食事を済ませた午後8時半ごろ、携帯電話に音声メールが来た。聞いてみると、“안녕하세요? 여기 교...”とまで録音されていて、ブツッと音が切れていた。
しかし、直感的に、교보문고 に注文していた辞書が入ったのだと思った。そう思うと、いても立ってもいられなくなり、9時に閉店だというのに、大慌てで家を飛び出し、車に乗って 교보문고 まで行った。着いたときにはすでに閉店間際の音楽が店内に流れていた。 日本書籍コーナーへ行って、少し前に音声メッセージを受け取ったので来たと言うと、透明なビニールをかぶせてあるワゴンから、見たことのある青いケース入りの本を取り出してきた。『現代ギリシア語辞典』だ。 この本はとても高い(18,000円!)ので、ずいぶん長い間手も出せなかったのだけれど、今回思い切って買うことにし、今月の初めごろ注文した。今までずっと希英辞典を使っていた。たまに希希辞典を読むこともあった。しかし、私の持っている辞書は、とてもいい辞書ではあるのだけれど、語釈の英語が殺人的に難しかった。もっとも、分かりやすい単語も必ず含まれているのだけれど、半分が「こんな英単語もあるのか」と思うようなもので埋められているのだ。これは現代ギリシア語のテキストをたどたどしく読む者にとっては困難さを増加させるものだった。希希辞典は、知らない単語を引くには難しすぎる。知っている単語で辞書読解の練習をするのがせいぜいのところだ。それも、一つの単語の語釈を読むのに20~30分はかかる。 それで、ぜひ自分も希和辞典を持ちたいものだと願っていた。一方、現在韓国では韓国外大のギリシア・バルカン語科の 유재원 教授が希韓辞典を製作中という。その知らせを最初に聞いてから、교보문고 に行く度に辞書コーナーへ行っていたけれど、今年の始めに 유재원 教授にお会いする機会があって伺うと、今始まったばかりだということだった。ということは、完成するのは何年も先のことだろう。ギリシア・バルカン語科の学生に会う機会があったとき、辞書はどうしているのか聞いてみると、希英辞典を使っているという。彼らは英語が得意かもしれないけれど、それでも難しい英語でもっと難しいギリシア語を勉強するというのは本当に大変なことだと思う。 そういうわけで、自分のギリシア語学習を何とか容易にしたいものだと願っていたけれど、それにはどうしても、目の玉が飛び出すほど高い『現代ギリシア語辞典[第三版]』(川原拓雄著、リーベル出版)が必要だと思った。 今年の3月に日本へ一時帰国していたとき、川越の紀伊国屋書店に置いてあるこの本を一度見たことがある(神田の三省堂でも池袋のリブロでも見かけなかった)。辞書としては、装丁は洗練されていて美しいけれど、内容を見た感じでは、普通の辞書と比べて目立ったところはなかった。それに、語数も3万4千という小事典並みで、値段が1万8千円というすごさだ。手が出ないことはないにせよ、ギリシア語学習者をひるませるに十分な価格だ。ただし、説明は英和辞典並みに丁寧で、重要語には用例も載っていた。いくつかの単語を連鎖的に引いてみると、結構面白い知識も与えてくれた。それに――これが一番大事な点だけれど――日本語なので読みやすい。それで、その後この辞書のことがずっと心に残っていた。 辞書は、使い方によって、違った顔を見せる。ただ読むときに面白さを感じさせるか、テキストを読みながら知らない単語を引いたときにテキストの理解を助けるか、それは実際に使ってみないことには分からない。アマゾンでは好評というか好意的な評価を得ているところを見ると、テキストの読解を容易にしてくれているのではないかという期待がわいてくる。私にとって、外国語は読むことによって伸びるもので、辞書はその重要な案内者となる。辞書は引くだけのものではないと強調されるけれど、引くことの重要さは、他の何よりも際立って重要なもので、これが不便なら、辞書としての機能は著しく劣っているというべきだ。 私は、辞書は引くものであると同時に、可能な限り“希希辞典”によって正確な概念を得るべきだと考えている。しかし、今の私にとっては、希希辞典を普通に使用するというのは無謀な話なので、まずは希和辞典である程度ギリシア語のテキストに馴染んでから、希希辞典を使えるようにしたいと思う。このように、一生使うわけではないことが最初から決まっているものに胸が高鳴るというのは、自分でも不思議なことだ。 ただ、私にはアリストテレス神父さんからいただいた、 "ΜΕΙΖΟΝ ΕΛΛΗΝΙΚΟ ΛΕΞΙΚΟ" (ΤΕΓΟΠΟΥΛΟΣ ΦΥΤΡΑΚΗΣ 著、ΕΚΔΟΣΕΙΣ ΑΡΜΟΝΙΑ Α.Ε., 1997) があり、『現代ギリシア語辞典』は、それを使えるようにするための橋渡しとして、重要なものになる。希和辞典が手に入ることに胸が高鳴るのは、この少し先の希望が比較的容易に叶うステップができた喜びかもしれない。 ---------- 実際に“Η ΖΩΗ ΤΟΥ ΧΡΙΣΤΟΥ”という本を、『現代ギリシア語辞典』で知らない単語を引きながら読んでみた。この本のプロローグを読んだのだが、大きい活字で1ページばかりのテキストを、希英辞典で読んだときには途中から分けが分からなくなり、辞書の語釈の中から適切な意味を探すこともできなくなって、4~5行読んでやめてしまった。しかし、語釈が日本語だと、適切な意味を探しやすくなる。そのおかげで、いちおう終わりまで、大体の意味を理解しながら読むことができた。 まだ文法的にはっきり分からない部分もある。また、アクセントの位置が辞書や動詞活用表と違うところも2箇所あった。そのような部分の解決は、語学力の方で何とかすべきことだろう。 とにかく、これで現代ギリシア語の学習がかなり楽になったことは確かだ。あとは、辞書を引きながら少しずつギリシアの現代文を読んでいくことで、現代ギリシア語に慣れていくことができそうだ。
by ijustat
| 2005-06-30 22:34
| Greek
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