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文章

2年近く前、このブログで文章について書いたことがある。そのあと、どうしたら魅力的な文章が書けるのか、ときどき考えていた。たとえ魅力的ではなくても、読む人が何らかの面白さを感じられる文章が書けたら、こんなにうれしいことはない。

そこで、気に入った著者の本を、その魅力の秘密を探りながら読んだ。そうやって、自分なりにまず気づいたのは、それらの著作には、著者個人の体験談が織り込まれているということだった。

体験談とはいっても、自慢話はあまり面白くない。何かの方法について書くときでも、最初に自分がその方法を知らなかったときのことをまず書き、次のその方法と出会う過程を描写し、それを適用した結果を書く。そういう体験談だ。それによって、その体験の全体像が明らかになり、自分にもそれができそうだ、という親しみを与えてくれる。

考えてみれば、これはキリスト教の伝道集会などで日常的に行われている「信仰の証(あかし)」と同じ形式だ。そのモデルは『新約聖書』の「使徒言行録」22章と26章にある。そこでは、パウロが自分の回心について弁明している。26章では、取調べの最高責任者だったアグリッパ王は少なからず心を動かされている。

これはさまざまな目的に使える。自分の体験が真実であればあるほど、読む人の心を大きく動かすことのできる形式だ。特に、自分の考えや方法論を伝える文章に使えそうだ。

次に、書くときの口調については、教えるように書くのではなく、文章の中で考え、文章の中で結論を発見するような書き方をした方がよさそうだと気づいた。そのためには、書きながら考えるのがいちばんいい。김형석という哲学者はエッセイストとしても有名だ。その中の作品のいくつかを読んだとき、そんな内省的な書き方をしていて、印象がよかった。

なぜそれがいいのか、自分なりに考えてみた。そうやって思いついたのは、こうだ。こういう書き方では、書く対象と自分との距離をしっかりと保つことになる。そうすると、読者も著者と一緒に肩を並べて、その対象と向き合うことができる。書き手が知識の側にいて、読者は知識のない側にいると、著者との距離を感じる。しかし、書き手と肩を並べていると、書き手に親近感を覚えるだけではない。書き手にとっての知識は、私たちとその知識よりはずっと距離が近い。それで読み手はその知識にも親近感を覚えることができる。まあ、そんな感じだ。合っているだろうか……。

そのような共感を呼ぶ書き方なので、著者がその対象を面白がり、楽しんでいると、読者もその対象が面白く感じられてくる。

この考えに至るヒントを与えてくれたのは、한비야氏だ。한비야氏は、自分の書いた本が世代を超えて読み継がれているわけを問われ、次のように答えていた。

만만한 거죠. 저는 독자들을 가르치려고 하지 않으니까요. 제 눈높이가 바로 젊은 독자들 눈높이예요.(『한국의 글쟁이들』구본준著、한겨레출판、2008、p.59)

この한비야氏の「만만한 거죠」ということばが、読んだあとずっと頭の中に残っていた。「만만하다」というのは、御しやすい、相手にしやすい、ということだ。偉くもないし、威張ってもいないし、気難しくもない。そういうことだ。たしかに、한비야氏の文章は、気安い感じを与える。読んでいると、自分も著者と一緒にその場で冒険しているような感じがしてくる。なるほど。

実際、私は偉い人間でもないし、相手が萎縮してしまうほどすごい能力や精神力の持ち主でもない。それにもかかわらず、自分の考えを文章にすると、何か偉そうに話しているような印象を与えてしまうことがある。もちろんそれはこけおどしだ。それなりの人が読んだら呆れるような、つまらないことを書いているのだ。そんなときは、決まってその知識や考えを、生まれつき知っているかのように書いている。そんな書き方ではなく、考えながら書いていくべきだ。そうすれば、한비야氏のように、文章は読者と同じ目線にまで下がることができる。

そういえば、論文は面白さとは程遠そうな文章だけれど、読んでみると案外面白い。そのわけも、同じことのようだ。論文では、問題意識をまず語り、それから集めたデータを持ち出してあれこれ考え、その場で新しい発見をする。その発見の現場に読者は立ち会うことになる。だから、なるほどと納得し、面白いと感じる。

ところで、単に考えるだけでなく、“自分で”考えることが大切だ。黒田龍之助氏は『大学生からの文章表現』(ちくま新書、2011)という本の中で、「大切なのは、自分で考えることである。これが基本。自分で考えることこそが、内容についての究極の指針なのではないか」(130ページ)と書いている。そして次のページで、山口文憲氏の『読ませる技術』という本の中から次の箇所を引用している。

世間の常識をなぞってはいけません。(……)たとえば、「役人はひどい」「日本語が乱れている」「オウムはけしからん」。この手のいい古されたこと、みんなのなかで当たり前になっていること、いわゆる「たんなる正論」にのっかって書くのも失敗のもとです。いい文章になる見込みがありません。

たしかにそうだ。ソウルでタクシーに乗ったりすると、運転手は時事的な話題を持ち出すことがある。それはたいてい、新聞やラジオのコピーだ。私はそれを聞きながら、なんで自分がこんなつまらない話を聞かなければならないんだと、ずいぶん思った。まあ、それはただの雑談なのだからいいとして、自分の意見を文章にするとなれば、マスコミのコピーになるのではなく、不完全ながらも自分で情報を集め、自分で考え、自分で結論を出すべきだ。そうすれば、論旨は欠陥だらけだったとしても、とりあえず、個性的な面白さはあるかもしれない。

ただ、読む人の中には、「何を根拠にこいつはこんなことを書いてるんだ」と噛み付いてくることがある。それには対処しておいた方がいい。自分の考えたことは、たいていすでにたくさんの人によって考えられていて、誰かがどこかで何かに書いている。だから、いろいろ考えてある意見にたどり着いたあと、自分の考えがあながち単なる思い付きでないことを示してくれる、先人の発言を引用すればいい。

このことについて、野口悠紀雄氏は次のように述べている。

引用とは、簡単にいえば、権威に頼ることである。これも説得力を高めるための技術だ。「私はこう考える」と言うより、「ゲーテがこう言った」のほうがありがたみがある。(『「超」文章法』中公新書、2002。135ページ)

これは護身術として非常に重要だと野口氏は強調している。野口氏によれば、弱者である私は、強者である「引用」に守ってもらう必要がある。それによって、不当に無視されるのを防ぐことができる。野口氏は論文の売込みについて書いているけれど、日常の文章についても同じことがいえる。自分の考えだけを書き連ねると、いくら論理的に書いても、ijustatが独り言を言ってらあ、と思われる。だから、権威や実績のある人のことばを引用した方が得だ。

そうやって文章について考えた結論は、こうだ。まず、自分の体験談を織り込むこと。それから、教える口調で書くのではなく、文章の中で自分も考えること。世間の常識をなぞるのでなく、自分で考えること。自分の考えには、先人の発言を引用すること。

物足りない結論だけれど、とりあえず今のところ分かった(と自分で思っている)のは、ここまでだ。ところで、この文章は面白いだろうか。
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by ijustat | 2011-11-14 21:13 | Life

しぶや(시부야 숙대점)

学生街にある日本料理の店だ。日本人が経営し、味の管理も日本人の手による。

c0019613_16444625.jpg地下鉄4号線の갈월동 숙대입구駅で下車し、10番出口から숙명여자대학교の正門へ向かって緩い上り坂を歩いて行くと、通り沿いの右手にある。

しかし、私たちは駅からは行かず、이촌2동입구で2016番のバスに乗り、효창공원삼거리で下車して行った。

2011年11月8日。ちょうど紅葉の時期で、道路は銀杏の落ち葉で黄色く染まっていた。ここ一週間ほど気候は温暖で、この時期の寒さが感じられない。なんといい日だろう。

今日は、私たち夫婦と友人2人とで、この店を訪問した。そして、カツカレーライスとカレープデチゲを食べた。

なんと不覚なことか。カレープデチゲの写真を撮るのを忘れてしまった。しかたない。味だけ説明しよう。

プデチゲのコクある味と、カレーの香り高い味とが調和して、グングン食欲をそそる。麺は、普通のプデチゲに見られるインスタントラーメンではなく、うどんが入っている。このうどんは歯ごたえがよく、プデチゲなのに、高級感を添える。新しく開発したメニューだそうだ。

幸いなことに、カツカレーライスを撮るのは忘れなかった。
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社長の渡辺さんと話をする機会を得た。渡辺さんの話によると、カレールーは日本から取り寄せていて、そこに十数種類の香辛料や野菜を入れて作るのだそうだ。スープはとりがらのだしで取る。このカレー作りの作業だけでまる一日かかるという。

特に、たまねぎが大変らしい。いっぺんに50キログラム、100キログラムと大量に仕入れ、下ごしらえをし、飴色になるまで炒める。下ごしらえするとき、たまねぎの刺激が強烈で、ゴーグルをしても涙が出るそうだ。しかし、これを一回やると、風邪を引かないという。たまねぎの薬効はすごいものだ。

カレーを作るとき、最初に食べた瞬間は甘く感じ、そのあとから辛味が感じられるように作らないと、美味しいと感じられないそうだ。いくら辛い味が好きな人でも、最初から辛味が先走ると、ただきついだけの味になってしまうのだという。

そのためだろうか。この店のカレーは本当に美味しかった。ちなみに、私は辛口も甘口もOKだ。

韓国にはCoCo一番街も入っていて、종로(鍾路)など数か所に店を出している。渡辺さんの話では、あそこはプロの味だけれど、自分たちは家庭の味に仕上げたという。

CoCo一番街のカレーはたしかに美味しかった。けれども、私の考えでは、しぶやの方がカレーの味は優れている。数種類の野菜から出たさわやかで深いコクが感動的だ。それに、しぶやのカレーは、ご飯と接している部分もサラリとした食感をたもっていて気持ちいい。いいお米を使っているのかもしれない。値段も6,500ウォンと廉価だ。
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カツは、カレーの上ではなく、ライスの上に載っていた。量もたっぷりで、ヒレ肉も柔らかく、カラリと揚がっていて、後味もさっぱりしている。

店を出てから妻が、あの味を学生街の簡素なインテリアの店で食べさせるのはもったいないと言った。そうかもしれない。

しぶや(시부야 숙대점)の電話番号は、02-792-3739。住所は서울시 용산구 청파동2가 60-19。ビルの2階にある。
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by ijustat | 2011-11-08 17:17 | Restaurants

산선동の街角

地下鉄4号線한성대입구駅の近く、삼선동の街角を歩いてみた。

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何ともいえぬ貫禄のある雑貨屋。こういう韓国独特の風情が私は好きだ。

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韓国式家屋の食堂。看板に書いてある店の名前は「스끼다시 천국」。名前の上に「활어회」(活き作り)と書いてある。私は活き作りは嫌いだ。以前、東京の飲み屋で鯛か何かの活き作りを注文したことがあるけれど、魚の苦しんでいる様子を見ると、胃がおかしくなりそうだった。

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裏通りにも韓国式家屋が顔をのぞかせている。あの建物は、わりと新しいものらしい。韓国式家屋の作りだけれど、壁は煉瓦造りだ。
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by ijustat | 2011-11-02 00:48 | Life