現代ギリシア語

昨日、韓国正教会へ行って来た。ずいぶん以前私にギリシア語を教えてくださった韓国正教会の Αριστοτέλης 神父さんが、学会の発表を教会でするということで、招かれたのだ。それで、애오개にある성 니콜라스 성당(聖ニコラス聖堂)に行って来た。大変な出不精の私が、こうやって呼ばれると必ず行くのは、私が神父さんをどれだけ尊敬しているかという表れだ。これには自分でも驚く。

私が現代ギリシア語を勉強していたのは、もう6年ぐらい前のことになる。今でも、辞書を引けば何とか文の意味を取ることはできるけれど、会話もできないし、簡単な挨拶もだいぶ忘れてしまった。困ったけれど、付け焼刃はできないので、そのまま教会へ行った。

神父さんに会ったのは、2年ぶりだろうか。私の来訪を喜んでくださった。しかし、神父さんのギリシア語は聞き取れても、口からギリシア語が出てこない。とっさに出たのは、なんと英語! “Ναι.”と答えようとして、“Yes.”という言葉が口から出てきた。その間ギリシア語はほとんどやっていなかったのだ。

学会というのは、교부학회(教父学会)というキリスト教神学の学会で、そこで神父さんが「성 바실리오스의 수도운동(聖バシリオスの修道運動)」という題で発表したのだった。発表は、神父さんがギリシア語で話し、韓国人の요한さんが韓国語に通訳するという形で行った。内容はすばらしいもので、しかも実践的な価値もある話だった。通訳を通しての発表がいいのは、メモを取りやすいことだ。片方が話しているときは、メモをする立場では、空白の時間になるから、新しく発せられる言葉に悩ませられることなく、余裕を持ってメモをすることができる。

発表のあと、質疑応答の時間があった。そのとき、서울신학대학교の주승민教授という人が、なんと流暢なギリシア語で質問をした。だみ声だけれどよどみなく話されるそのギリシア語は、いやあ格好よかった。それを聞きながら、自分の不勉強を猛省した。

発表会に参加したのは、みなプロテスタント神学を専攻する人たちで、教父時代の神学を研究したり、それに関心を持っていたりする人たちだった。つまり、古典ギリシア語が読める人たちだ。韓国にはギリシア語が読める牧会者が驚くほど少ないのだけれど、ここに来た人たちは、例外だ。

学会については、まあ私の関心とは少し違うけれど、発表の内容は心に残ったし、ギリシア語に関しても、大いに刺激を受けた。

帰宅後、現代ギリシア語の入門書から、動詞だけをノートに抜き出した。ただし、抽象的な動詞は除いて、「食べる」とか「話す」というような、身近な動作を表す動詞だ。みんなもう知っている単語だけれど、すっかり錆び付いて、口から全然出てこなくなっているし、半分以上の動詞は活用すらおぼつかない。それらの動詞の錆取りをしようと思ったわけだ。

なぜ動詞かといえば、動詞は文の要だから、それがしっかりしていないと文が作れないのだ。逆に言えば、動詞さえしっかりすれば、名詞やその他の単語は、その周りに付けていけばいい。動詞がしっかりすれば、名詞だって覚え甲斐がある。

ところが、めぼしい動詞を書き出したところで、眠ってしまった。不勉強を猛省しておきながら、勉強を始めるや否や、眠気に襲われたのだ。
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by ijustat | 2009-11-15 01:39 | Greek


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