평화시장は、청계천の南岸に面している。この並びに、古本屋の集まった場所がある。21年前の1988年3月に来たとき、高架道路の下にあったこの商店街全体が古本屋で占められている様子は、それは壮観だった。
しかし、それから数年後、バスに乗って通り過ぎたとき、半分ぐらいが服屋などに取って代わられていたのには驚いた。それからさらに数年後、近くに車で来たついでにそのあたりに足を伸ばし、多少気をつけて探したけれど、古本屋が目に入らなかった。それで、私は평화시장の古本屋は消滅したのだと思っていた。 しかし、まだ청계천の古本屋は残っているということを、本だったかインターネットだったかで知り、今日(2009年11月18日)午後、時間を作り、自転車で行ってみた。 自転車で行った理由は、第一に、車では探しにくいからで、第二に、私の住んでいる용산から10キロほどしかないので、すぐに行って来られると思ったからだ。第一の理由は当たっていたけれど、第二の理由は、みごとに外れた。ソウルの町は、自転車で移動するにはあまりに不親切だ。きちんと信号を守り、自分の安全も守っていくと、うまく行かなければ大変な回り道をしてしまうのだ。そのため、行くだけで、なんと1時間半もかかってしまった。古本屋を見て回った時間は、たぶん20分かそこらだったろう。午後1時少し前に家を出て、帰宅したとき、エレベーターの中で4時の時報が鳴った。ひどいものだ。しかも、今日は何という寒さ! 近所で何度か道に迷った挙句、평화시장に辿り着いた。迷ったけれど、何ということはない。청계천の道路沿いに面したところに、古本屋が並んでいた。でも、半分以上は服屋などで、古本屋は一部に残っているだけだった。これでは車から見つからなくても仕方ない。 それでも店先に並ぶ本の山を見られたのがうれしくて、写真を撮っていると、中から人が出てきて、険しい表情で「왜 사진 찍어요(どうして写真撮るの)」と言う。むやみに写真を撮られたら不愉快だというのだ。それで、용산からわざわざ来たことを話し、この本の山を見たのがうれしくて写真を撮っているのだと説明すると、分かってくれた。 商店街の風景を“むやみに撮影する(무턱대고 사진 찍는다)”という考え方は、私には理解しにくいけれど、プライベートな世界を撮られるという感覚なのだろう。でも、理由を説明すると納得してくれるのもまた、私には理解しにくいことだ。でも、これは韓国ではごく普通のことのようだ。この間読んだ本でも、そういう場面があった。その人も、写真を撮っていたら、何で写真を撮ると怒鳴られたが、説明をすると分かってもらえた。私の場合も、まったく同じだった。 その人とは、しばらく立ち話をした。以前はここも120軒ぐらいの古本屋があったけれど、今では40軒ぐらいしかないという話や、高架道路を取り壊してから客足が遠のいたという話などを聞いた。そして、ここでは店の中を見てもこの通り本が埋まっているので、求めている本があったら、お客が自分で探すより、店の人に聞いたほうが早いということを教えられた。ついでに、今日の気温が氷点下4度だということも、この人から聞いた。風が吹いているので体感温度はもっと低い、ということも付け加えて。 その店もそうだったけれど、どの店もたいてい扉はなく、店先まで本の山がはみ出している。そして、ある店は、驚いたことに、本でぎっしり埋まってしまっていて、間口の中央の、ほんのわずかに凹んだ所に、主人が座っている店もある。失礼だけれど、あれではまるでホームレスだ。そして、この身を切る風! 見るからに痛ましかった。 早速、最初の店で教えられたとおり、捜し求めている本の名前を聞きながら回ってみた。店ごとに、「윤동주 자필시고 전집」はありませんかと尋ねた。たいていは、私が店の中を覗き込むと、奥にいる主人がこちらに向かって無愛想に「뭐 찾으세요?(何探してるんですか)」と聞く。本の名前を言うと、まるで、へっ、そんなものは無いね、というような表情で「없어요(ありません)」という。まあないのが当然なのだけれど、最後の店までそれをやったら、少し疲れた。 意外だったのは、半分くらいの店の主人の年齢が、30代から40代ぐらいだったことだ。古本屋の2世なのかもしれない。この過酷な環境での仕事は、年配者には堪えるからか、市内に散在する古本屋とはだいぶ違う印象だった。 평화시장の古本屋は、長い通りの2箇所に集まっていた。わずかに命脈を保っているといった感じだ。神田の古本屋街のようなものを想像して来たら、大いに失望すること請け合いだ。落ち着いて本が見られそうな店は、何箇所もなかった。 それにしても、この違和感はなんだろうか。おそらく、本というものと苛酷な環境とが、自分の意識の中で相容れないものだから、この청계천の古本屋にえもいえぬ不調和を感じるのかもしれない。それに、落ち着いて本を物色するような雰囲気でもない。そりゃもちろん、店先で本を選んでいる客を追い払うような店はないだろうけれど、騒音の鳴り響く、通り沿いのせわしい雰囲気の中で、静かな気分で本を眺めるというのは、よほど本に没頭していないとできないことだ。 夕方用事があり、それを済ませた帰りに뿌리서점に寄って、평화시장へ行って来たことを話した。いろいろ気になることがあったからだ。さすがに古本屋を30年来やっている主人だけあって、평화시장のことはよく知っていた。 뿌리서점の主人の話では、そこは本の回転が速いので、客が店でもたもた本を見ていたり、だらだらと話しかけてきたりすると、仕事の邪魔になることが多いのだそうだ。だから、店の前に立ったらほしい本の名前を言い、なかったら次の店に行くという買い物の仕方をするのがいいという。 そのような売り方をしているために、両端の店は本がよく売れて賃貸料が高く、中央の店は本があまり売れずに賃貸料が安い。賃貸料は安いけれど、両端の店と同じものを売っていたら本が捌けないので、高級な本や特殊な本を扱ったりして差別化をはかり、生き残っているのだそうだ。 私が、ある店は本で埋め尽くされていて、中に何があるか見えないどころか、中に入ることすらできない状態だったことを話し、そんな状態では必要な本も探せないだろうと言うと、そんなことはないという。彼らはどの本がどこにあるのか、ちゃんと把握しているのだそうだ。本で埋め尽くされていても、すぐに取り出す準備ができているのだという。本当だろうか。信じられない。あれで奥の本がちゃんと取り出せたなら、魔法使いだ。 そうやって、평화시장を見て理解できなかったことを、뿌리서점で教えてもらった。そこは私にはあまり魅力のない場所だったけれど、뿌리서점の主人は평화시장の古本屋街を尊敬していた。そして、その古本屋街が消えて無くなろうとしていることを、大変残念に思っていた。 평화시장は、청계천沿いの방산동から을지로6가にかけて続く、全長600メートルほどの商店街だ。1988年の3月にここへ来たときは、中央にある路地の入り口を境にして、東半分の을지로6가は古本屋が完全に占領していて、そこからあふれ出るようにして、西半分の방산동の方にも古本屋が10件ぐらいあった。 以前そこは高架道路の下だったけれど、今は청계천の川に面している。空を塞いでいた高架道路がなくなって明るくなっていたけれど、本屋の特性上、北側を向いているので、冬は寒いことこの上ない。
by ijustat
| 2009-11-18 23:12
| Bookshops
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