Διψώ

ここ何日か、インターネットの設定をいじってしまってつながらなくなり、このブログに書き込めなかった。連日ジメジメしていてけだるかったし、来客もあって、勉強らしい勉強は何一つできなかった。それに家の中はいつもうるさくて、気が散ってばかりだ。

そんなわけで、土曜日に“Ευαγγέλιον το κατά Ιωάννην”の19章を読み終わったあと、まったく読み進める余裕がなかった。この章は、キリストが十字架に付けられて息を引き取られる場面だ。他の福音書に比べて、簡単に書かれている。ただし、日暮れ前に息を引き取られたキリストを、ο Ιωσήφ ο από Αριμαθαίας(アリマタヤのヨセフ)とΝικόδημος(ニコデモ)とが丁重に葬る場面は、他の福音書にない独特な部分だ。

キリストは息を引き取られるとき、すべてが完了したのをご覧になって“Διψώ.(のどが渇いた)”と言われた。この言葉は日本語訳の聖書では、「わたしは渇く」と訳されている。日本語として意味を成していないような気がするけれども、このように訳すべき神学的理由があるのだろう。一般の読者としては、「わたしは渇く」と言ったら、むしろ“Διψήσω.(I'll be thirsty.)”の意味に取ってしまいそうだ。
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by ijustat | 2005-06-27 21:35 | Greek


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