1冊のノート

私の悩みの一つは、使い始めたノートを最後まで使わないで終わってしまうことが多いということだった。あるいは、1~2ページしか使っていないノートがもったいないことから、ノートの初めと途中からとが、まったく違った分野になってしまうことも少なくない。これは、ノートの無駄だし、見てくれもいいとはいえない。

そこで、ノートも時間軸で統一してしまおうと考えた。つまり、1冊のノートに一切合財を書き込んでいくのである。英語学習も、ギリシア語学習も、仕事のメモも、読書中に辞書で調べた単語の記録のようなものも、その1冊で済ませる。毎日書きはじめには、日付を記す。後で見たときに何年のものか探しにくくならないように、年月日を毎回記入し、曜日も記入しておく。

もちろん、全部をそのノートに書き込むことはできない。聖書を清書して書き写すのは、別のノートにしたい。これは、また1冊の自分の本を作る作業になるからだ。また、手帳のように小さなノートに書き込んできたものもある。それも、やはり同じ方法で記入する。ただし、これはいずれ、分けずに同じノートに統一してしまうかもしれない。ただし、住所録やバス路線のメモなどは、時間軸で書き込んだノートから、別の手帳に整理しておかないと、後で探しにくくなってしまう。

しかし、整理はあくまでも、あとでやることだ。とりあえずはすべての記入をその1冊のノートに行うようにする。

この方法は、野口悠紀雄の『「超」整理法』(中公新書)の“時間軸で整理する”という考え方と、福田和也の『ひと月百冊読み、三百枚書く私の方法』(PHP文庫)の“1冊の手帳に集約する”という考えから学んだ。時間軸による整理法は、他人にとってはとんでもない配列になるけれども、本人にとっては実はとても便利なものだ。また、1冊に集約する方法については、福田和也は「なぜ、集約しなければならないのか。探す手間が省けるからです」(p.154)と言っているように、最近書き込んだメモがどこへ行ってしまったか探す必要がなくなるという便利さがある。

ところで、日本の知識人は、結構文房具に凝っている。野口悠紀雄もそうだし、福田和也もどの手帳がいいという話を書いている。けれども、韓国の文房具は発想に乏しいので、韓国で文房具に凝るのはちょっと難しい。だから、なるべく平凡な道具を使うしかない。ただ、そのため、義母などが来たとき、途中まで書き込んだノートをテーブルの上に出しておいたりすると、要らなくなったノートだと思われて捨てられてしまうことがあるから、扱いにはいつも注意している必要がある。使っているときにはいつも鞄の中か自分の机の上に置くようにし、いつも持ち歩き、終わったら番号をつけたりして、部屋の本棚にきちんと整理しておく必要があるだろう。

こういうことをするとき、何年間も規格の変わらない大学ノートがほしいと思う。しかし、韓国ではそういうノートを望むべくもない。日本でも、最近は昔ながらの大学ノートは作らなくなってしまったようだ。次善の方法としては、整理しやすいノートを10冊ぐらいずつ買いだめしておいて、それを使っていくという方法もあるかもしれない。こうすれば、10冊使い終わったときに同じ規格のノートが買えなくなってしまったとしても、次の10冊はまた別の規格のノートで統一できる。まあ、まだ試してもいない方法だけれども。

考えてみれば、分野別にノートを使い分けるというのは無駄の多い方法だ。最後まで使い切らなくても、必要なノートならば、いつまでも保管しなければならないので、量的にかさばってしまう。また、管理を怠ると散逸してしまう可能性がある。

ルーズリーフを使えば、無駄な白紙が増えることはないかもしれない。しかし、ルーズリーフの問題は、それを分野別に綴じるときに起こるだろう。分野はどんどん増えていき、手に負えなくなる可能性があるからだ。しかし、整理を怠っていると、ノート以上に収拾が付かなくなってしまう。必要な内容を探し出せなくなる確立はノート以上に高いし、散逸してしまう可能性も、ノートよりもずっと高い。特に引越しのときが悲惨だ。

このように、分類整理してノートを使い分けるのは、「かさばる」という問題と、「ばらばらになる」という問題、そして「散逸」の高い可能性から逃れることができない。ばらばらにならないようにすると、今度は整理のために時間とエネルギーを奪われることになる。この大変さは馬鹿にならない。現にこのジレンマの中で知的活動が妨げられていることが、私の場合は多いのだ。

時間軸に徹したノートの使い方を実行すると、どんな問題が今後起こるかはまだわからない。しかし、実際にはすでに、自分の学習/仕事ノートは1冊で済ませているのである。そのノートでは、毎日先頭に日付が記され、英語やらギリシア語やらばかりでなく、授業の準備メモまで書いてあるし、仕事や勉強と関係のないことも書き込んでいる。それでも不便を感じないどころか、これまで裏紙などにメモしておいて整理が付かずに困っていた不便さから、気が付いてみたら解放されていた。それに、分類していなくても、探せなくて困るということはほとんどない。福田和也は「いろいろな事をしているからこそ、一冊でないと困るのです」(p.156)と言っている。同感だ。だから一つこれを自分の基本的な方法にしてみようと思ったわけである。
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by ijustat | 2005-07-01 02:33 | Life


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