Ειρήνη υμίν.

“Ευαγγέλιον το κατά Ιωάννην”を読み終えた。今日は仕事が午後からあって、午前中は休みだったので、その時間を利用してとにかく頑張って読み終えた。これで今月の目標の一つが完了した。

読みながら、今まで気づかなかった点をいくつか発見した。

まず一つは、弟子 Θωμάς(トマス)は Δίδυμος とも言われると書かれているが、δίδυμος というのはギリシア語で“双子”のことで、Θωμάς はアラム語で“双子”のことらしい。ということは、この弟子の名は「双子」なわけだけれど、いったい誰の双子なのか。自己紹介で、「わたしは双子です」といえば、双子の兄弟がいることになるけれど、そのもう一方はいったい誰か。

トマスは復活したイエス様が最初に現われたとき、その場に居合わせなかったために会えなかった。他の弟子たちが“Εωράκαμεν τον Κύριον.(我々は主に会った)”と言ったとき、“Εάν μη ίδω τον δάκτυλόν μου εις τον τύπον των ήλων, και βάλω τον δάκτυλόν μου εις τον τύπον των ήλων, και βάλω την χείρα μου εις την πλευράν αυτού, ου μη πιστεύσω.(もし私がその釘の痕を見ず、私の指をその釘の痕に入れず、また私の手を彼の脇に入れなければ、私は決して信じない)”と言い張ったけれど、それからふたたびイエス様が現われるのは、その直後だと思い込んでいた。

ところが、“Και μεθ' ημέρας οκτώ πάλιν(それからさらに8日目の後)”と書いてあった。トマスは他の弟子たちの言葉を信じないまま、それでも一緒に8日間も一緒に屋上の間にこもっていたわけだ。ここで「8日目の後」という変な日本語に訳してみたけれど、直訳すれば「8日後」だ。しかし、当時まだ西洋人はゼロという数を知らなかったので、本当は「8日目(つまり7日後)」だったのではないかと思う。これは聖書によって訳し方が分かれているところを見ると、解釈が難しいところらしい。

その後、弟子たちのうち7人がガリラヤ湖で漁をしていたが、夜通し網を下ろしても1匹も取れなかった。そこへキリストが現われるが、誰もそれを主だとは気が付かない。キリストは弟子たちに、“Παιδία, μη τι προσφάγιον έχετε;(子たちよ、何か食べる物はないのか;NIVでは Friends, haven't you any fish?)”と言われた。この“προσφάγιον”というのはパンに付けて食べる“付け合せ”のことで、婉曲に魚を意味する。キリストはまた、“Ενέγκατε από των οψαρίων ων επιάσατε νυν.(今獲った魚をもっておいで)”といわれたときの“οψάριον”も、パンと一緒に食べるおかずのことで、これもほとんど魚を意味する。このように、“魚”を意味するのに食べ物を表わす単語を用いるところが婉曲的だと思った。

ではもともと魚を表わす単語はといえば、そのすぐ後に“...το δίκτυον ..., μεστόν ιχθύων μεγάλων εκατόν πεντηκοντατριών(153匹の大きな魚で一杯になった網)”という文の“ιχθύς”が本来の“魚”だ。この“ΙΧΘΥΣ(=魚)”という符号は初代教会で、クリスチャンであることの暗号として用いられた。“Ιησούς Χριστός Θεού Υιός Σωτήρ(イエスキリスト神の御子救い主)”の略号だ。

現代ギリシア語で魚を表わす単語は、先程の“おかず”を意味する“ψάριον”が若干変形した“ψάρι”だ。日本語でも「さかな」はもともと“酒菜”、つまり酒の料理という意味から来ているというのはギリシア語と似ていて面白い。

またついでに言うと、“δίκτυον(網)”の頭に“δια-”を付けて“διαδίκτυο”というと、“インターネット”の意味になる。もし古典風に“διαδίκτυον”と書いたら、“インタアネツト”とでもいったところになるか。

というわけで、初めて原語の福音書を辞書を引きながら読み終えることができた。これは自分にとって一つの区切りになった。すばらしいことだ。
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by ijustat | 2005-06-28 20:58 | Greek


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