アラビア語講座

うちの教会でアラビア語講座があることを、2週間前に妻が教えてくれ、受講料までくれた。今日はいよいよその講座の初日である。

c0019613_21424920.jpg講座は週1回で全8週。受講料は2万ウォン。1回の受講料がたった2,500ウォンの計算だ。そういう講座に、なんと先生が2人も付く。1人は韓国人のアラビア語通訳者で、もう一人はアラビア語圏から来た母語話者の先生。教えるアラビア語は、いわゆる標準アラビア語。

まさか8週間で基礎力が身に付くとは思われないので、文字が読み書きできることを目標にして受講した。文字さえ読み書きできれば、あとは一人で勉強することができるからだ。韓国語もそうだったから、アラビア語もきっとそうだと思う。
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もっとも、先生は二人とも教えるプロではないので、勉強する方としてはちょっと大変だ。文字の形を認識し、音声を認識して、その両者を頭の中で一致させなければならないのだけれど、文字の説明と発音の説明が錯綜として、聞いているうちに混乱してきた。文字ばかりでなく、発音もさっぱり分からない。アラビア語には各種の喉音があるけれど、実際に聞いてみると、どれも同じように聞こえてしまう。アッリフとアインの聞き分けなんて、絶望的だ。

実は、私は語学教師として、うまく行かない授業を受けると学習者はどんな状態に陥るのかを、実地で経験するいい機会になった。たとえば、文字の説明で、習っていない文字まで入れて、このように使われると紹介されても、あまり役に立たないことが分かった。前後の文字が分からないので、せっかく今習っている文字も、よく分からないのだ。私は自分のサイトに、ア段から順に提示した文字だけが入った語句を掲げている「ひらがな用例集」を作り、教材を作る人の用を足すようにしているけれど、こういう努力の重要性をひしひしと感じた。

それから、アラビア語は一つの文字に、独立形・語頭形・語中形・語末形と、4つの形がある。これは記憶に急激な負担をかけるので、学習者はパニックに近い状態に陥りやすい。教えるときは、なるべくゆっくりと体系的に、練習させながら教えてほしかった。あまりにもすばやく通り過ぎたので、ろくに書き写すこともできず、ただただ当惑するばかりだった。

書き方に関しても、母語話者の先生は一貫として板書するとき文字の前に立ちはだかってしまい、書いているところが見えなかった。「書いているところが見えるように書いてください」と要求したけれど、最初は形だけ見ればいいと言われてしまった。だけど、授業中板書されたなら書き取らなければ。単語を書き取るのは絶望的だったので、せめてもと、文字だけでも書き写した。書き方はあとで教えられた。でも、そうやると、最初に文字を全部板書して見せてくれたのはあまり意味がなかったことになる。他の受講生の中にも、教え方に注文をつけた人がいた。その人も職業は教師にちがいない。

発音に関しても、音声学的な説明とは異なる方法で説明するので、一部はその音の特徴が理解できなかった。私は音声学的な説明をしてくれないと、どうその音を把握したらいいのか、どう発音したらいいのかが、分からないのだ。それから、2~3回その音を聞いたくらいでは、特徴をつかむことすらできないことがわかった。音の理解は、いやになるほど反復してやっと、少しだけ分かってくる。

それから、挨拶言葉をいくつか教わったけれど、発音は各自ハングルで書き取るようにと言われた。でも、ハングルであれローマ字であれ、かまわないから、できれば板書してほしかった。私は音がきちんと判別できなくて、いくつかの挨拶は書き取れなかった。たとえハングルがアラビア語の音とかけ離れているといっても、何かが書いてあれば、それを足場にして理解することはできる。

あとになって、そんなことを考えたけれど、それでも今日先生がおそらく目標にしていたところは身に付いたようだ。今日は、最初のいくつかの字母と、それから母音記号を覚えた。帰りのバスの中では、デジカメで撮った板書を見ながら復習し、帰宅後は、今日配られたプリントを見ながら文字を判別する練習をしてみた。

まあ、先生の教え方を云々するのは、立派な学習者ではない。勉強は本来自分でするものだ。先生は何らかの面においてその助けになればいい。運良く、上手に導いてもらえればなおいいけれど、そうでなくても自分で身に着けられるようにならなければ、いくら先生がよくても、身に付くものも身に付かないだろう。私は、自分の前に立っている2人の先生が自分だったらという仮定で考えた。私だって、大なり小なり、似たような失敗をしているかもしれない。

日本語教師は、こういう授業をしばしば受けてみるべきだと思う。できれば、教え方のあまりうまくない先生から習った方がいい。上手な先生から習うと、自分に理解する才能があると勘違いしてしまいやすいから。知識は十分にあるけれど、教え方は素人の先生から習うと、本来の自分の学習能力が如実に現れてくる。今回私が受けた授業は、そういう先生(たち)によるものだった。なるほど学生たちはこうやって苦労するのか。

c0019613_23281030.jpg板書を見れば分かるとおり、手で書かれたアラビア文字は、まるで速記文字のようだ。もしかしたら、速記文字の考案者は、アラビア文字からヒントを得たのかもしれない。文字の一部でも判別できるようになると、気分がいいものだ。

アラビア文字の世界が、少しだけ開けてきた。
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by ijustat | 2009-08-09 22:05 | Language Learning


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