあと主人の声は聞こえなかった。店の前へ出て行ったようだ。かわりに、その男は마상영氏と思われる声の持ち主と話していた。その上品な話し方をする声の持ち主は、優しい声で男に「실례지만 무슨 일을 하세요?」と聞いた。単刀直入の質問だ。この奇妙な話をする男のアイデンティティーに鋭く切り込みを入れる、最も核心を突いた質問。やっぱり声の主は마상영氏に違いない。案の定、男は、自分は人に話すほどの仕事はしていないと答えた。すると声の持ち主は、個人的な質問をした非礼をわびながら、「더 이상 깊이 들어가면 다치죠?」と、かなり不穏な発言を、さらりと言ってのけた。

そのあと二人の足音は、日本語の棚の前を通り過ぎて、私がいる場所のちょうど向かい側にある、キリスト教関連書籍の棚の前に来た。そして、一頻り教会の問題点などを批判する話に花を咲かせ始めた。その様子を見計らって、私は店を出た。

主人は店の前の雛壇のところにいた。主人の脇にいた初老の男性が、私に「안녕하세요!」と声をかけてきた。見ると、동부이촌동にある부대찌개の店の主人だった。この主人は、夜遅く店を閉めたあと、한강 둔지を奥さんと一緒に散歩し、時には뿌리서점まで足を伸ばして本を物色する読書人だ。その人と挨拶をしたあと、主人に先ほど選んだ『语言学百题』(王希杰編、上海教育出版社、1983)の複写本を見せ、いくらですかと尋ねると、2,000원だという。これを1冊買って家に帰った。

帰宅後、インターネットで「ノムラ・タツオ」という人名を調べてみたけれど、それらしい人物は出てこなかった。
# by ijustat | 2010-02-21 22:18 | Bookshops

아름다운가게 광화문책방

2010年2月21日、日曜日。知人の김완일氏と교보문고で会い、近所の새뜰 국수생각(종로1가 33-11 2층)で食事をしたあと、르메이에르 종로타운の地下2階にある아름다운가게 헌책방に寄ってみた。

아름다운가게 광화문책방_c0019613_21162666.jpgこの店は、2008年7月7日に開店したらしい。去年(2009年)の12月9日に知った。ところが、そこで紹介されていた住所をグーグルで検索してみると、こともあろうに교보문고の脇の、再開発のために取り壊し中の地点に矢印が表示された。それで私は、この店は始めて1年で立ち退く破目になったようだと思った。

ところが、今年に入ってまた検索してみると、営業しているという。グーグルで示された地点は、피맛골に面した2~3軒の食べ物屋以外は全部立ち退き、他の建物はすべて取り壊されて地面は掘り返されている状態だ。一体全体どういうわけで営業中なのか、分からなかった。ところが、そのページに、아름다운가게のホームページへのリンクがあったので、入って調べてみると、店への略図が載っていた。そこは、再開発中の場所ではなく、2007年7月に完成した르메이에르 종로타운の中だった。

今日は日曜日なので、やっているかどうか心配だったけれど、ビルに入り、エスカレーターで地下1階に降りて、そこからさらに、稼動していないエスカレーターを歩いて地下2階に降りてから、表示にしたがって進むと、아름다운가게 헌책방が店を開いていた。

店の通路に面した部分はガラス張りで、その真ん中が扉になっている。入り口を入るとすぐ右に会計台があり、そこに3~4人の大学生ぐらいの女の子たちがいた。彼女たちを見た瞬間、私が古本屋に感じている魅力が何なのかに気づき、その魅力がここには欠けていることに気づいた。

私は古本屋で、主人に自分の選んだ本について、何らかのコメントや質問をすることが多い。でも、彼女たちはどう見ても、自分で本を選び分けて買い取り、本棚に並べている人たちには見えない。質問しても、味気ない答えが返ってくることは、目に見えている。

でもまあ、いちおう店の中に入ってみた。本棚は白木でできていて、適当な量の本が並んでいるので、見た目は悪くない。地域の図書館のようだ。そこにある本も、新しい。お客もけっこういた。ただ、普通の古本屋のような、力強さを感じる選書は感じられない。その理由は、寄贈によるものだからに違いない。아름다운가게は、売る本を寄贈によってまかなっているのだ。

최종규氏の話では、아름다운가게の運営者は、既存の古本屋に取って代わる形態としての古本屋になるようなことを言ったらしいけれど、まあその器量は아름다운가게にはなさそうだ。아름다운가게を批判する최종규氏の言葉を引用してみよう。

“헌책방이 사회에 무슨 공헌을 했는가요?”

아름다운 가게 사무처장은 저에게 이런 질문을 던졌습니다(물었다기보다 ‘던졌’습니다). 헌책방이라는 곳이 이러저러한 곳이고, 아름다운 가게에서 거저로 기부 받은 책을 너무 싼값에 팔기 때문에 수많은 헌책방이 타격을 받을 것 같다는 이야기를 한 뒤 받은 질문입니다.

책 문화를 살리고 나누는 헌책방 문화도 “아름다운 가게처럼 기부 받은 책을 헐값에 팔기 때문에 헌책방 임자는 사기꾼으로 몰려 책값을 비싸게 받아 처먹는 나쁜 놈이다”고 욕을 먹으면 흔들린다고 말했습니다.
http://www.ohmynews.com/NWS_Web/view/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0000199011
아름다운가게の사무처장という人が投げつけたような無神経で意地悪な言い方は、私もA문구점(仮名)という文房具屋で投げつけられたことがある。その店でしばしば購入していた무극사の情報カードが、ある日そのA문구점の属する会社の製品と取って代わられていた。それで、무극사の商品がほしいというと、店員は何だかんだと言葉を濁らせて受け付けない。受け付けないだけでなく、こうやって小売店で受け付けなくなれば、무극사も滅びるのだと言った。冷たい言い方だ。その後その文房具屋は、自分たちの作った情報カードがよく売れなかったらしく、情報カードの棚自体を廃してしまった。무극사が滅びるなんて言っておいて、自分が滅びてしまったらしい。おかげで私は情報カードの利用がすこぶる不便になった。아름다운가게の사무처장という人も、似たような発想をする人らしい。“美しい店”という意味の아름다운가게にしては、美しくない発想だ。

とはいえ、寄付によって本をまかなうという아름다운가게は、特殊な形態の古本屋とは言えるだろう。既存の古本屋に取って代わるほどの魅力はないにしても、それなりのよさはある。もともと従来の古本屋とは畑が違うのだから、妙な野心を持たないで、自分たちのよさを追及すべきだ。

目を引く本が見つかった。それは、朝鮮時代から続く図書館、奎章閣の要覧だった。56ページの薄い冊子で、表紙と扉には建物の写真があり、目次を見ると、沿革から始まって、所蔵資料、組織および役員、施設、閲覧(=利用者統計)、事業となっていて、残り5分の2は付録となっているけれど、そこには主要刊行物の目録や、奎章閣の年表もある。これはありがたい本だ。値札が付いていなかったけれど、김완일氏が値段を聞いてきてくれた。1,000원だそうだ。それで、この店ではこの1冊を買った。

 『奎章閣 要覽』(서울大學校 奎章閣著・発行、1998)

会計をするとき、この店の名刺があればくださいと言ったら、店員たちが、あちこちガサゴソと探し始めた。けれども名刺は切らしているようで、代りに「아름다운가게 매장 안내」という小さな紙切れをくれた。その紙切れを見ると、ソウル市内に아름다운가게は29箇所あり、そのうち古本を扱っているのは、강남점と、この광화문점と、それから신촌점の3箇所だった。

아름다운가게 광화문책방は、「매장 안내」では「헌책방 광화문점」と出ている。住所は、서울시 종로1가 24 르메이에르 종로타운 지하215(この住所は、2010年2月21日の時点では Google に地図が出てこない)。電話番号は、02-732-6006。아름다운가게全体のサイトは、www.beautifulstore.org
# by ijustat | 2010-02-21 21:21 | Bookshops

유빈이네책방

たまたま一昨日(2010年2月18日木曜日)、최종규氏が去年の11月7日に書いた記事を読んで、유빈이네책방の存在を知った。そして今日(20日)、実際に行ってみた。

유빈이네책방_c0019613_22414526.jpg場所に関しては、최종규氏の記事に、「지하철 2호선 이대입구역 5번 나들목에서 아현동 언덕받이 교회 있는 데로 조금 걸어가면 헌책방 하나 만날 수 있습니다 」(http://www.ohmynews.com/NWS_Web/view/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0001255603)と書いてあり、インターネットで이대駅の5番出口を調べたので、大体どの辺にあるのかは見当がついた。ただ、古本屋によっては、気まぐれな営業をしているところがある。やっているかどうか、電話で聞こうと思った。けれども、최종규氏は電話番号を載せていないし、検索してみても電話番号は見つからなかった。そこで、とりあえず行ってみることにした。

地下鉄2号線이대駅の5番出口を出て아현동方面へ足を向けると、100メートルも行かないうちに、「책」と赤い字で書いた小さな丸い看板が目に入った。この店の前は、最近もたびたび車で通過したし、道が渋滞しているときは、道路沿いに本屋はないかとキョロキョロ眺めているのだけれど、ここに古本屋があることはついぞ気づかなかった。

店の前に至ると、店先にも本棚があり、その前にも箱に入った本が並んでいる。漫画本や、ちょっと目を引く分厚い本などだ。この店頭の本について최종규氏は、「이 앞을 지나가면서 ‘어, 여기 헌책방이 있구나?’ 하고 알아볼 수 있도록 해 줍니다 」と解説している。その本の前で、白いコートを着た30代ぐらいの女性が、しゃがんで一心に本を物色していた。

店に入ると、主人と見られる女性がテキパキと本の整理をしていた。間口よりも奥行きの方が長い店内の中央を、分厚い本棚が陣取っている。移動書架、つまり、引き戸式の本棚で、両側とも3重になっている。だからこんなに分厚いわけだ。その周りが通路で、そして壁側には2重の引き戸式本棚が巡らせてある(ただし、奥の本棚は引き戸式ではない)。左側の奥には流しがあり、その上にも本棚がある。

どこの本屋へ行ったときでもそうだけれど、その店に適応するのに多少時間がかかる。“適応”というのは、店のどこにどんな本があるのかが分かってくるということだ。だから、まずは本棚の間をめぐりながら、並んでいる(あるいは積んである)本を眺める。この本棚めぐりを繰り返すと、だんだんいい本が目に入ってくる。当然のことながら、“いい本があれば買いたい”という気持ちで見回らなければならない。

私が本棚を覗きながら見回っている間に、数人の客が入ってきては出て行った。そのたびに、主人の女性と親しげに会話を交わしていた。ある女性客は、年末に新型インフルエンザにかかったとき、病床で15冊読んだといっていた。それに対して主人の女性は、自分は本が好きでいつも読みたいと思っているけれど、インターネットのチェックでそんなに読む時間がないと言っていた。そうか。インターネットでも本を販売しているのか。

主人の机のある脇の本棚――つまり通り側の本棚――に、昭和8年(1933年)刊の『大言海』が、1冊だけあった。近づいて見ると、これは1巻本ではなく、前と後ろにあと何巻かあるようだ。主人の女性に、『大言海』は、あれ1冊しかないんですか、と尋ねると、そうだと言う。その他に、한글학회の『큰사전』の、2巻と3巻と4巻があった。これも揃っていない。

本棚を2回まわると、大体どこにどんな本があるのか見当が付いてきた。一番奥の本棚には、全集物や、辞書、聖書などの他、比較的重厚感のある本があり、いちばん手前とその後ろの本棚には、一般的な本が多い。

本を見ている間、小学校低学年ぐらいの男の子が何度も出入りしていた。主人の息子らしい。何かを一生懸命話していたけれど、話の内容までは注意して聞かなかった。

店の奥の方の本棚で、三中堂文庫の本を物色していたとき、扉の開く音とともに、女性の挨拶する溌剌とした声が聞こえた。마포区の区長(구청장)に立候補したのだという。そして、大学時代にこの辺を往来していたけれど、ここに本屋があったんですねえと言った。それに対し主人の女性は、ここで店を始めてから7ヵ月になるんですよと答えていた。ということは、去年の7月末か8月初めに開店したのか。

候補者は、向こう側の通路にいる客にも挨拶をしていた。それからまた扉の前に戻り、主人と話をした。どんな人なんだろう。ちょっと気になって見に行くと、いつの間にか旦那さんも来て候補者と話をしている。候補者は、40歳前後で華奢な感じの女性だった。私にもよろしくお願いしますと言いながら、顔写真の入った名刺を差し出すので、私はこの地域の者じゃないんですけどと答えた。すると、知り合いに마포区にお住まいの方がいらっしゃったら、よろしく伝えてくださいと言った。名刺には、마포구청장 예비후보、이은희と書いてある。연세대학교 철학과を卒業し、同大学の행정대학원を出たそうだ。예비후보って何だろう。

私の前に立っていた旦那さんが、カウンターの椅子に腰を下ろした。歳は、50代後半か60代前半ぐらいだろうか。優しそうな人だ。選挙の候補者が出て行ったあと、私は選んだ本を渡しながら、この店は최종규氏がインターネットに書き込んだ記事を見て印象が良かったので来ましたと言うと、최종규さんの記事を見てきた人が何人かいると言って喜んだ。そして、彼は本当にありがたい人だと言った。

それで、私は自分の話をした。私は日本から来たのだけれど、韓国に住んでいる間にソウルの古本屋についてもう少しよく知ろうと思って巡り歩いている。初めは신촌あたりの古本屋を巡っていたけれど、他の地域の古本屋も開拓しようと思って、ためしに「헌책방 종로」で検索したところ、대오서점という古本屋が出てきた。そのときの記事が최종규氏の書いたものだった。そして、최종규氏が韓国の古本屋をほぼくまなく巡り歩いていることを知り、それを読むことで、自分の古本屋に関する知識も飛躍的に高まった。

すると旦那さんも、自分も최종규氏の記事を読んで、古本屋についてたくさん学んだと言う。旦那さんはもともと工学畑の出身で、古本屋を始めたのは、最近のことだそうだ。ただ、以前から奥さんがインターネットで古本を売っていたので、自分も加わることになったのを期に、オフラインの売り場を始めたのだということだった。유빈이네책방という名は、年を取ってから生まれた我が子の名を取った。さっき出入りしていたのがその子だという。えっ?と思った。さっき出入りしていた子は男の子でしたけど、と言うと、その子の名だという。유빈이というから、てっきり女の子だと思っていた。

私が選んだ本は、次の通り。値段を尋ねると、全部で5,000원という。なんと、1冊たった1,000원の計算だ。

 『젊은 그들 (上)』(金東仁著、三中堂文庫、1976。1977年重版<1929年連載>)
 『젊은 그들 (下)』(金東仁著、三中堂文庫、1976。同年重版<1929年連載>)
 『흙 (上)』(李光洙著、三中堂文庫、1975。1977年重版<1932年連載>)
 『흙 (下)』(李光洙著、三中堂文庫、1975。1976年重版<1932年連載>)
 『母』(三浦綾子著、角川文庫、1996。1998年3版<1992年発表>)

ところで、旦那さんは、古本を「헌책」とは言わず、一貫して「중고책」と言っていた。私がそれを指摘すると、英語では「secondhand book」と言うけれど、あのように客観的な言い方を韓国語でもしたいのだというようなことを言った。それで私も同調して言った。日本語でも「古本」と言って、英語の「secondhand book」のように価値中立的な表現だけれど、韓国語で言う「헌책」は“無用になったもの”のような意味合いが強い。そのため、「귀중한 헌책」とか「희귀한 헌책」という表現は検索しても出て来ず、代わりに「귀중한 고서」や「희귀한 고서」ならたくさん出てくる。そういうわけだから、「헌책」という名称には難点がある。

もちろん、自国語を愛する人たちにとっては、固有語を含む「헌책」を廃して全て漢字語の「중고책」を取るということは、受け入れがたいことに違いない。彼らはこう主張するはずだ。「헌책」の「헌」に悪い意味はない、悪い意味を連想する人が悪いのだ、と。しかし、現実には、ほとんどが「헌」によろしからぬ意味を連想する“悪い”人々になってしまっている。そういう人々の意識を、彼らは啓蒙できるだろうか。최종규氏は、一人でその巨大な偏見に立ち向かっているけれど、構成要素の持つ意味から生じるイメージの強さに打ち勝つことは、どうやら無理のようだ。

旦那さんが、최종규氏が寄贈した本を、もし必要ならあげましょうと言った。でも、せっかくの本をただでいただくのは申し訳ないから、お金を払いますと答えると、いや、自分もただでもらったのだから、お金を受け取るわけにはいかないという。それで、私もこの本をいずれ誰か必要な人にただで譲ることを約束し、ありがたくいただいた。

私がいただいたのは、次の2冊。

 『우리 말과 헌책방 6』(최종규著、그물코、2008。初版本)
 『우리 말과 헌책방 7』(최종규著、그물코、2008。初版本)

유빈이네책방_c0019613_22422151.jpg旦那さんは、우리동네책방の主人の友達だそうで、自分が古本屋を始めたのも、彼の影響だという。そういえば、최종규氏が유빈이네책방の本棚は引き戸式(바퀴 달린 책꽂이)だと書いているのを読んだとき、우리동네책방を思い出したし、実際に訪れてその本棚を動かしてみると、どことなく우리동네책방のそれを髣髴とさせる感触があった。そういえば、店頭に本を並べるのも、どこの古本屋でもやるとはいえ、우리동네책방のやり方と共通している方法ではある。

帰り際に名刺を求めると、우리동네책방のとそっくりな名刺をくれた。実際、帰宅してから유빈이네책방と우리동네책방の名刺を比較してみると、書体からレイアウト、文字の色までまったく同じだった。店名の下に赤地に白抜きで「중고책 사고팝니다」と買いてあるのも、そっくりそのままだ。店名も、じっくり見ると、よく似ている。

유빈이네책방の住所は、서울시 마포구 염리동 8-39。地下鉄2号線이대입구駅5番出口を出たら大通りの方へ行き、そこから右に行けば、すぐにある。電話番号は、02-707-2934。
# by ijustat | 2010-02-20 22:43 | Bookshops

Book Hunter

2010年2月17日、水曜日の朝。“임거정”を検索していたら、Book Hunter という古本サイトで이현세の漫画『공포의 외인구단』の第1部がばら売りで出てきた。

1990年ごろに동대문시장で買った『공포의 외인구단』は、第1部11冊、第2部9冊、第3部10冊と、全巻揃っていた。それが、長男が友達に読ませているうちに、第1部の第10巻がなくなってしまった。

ばら売りの中に、第1部の第10巻も含まれていた。売り切れになっている巻もあったけれど、第10巻は売れておらず、20,000원という値段が付いていた。少し高いので、一瞬戸惑ったけれど、この機会を逃したら、ずっと後悔するに違いない。それで、古漫画を高値で売るこの店を恨みながら、購入した。購入時刻は、08時44分。

ついでに言えば、김수정の『아기공룡 둘리』(도서출판 혜원)も1巻から7巻まで持っていたのが、貸すなといっても長男だったか次男だったかが友達に貸しているうちに、2巻が消えていた。検索してみたら노마드북にあって、20,000원という値段が付いていた。しかし、それから数分後にまた入ってみると、“품절”になっていた。今のは夢だったのか……。

その翌々日(2010年2月19日、金曜日)。11時30分ごろ、宅配便が届いた。縦27センチ、横20センチ、高さ13センチの箱を受け取った。私宛だ。なんだこりゃ、と思って差出人を見ると、BookHunter と書いてある。漫画1冊にしては、大きい。それに、中に何も入っていないのではと思うほど軽い。

Book Hunter_c0019613_231313.jpg心配しながら箱を開けてみると、中に新聞紙が詰まっていて、その底に「공포의 외인구단」と書いた、古びて黄ばんだ本が1冊見えた。透明なビニールに包まれている。

ビニール袋から取り出して、よく見ると、表紙はずいぶん汚れていて、ページの端が風化しかけてボロボロになっている。とても1983年11月に出た本とは思えない。よほど乱暴に扱われていたと見え、紙の裂けたページがいくつもある。1ページから4ページまでが失われている。さいわい、扉は5ページ目からで、本文中失われたページはなかった。ただ、ページを捲るたびに、埃と黴の混ざったような匂いが鼻を突く。

Book Hunter_c0019613_2333828.jpg表紙はビニールで覆われていて、その表面には埃が固まって垢のようになったものがこびり付いていた。ビニールの表紙の端も、茶色く変色して割れている。しかも、驚いたことに、幅5.5センチほどの巨大なホチキスのような針金で留めてあって、その針金も、すっかり黒く錆び付いていた。

そこで、まずビニールの表紙に付いている垢を、ウェットティッシュで丹念に拭いて落とした。いちおう表面はきれいになった。ただ、ビニールの内側の、紙に付いた汚れは仕方ないので放置。ウェットティッシュがどす黒くなるほど汚れが付いていた。

それから、ホチキスのような針金を取り外した。ペンチで取ろうとしたら、あまりにもしっかりと食い込んでいて、ペンチがかからない。そこで、千枚通しで梃子のようにして食い込んだ針金を僅かに浮かせたあと、ホチキスをはずす道具で3ミリほど浮かせ、それからペンチで針金を引っ張った。そのあと、針金の直角に食い込んでいた部分をまっすぐに伸ばし、そのうえで、本を裏返して、刺し通されていた針金を抜き取った。

古本の修繕について、호산방の박대헌氏が、専門家に任せよと忠告していた。几帳面な人は、ビニールなどを被せてテープをつけるけれど、絶対そんなことをしてはいけないという。それは本を傷めることになるから。私が今日受け取った本が、まさにそれだった。古くなった本を修繕すると、その修繕した部分が古くなったとき、本の状態がさらにひどくなる。

本にやたらな加工をしてはいけないということを、つくづく感じた。

とにかく、こうやって第1部第10巻を手に入れて全巻揃え直した『공포의 외인구단』の版権情報は、次の通り。

 『공포의 외인구단 1』(이현세著、도서출판 대길문화사、1983年9月20日初版本)
 『공포의 외인구단 2』(이현세著、도서출판 대길문화사、1983年9月20日初版本)
 『공포의 외인구단 3』(이현세著、도서출판 이화문화사、1983年9月20日初版本)
 『공포의 외인구단 4』(이현세著、도서출판 이화문화사、1983年9月20日初版本)
 『공포의 외인구단 5』(이현세著、도서출판 이화、1983年10月5日初版本)
 『공포의 외인구단 6』(이현세著、도서출판 이화、1983年10月20日初版本)
 『공포의 외인구단 7』(이현세著、도서출판 이화、1983年10月30日初版本)
 『공포의 외인구단 8』(이현세著、도서출판 이화、1983年10月30日初版本)
 『공포의 외인구단 9』(이현세著、도서출판 이화、1983年11月20日初版本)
 『공포의 외인구단 10』(이현세著、도서출판 이화、1983年11月20日初版本)
 『공포의 외인구단 11』(이현세著、도서출판 이화、1983年12月5日初版本)
 『공포의 외인구단 2부 1』(이현세著、도서출판 이화、1983年12月15日初版本)
 『공포의 외인구단 2부 2』(이현세著、도서출판 이화、1983年12月15日初版本)
 『공포의 외인구단 2부 3』(이현세著、도서출판 우성사、1984年1月5日初版本)
 『공포의 외인구단 2부 4』(이현세著、도서출판 우성사、1984年1月5日初版本)
 『공포의 외인구단 2부 5』(이현세著、도서출판 우성사、1984年1月20日初版本)
 『공포의 외인구단 2부 6』(이현세著、도서출판 우성사、1984年1月5日初版本)
 『공포의 외인구단 2부 7』(이현세著、도서출판 우성사、1984年2月15日初版本)
 『공포의 외인구단 2부 8』(이현세著、도서출판 우성사、1984年2月15日初版本)
 『공포의 외인구단 2부 9』(이현세著、도서출판 우성사、1984年3月5日初版本)
 『공포의 외인구단 3부 1』(이현세著、도서출판 우성사、1984年4月10日初版本)
 『공포의 외인구단 3부 2』(이현세著、도서출판 우성사、1984年4月10日初版本)
 『공포의 외인구단 3부 3』(이현세著、도서출판 우성사、1984年4月22日初版本)
 『공포의 외인구단 3부 4』(이현세著、도서출판 우성사、1984年4月22日初版本)
 『공포의 외인구단 3부 5』(이현세著、도서출판 우성사、1984年5月5日初版本)
 『공포의 외인구단 3부 6』(이현세著、도서출판 우성사、1984年5月10日初版本)
 『공포의 외인구단 3부 7』(이현세著、도서출판 우성사、1984年6月10日初版本)
 『공포의 외인구단 3부 8』(이현세著、도서출판 우성사、1984年6月10日初版本)
 『공포의 외인구단 3부 9』(이현세著、도서출판 우성사、1984年6月20日初版本)
 『공포의 외인구단 3부 10』(이현세著、도서출판 우성사、1984年6月20日初版本)

本のサイズやデザインは一貫しているのに、出版社は一貫していない。これはミステリーだ。

Book Hunter(북헌터)のウェブサイトは、bookhunter.co.kr。会社の所在地がいちおう出ていて、서울시 영등포구 신길7동 1629。電話番号は、02-847-0866と、011-784-4392 となっている。とはいえ、たぶん売り場はないだろう。
# by ijustat | 2010-02-19 13:47 | Bookshops