λογοκλοπή

『現代ギリシア語辞典』を買ったことを書いたら、著者の方が書き込みをしてくださった。本当に光栄なことだ。

感激の勢いで、私も著者の名前で検索をしてみると、このブログ以外に、私のホームページの、掲示板の控えが出てきた。それを見ると、ちょうど1年前に、この辞書が出ることを知り、欲しがっている。はっきり欲しいとは言っていないけれど、この辞書のことをあれこれ書いたり引用したりしているところを見ると、欲しがっているのだ。

それから他のところを見ると、希日の電子辞典を作るプロジェクトがあった。この作業にも著者は加わっておられたのかと思うと、そうではなかった。このプロジェクトは閉鎖されていたのである。『現代ギリシア語辞典』の内容を無断で使用した部分が指摘されたためだ。

日本の辞書の歴史は、もしかしたら“剽窃”の歴史であったと言ってもいいかもしれない。辞書ごとにあまり違いがないというのがそれを物語っている。ひどい場合は、編纂中の辞書の執筆者が他の辞書に原稿を流用した例もある。大野晋の『日本語と私』にも、『岩波古語辞典』を作る時に執筆者の一人が他の出版社の古語辞典の編纂にも加わっていて、その内容を一部流用していたことが、自分たちの辞書が出る前に分かったということを書いている。これはそのひどい例かもしれない。大野晋は、その執筆者に編纂作業から降りてもらったとだけ書いているけれど、損害賠償はなかったのだろうか。

千野栄一が『外国語上達法』(岩波新書、1986年)に「筆者がたまたま勤務している大学の言語学の時間に、どのような方法で新しい外国語-日本語辞典を作るかという質問をしたところ、一人として作品から語彙をひろうという発言がなかったのには全く驚いてしまった。すべての学生が『既存の辞書を集めて』と発言したのである」(p.139-140)と書いている。しかし、これは残念ながら日本の風土らしく、「多くの辞書が既成の外国語のある辞書――通称、タネ本――をもとにしている。それだからこそ、あれほど進んでいる英和辞典でも、しばしば全く同じ例文が異なった辞書に出てくるのである」(p.139)ということだ。(同じ内容を、『言語』の連載記事(1980年5月号 p. 104-6)ではもっと詳しく書いている。)

見出し語の選定にも問題があった。挫折した電子版希日辞典は、『現代ギリシア語辞典』の見出し語も使用していたという。見出し語にどの程度の著作権があるのかは分からないけれど、あからさまにほとんど同じ語彙を用いるならば、著作権侵害の謗りもまぬかれないだろう。

ただ、もし日本に現代ギリシア語の辞典がたくさん出ているという状況だったならば、電子版の希日辞典の運命もだいぶ違っていたことと思う。日本では、現代ギリシア語の学習者はとても少ない。そのため、希日辞典を買う人も、きわめて少ないのが現状だ。そのために、『現代ギリシア語辞典』には驚くほど高価な値段を付けざるをえない。そこへ、無料の電子辞書を公開することはいいかもしれないけれど、その唯一の辞書から流用した内容が含まれているとなれば、問題は穏やかではない。

ただし、電子版希日辞典を作るプロジェクトは、いいことだと思う。できれば、誤って流用してしまった部分を取り去り、もう一度、実際の用例を丹念に集めながら、その無償の作業を育てていってくれればと思う。

ちなみに、私は一人で作った辞書を3種類持っている。一つは大槻文彦の『言海』、もう一つは齋藤秀三郎(豊田實増補)の『熟語本位英和中辞典』、そして三つ目が、この川原拓雄の『現代ギリシア語辞典』だ。『言海』の「ことばのうみのおくがき」にもあるように、一人で辞書を作るというのは壮絶な作業だ。これは、『現代ギリシア語辞典』の「まえがき」にもかすかに仄めかされている。後発の辞書を作ろうとする人は、そのことを十分念頭においておくべきだ。
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by ijustat | 2005-07-08 17:36 | Greek


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