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뿌리서점2

뿌리서점の記事に話を付け足していったら、とうとう字数がオーバーしたというので、新たに記事を立てることにした。

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2009年12月30日。夜仕事をした帰りに立ち寄った。3日前に来たとき、手書きの本があるのが目に付いて、今度来たときまだあったら買おうと思っていたのだ。今夜は店頭に本が少しばかり積んであった。でも、ひどく寒い上に、身を切るような風が吹いていて、というてい外で本を見ていられない。急いで中に入った。

その本を見つけた棚の前に行くと、さいわい売られずに残っていた。その他、何冊かの本を選んだ。

夜中の0時に近かったけれど、お客が数人いて、主人と一緒に議論に花を咲かせていた。国民年金の話から始まって、経済や政治の話を声高に話していた。최종규氏は、こういう客がいると古本屋で静かに本選びができないといって、そのマナーのなさをそれとなく批判していたけれど、뿌리서점の魅力は、このように主人と客とが一緒になって声高に議論をする、一種のサロン的な雰囲気にある。でも、彼らの議論よりも、ラジオの音の方が甲高かった。

최종규氏が、写真集についても書いていたので、自分も写真を見る目があったらいいかもしれないと思い、写真集のある棚に行ってみた。しかし、初めて見る写真家の名と、目慣れないテーマが並んでいる上に、どれもサイズの大きな本ばかりだ。大きい本は負担になる。たまたま積んである本のいちばん上にあったものを開いてみたら、観光案内用の写真集のようだった。他のお客たちが議論をしているストーブの前は暖かいけれど、ここは冷凍庫のように寒い。本を手に取る気も起きなくて、そのままストーブの前に戻った。

今夜選んだ本は次の通り。

『꽃들에게 희망을』(트리나 포올러스著・김영무訳、분도출판사、1975。1976年重版)
『子女를 富者로 만드는 金錢敎育』(邱永漢著、韓國經濟新聞社、1986。同年再版)
『국어학서설』(노대규・김영희・이상복・임용기・성날수・최기호共著、정음사、1987。初版本)
いくらですかと聞くと、寒い中を来てくれたからねえと言って、5,000원にしてくれた。

『꽃들에게 희망을』は、くだんの手書きの本だ。あまり上手な字ではないけれど、手書き独自の味わいがある。それに、最近は手書きの本なんか出す出版社は滅多にないだろうから、これは私にとっては貴重な1冊だ。

『子女를 富者로 만드는 金錢敎育』は、邱永漢の本だ。私はこの人の著作が好きだけれど、そのおびただしい著作の多くは絶版になっていて、韓国では手に入れにくい。翻訳でも手に入れられればさいわいだ。

後ろの見返しに、他の本の広告が刷られている。どれも日本の本を訳したものらしい。いちばん上は謝世輝氏の本で、『日本이 美國을 추월하고 韓國에 지게 되는 理由』と題されている。そして、広告文にはこう書かれている。

2010년 드디어 韓國이 日本을 능가한다. 23년전 이미 美・日의 經濟逆轉을 예고, 적중시킨 臺灣 출신 文明史家 謝世輝 박사의 자신에 찬 診断. 한국의 歷史, 哲學, 政治, 經濟 등 광범위한 資料 분석을 통해 밝힌 이 놀라운 예언은 桎梏의 역사를 털고 일어서는 韓國人의 저력에 바탕을 둔 것이다.
2010年は、もう目と鼻の先だけれど、はたして謝世輝氏が言うように、韓国が日本を超えるのだろうか。そうなれば、私もいろいろ助かるのだけれど、現実にはぜんぜんそんな風に見えない。アメリカはその後巻き返したし、日本はがたついたままずっと悪戦苦闘している。韓国は失速したままなかなか立ち直れずにもがき続け、ずるずると下り道をさがっている感じだ。「놀라운 예언」と書いているけれど、書くだけだったら何でも書けるというのが実際のところか。

謝世輝氏については、若い頃『人間はここまで強くなれる』(知的生きかた文庫、1990)を読んで、ずいぶん勇気付けられた。強い人間にはならなかったけれど、勇気付けられることは、大切なことだ。最近では、2006年10月9日に『信念の魔術』(謝世輝著、KKロングセラーズ、1982)という本を뿌리서점で見つけて読み、若者の人生を祝福したいと願う著者の思いに感銘を受けた。その本のあとがきには、次の言葉が引用されている。

May there be enough clouds in your life to make a beautiful sunset.
(207ページ)
ここで言う“clouds”とは、おそらく数々の試練のことだろう。そして、“sunset”は人生の終焉。謝世輝氏は、人生における試練を、このように美しい言葉で肯定している。その人の「놀라운 예언」が外れてしまったようなので、ちょっと残念だ。

『국어학서설』は、연세대出身の国語学者たちが書いた韓国語学の入門書だ。私も持っていて、音韻論のところは読んだけれど、そのままになっている。その初版本があったので選んだ。初版本の何がいいのか分からないけれど(改訂版の方がいいではないか。少なくとも著者はそう思っているはずだ)、あまりに人々が初版本について騒ぐので、初版本を見ると私の胸も騒ぐのだ。これは、洗脳ではないか……。

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2010年1月3日、家族で食事に行った帰り、夜の9時半ごろ立ち寄った。長男が英単語の本をほしいといったからだ。

今夜は店の前の雛壇の上に、本が山積みになっていた。その中に分厚く高級そうに見える本があった。『晩悟洪震全集』と書いてある。出版元は、なんと국회도서관。図書館が本を出版することもあるのか。パラパラとめくってみると、様々な影印資料が載っていて、冒頭の解題をめくると、「임시정부」という単語が目に入った。

それからすぐに店に入り、英単語の本を探した。長男は、あまり勉強をしないけれど、しかし本を選ぶ基準はずいぶんうるさい。それで、なかなか決まらなかった。

そこへ、主人のおじさんが来て、しばらくいるかと聞いた。なぜですかと尋ねると、コーヒー用の水が無くなったので、家に取りに行かなければならないという。自分がいない間、店を見ていてほしいということだ。妻に、まだしばらくいてもいいかと聞くと、寒いからもう帰るという。そのあと5分ぐらいだったか、長男と一緒にいろいろ悩んだあげく、何も決められずに帰ることにした。

妻と次男はそれぞれ選んだ本があったので、お金を払おうと思ったら、主人は店にいなかった。他の客が2人いるだけだった。それで、とりあえず家族を家に送り、また店に戻って来た。

店に戻ると、客たちが、主人はどこへ行ったと言い合っていた。戸惑っているようで、普段なら主人はいなくてもおばさんが店番しているのに、と不満そうに言っていた。そこへ、主人が戻ってきて、威勢のいい声でお客たちに、새해 복 많이 받으세요!(明けましておめでとう)と挨拶をした。

私はしばらく本を見て、自分が長男に教えられそうな本を探した。英語がほとんどできなくて、勉強する習慣もあまりない長男だけれど、多少なりとも助けになってあげたいという、親心というか、余計なお節介というか、そういう気持ちで本を選んでいた。

本棚から戻ると、主人がさっきの『晩悟洪震全集』を見ていた。それで、この本を主人と一緒に検討しながら話し合った。洪震(홍진)という人は、大韓民国臨時政府で김구とともに要職にあった人物だということが分かった。主人も私もこの人のことを知らなかったけれど、主人は初めて見る名前だから、そんなに有名な人物ではないという。まあ、確かにそうだろう。しかし、一般に知られていないだけで、この人の韓国史における位置は、決して小さくなさそうだった。私はこの資料は大変貴重なものに違いないと言った。

結局、この本は20,000원で売るという。私は、そんなに安くしたら、あっという間に売れてしまいますよと言ったけれど、主人は、いやなかなか売れませんよと答えた。近代史に関心がある人は、大急ぎで뿌리서점へ行くことだ。

今夜買ったのは、次男の選んだ漫画本1冊と、妻の選んだ信仰書2冊のほかに、次の3冊。

『금융영어회화 1』(한국금융연수원 통신연수부著、한국금융연수원、1996。2002年7版<非売品>)
『민병철기초생활영어 1』(민병철著、민병철생활영어사、1984。同年重版)
『SIDE BY SIDE : English Through Guided Conversations 1A, 원문+주해서』(Molinsky・Bliss著、조은문화사、1994。同年2刷)
いくらですかと聞くと、全部で7,000원でいいという。本当にありがたいことだ。

帰宅後、『晩悟洪震全集』についてもう少し調べてみた。著者は晩悟洪震全集刊行委員會。2006年に국회도서관から出版されていて、総933ページ。古本サイトで調べると、신고서점で40,000원、남문서점で50,000원、북코아で60,000원、OldBooks고서점で100,000원だった。뿌리서점の20,000원は、それらに比べると格段に安い。

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2009年1月7日。今これを病院のベッドの上で書いている。4日の夜に腰を痛め、今朝になって近所の중앙대학교용산병원に入院した。

今日は、知人の김완일氏が見舞いに来てくれた。見舞いだけの目的で来た彼に、いろいろ助けてもらってしまった。彼には助けの賜物があるらしい。

その김완일氏といろいろな話をしながら、뿌리서점に홍진という人の全集があることを話した。その本は歴史的に重要な意味を持つ資料が影印本で収録されており、近代史を学ぶ人にとっては重要な意味のある本だし、その価値も決して低くはなさそうだ。それにもかかわらず뿌리서점の主人はたったの20,000원という値段をつけた。そんな内容を話した。すると、関心を持ったらしく、帰りに뿌리서점に寄ってみると言っていた。

しかし、あとで文字メッセージが来て、その中で「…그리고홍진전집은안타깝게도벌써팔렸더군요…」と言い、『晩悟洪震全集』がすでに売れてしまったことを伝えていた。日曜日に入ってきて、月曜日から売り始めて木曜日にはすでにないのだから、かなり早く売れたと思う。やはり見る目がある人はいるものだ。ちょっと残念だったけれど、古本屋と客との目に見えないやり取りが、そこに表れているような気がした。

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2010年1月19日。知人の김완일氏と교보문고で会い、一緒に뿌리서점に来た。そのとき、売ろうと思っているペーパーバックの英書を6冊持ってきていて、見てもらった。すると、全部引き取ってくれて、4,000원くれた。この買い値は、とてもいい。それに、6冊全部が売れたというのは、テストで言えば100点満点ではないか。

김완일氏は、『성공하는 사람들의 7가지 습관』と、もう一冊選んだ。『성공하는 사람들의 7가지 습관』は、スティーヴン・コヴィーの代表作で、日本では『7つの習慣』という名で出ている。彼は、この本を友人に貸したら返してもらえなかったので、ここで見つけたのを機会に買うことにしたそうだ。それからもう一冊の方は、書名を忘れたけれど、これは探していた本だそうで、主人に本の名前を言ったら、出してきてくれたそうだ。

私はそのときトイレに行きたかったので、本をゆっくり選んでいられる気分ではなかった。それで、私は何も買わないで店を出た。(뿌리서점には、その近所も含めて、使用できるトイレがない)

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2010年1月27日。知り合いでイラストレーターの이정일氏を誘って뿌리서점へ来た。彼は謙遜で熱心な人だけれど、運悪くその謙遜さを利用する人にぶつかることが多く、苦労が多かった。しかし、最近はイラストの仕事をやめ、健康食品の店を始めた。昨日一つ買ったら、今日プレゼントを持ってきてくれた。そこで、せっかくだからと思い、本を買ってあげようと思った。

용산駅の近くにいい古本屋があるけれど、一緒に行ってみませんかと言うと、ぜひ行きますと答えたので、車で一緒に行った。何もない裏通りの一角で裸電球が燦々と輝き、その下に店頭の本が照らし出されているのを見て、小さな声で「おお」と感嘆していた。そして、階段を下りて広い売り場に本がぎっしりと並んでいるのを見てまた驚いていた。

私は彼に、商売を始めたなら、金持ちになるための本をたくさん読む必要があると言った。貧乏人と金持ちとは、非常に異なる精神世界の中で暮らしている。ほとんど毎日のように付き合っていても、貧乏人は金持ちの精神世界が理解できないし、そんなものがあるということにも気づかない。その証拠に、金持ちが経済的なアドバイスをしても、貧乏人はその言葉に重要な秘密が込められていることすら理解せず、たいていは聞き流してしまうものだ。だから、金持ちになるための本を読み、金持ちの考え方を身につける必要がある。

とはいえ、新刊書は高い。そして私たちは、新刊書を大量に買えるほど経済的に豊かでないことが多い。特に彼の場合はそうだ。だから暇ができるたびに古本屋を回ってみる必要がある。その中でも뿌리서점は必ずチェックしておくべき店だ。何しろ、本は多いし、主人は安く売ってくれる。

主人のおじさんは、이정일氏を見ると私に、この方はどなたですかと聞いた。それで、この人はイラストレーターで、以前私が日本語の教材を作ったとき、その挿絵を書いてくれた人ですと答えると、では画伯ですな(그럼, 화백이군요!)と言った。이정일氏はそれを聞いてびっくりし、照れてしまったので私が代りに、ええ、画伯です(네, 화백 맞습니다)と答えた。

이정일氏は本を4冊選んだ。その中には、パスカルの「随想録(Pansée)」と、自分が今回始めたビジネス形態に関する本が含まれていた。棚を見ると、「随想録」は2冊あり、1冊は『팡세』、もう1冊は『瞑想錄』という書名になっていた。

詩集の棚にある1冊を이정일氏が指差し、この詩人は才能のある人だけれど、恐ろしく高慢な人物だと言った。それで、どんな詩を書くんですかと尋ねると、片思いの愛を告白する詩に、君が両手を広げて僕を嫌いだと表現するその空間の残りのすべての空間が、僕が君を愛する大きさだという内容の詩が、人口に膾炙したことがあるという。なるほど、いい言葉だ。この詩集にその詩が含まれているかどうかはわからないけれど、読んでみようと思って選んだ。他に、김태길氏の随筆集も1冊選んだ。

私が選んだのは、次の2冊。

 『빛이 그리운 생각들』(金泰吉著、三中堂、1965。同年重版)
 『넌 가끔가다 내 생각을 하지 난 가끔가다 딴 생각을 해』(원태연著、영운기획、1992。同年重版)

이정일氏の選んだ4冊分の値段も私が払ってあげた。それで、合計6冊で10,000원。2,000원を에누리(割引)してくれて、合計8,000원。彼は驚いて恐縮していたけれど、私も大したプレゼントができなくて、申し訳ないと内心思った。でも、本の価値は値段ではないし、彼自身が選んだ本だから、本人にとっての価値は大きいだろうと思う。

帰宅後、『빛이 그리운 생각들』がかなり汚れていたので、ウェットティッシュでよく拭いた。丁寧に拭くと、ウェットティッシュは鼠色になり、本の汚れはまあいちおう落ちた。

それにしても、韓国の古本は保管状態のひどいものが多い。水に濡れた痕があるものが多く、中にはカビが生えているものさえある。それでも、読みたい本がそれしかなければ買うしかない。汚れだけでなく、本の傷みが激しい場合も多い。表紙がボロボロでページが取れそうなもの、奥付がはがれて無くなっているもの、ページが外れてしまい、やっとのことで失われずに保っているものなども多く、中には本の途中から先がすべて失われているものもある。

韓国の本の持ち主は、本に一体どんな仕打ちをしているのだろうか。ものを言わないからといって、散々な目に遭わせているとしか思えない。それで、古本を買ってくるたびに、こうやって丁寧に汚れを落としたり、壊れたところを修繕したりしなければならない。表紙が反っているハードカバーは、他の本を重石にして、まっすぐに伸びるまで置いておく。

私も本に書き込みをしたりページの端を折ったりするけれど、本がひどく汚れたり壊れたりするような状態にまではしない。ページを破り取ることだって、ほとんどしない(雑誌はする)。この『빛이 그리운 생각들』も、どうやら屋外の劣悪な環境で数年間(たぶん10年以上)放置されていたのではないだろうか。気の毒なことよ。

買ってきた本を捲ってみた。『빛이 그리운 생각들』は、4部に分かれていて、第1部が「體驗」、第2部は「隨想」と名付けられた随筆集で、第3部は断想集、第4部は「小論」と名付けられた評論集。序文で著者は言っている。

「수필」이라는 이름을 머리에 두고 글을 쓰기 시작한 지도 어언 십년이 가까와 온다. 처음부터 어떤 理論의 배경을 지고 시작한 것은 아니었다. 그러나 거기에는 항상 「붓장난」이상의 정열이 있었던 것같이 기억한다. 내 딴에는 이것을 취미로서 살리고 생활의 일부로서 대접하려는 적극적인 의도가 있었다. (1쪽)
なるほど。この人の随筆には、独特な味わいがあるけれど、それはこの序文に滲み出ている、表現することへの情熱からも伺われる。

各作品の末尾には、発表された日付がある。それを見ると、60年に書かれたものがいちばん古いようだ。その中には、昔読んで非常に印象的だった「새벽」という作品も含まれている。

もう1冊の『넌 가끔가다 내 생각을 하지 난 가끔가다 딴 생각을 해』は、長いタイトルだ。원태연という詩人は、이정일氏の説明からも感じられたけれど、タイトルを見ても、奇抜で新鮮な発想が豊からしいことが分かる。最初の「Ⅰ 지루한 행복」という題の詩を引用しよう。

초컬릿보다 달콤하고
과일보다 상큼하며
담배보다 끊기 힘들다는

사고는 싶은데
파는 곳을 알 수 없는
아! 싸랑이여
これを著者は詩に入れていない。「Ⅰ 지루한 행복」というのも、詩の題ではなく、詩集を4部に分けた最初の部の表題で、引用したのは、その下に書かれた短い言葉だ。でも、これが詩でなくて何だろう。

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2010年1月31日。21時ごろ、뿌리서점に寄った。この日も主人が数人の客と一緒に雑談に興じていた。いつものインスタントコーヒーをもらい、他のお客さんが差し入れてきた홍삼벌꿀Dまでもらった。

主人に、책방진호へ行って来た話をした。すると、책방진호の主人は今日も来たと言っていた。私も今日、책방진호へ行ってきたけれど、ということは、そのあと한강고수부지に車を止めて、知人と一緒に文法の話に興じている間に、뿌리서점に来たのだろう。

책방진호の主人が호산방の主人박대헌氏の批判をしていた話をした。値段を吊り上げて売ることに対する批判だ。それに対し、뿌리서점の主人は、호산방の社会に貢献した意義を力説した。古書の値段を適切に調節したおかげで、古書の海外流出を減らすことができたのだという。それにもかかわらず、書画に比べれば、古書の値段はまだまだ安いとのことだ。

そして、박대헌氏には著書もある、古本屋の主人が本を書くのは立派なことだ、と言った。著書のある古本屋の主人には、호산방の박대헌氏を含め、통문관の이겸노氏と공씨책방の공진석氏がいるくらいで、他にはほとんどいない。

私は、박대헌氏の『古書 이야기』は読んだけれど、이겸노氏の『通文館 책방비화』と、공진석氏の『옛책 그 언저리에서』は、インターネットや古本屋を探しても出てこないという話をした。すると、『通文館 책방비화』は以前何度か扱ったことがあり、이겸노翁が健在だった頃は、客がその本を求めると、相好をくずしてサインまでしてくれたという。いやあ、うらやましい話だ。私が古本屋に関心を持ち始めたのは去年の秋だから、そのときにはすでにみな過ぎ去った話になっていた。今は、その本を手に入れることすら難しい。

それで、私も他の客も、뿌리서점の主人にぜひ本を書いてくださいよと言った。뿌리서점の主人が語る古本の話なら、きっと面白いはずだ。すると、自分はあと60年古本屋をやったあと、120歳になったらそんな本を書くといった。120歳だなんて。私もそうだろうけれど、そんな歳まで生きていられるはずがない。書くならそのときになって書き始めるのでなく、今から書き溜めていったほうがいいと私は言った。

すると、いや自分は結婚するまで書き溜めてきた日記があったのだという。その日記は、ベトナム戦争に行っていたときに受け取った手紙などと一緒に保管されていた。けれども、店の上の方の棚に置いておいたら、知らない間に盗まれてしまったのだそうだ。そのあとは、その話で持ちきりになった。

今の売り場に引っ越してきてからのことだけれど、トラックに乗ってくる客がいたそうだ。その客は、本のことはよく知らないただの商売人かと思っていたけれど、ある日、自分が店を空けている隙に、上の奥まった棚――通路の上の本棚と本棚の間に板を渡して本を置けるようにしてある棚――にしまっておいた本の束を降ろしていた。主人が、それは売り物じゃないと言うと、そうですか、知りませんでしたと言って、束を置いて帰って行ったそうだ。ところが、あとで見ると、箱の中にいれて保管しておいた日記帳やら手紙やらが、箱ごとなくなっていたのだった。その後、その客は姿を現さないという。

それに対し、一緒にいた一人の客は、高価な古書が入っていると勘違いしたのだろうから、もう捨ててしまっただろうと言う。それに対し私は、いや、日記というのはいわゆる唯一本で、歴史の生き証人のようなものだから、価値の分かる人に売ったか、あるいは自分で持っているのではないかと言った。뿌리서점の主人は、あの日記は家に置いておけなかったから店に置いておいたのだけれど、秘密の倉庫に鍵をかけて保管しておかなかった自分が愚かだったといって、顔をしかめた。

私は、その日記が出てくることを期待している。김재욱氏の뿌리서점日記。ソウルに出てきてから古書の仲買人を始め、店舗を持って結婚するまでの歴史の証人。何とも興味深いではないか。

しかし、それ以上に、そのような本泥棒に遭う苦い経験など自体が、読者にはとても興味深い話だろうし、それを書くことによって、主人も大きな慰めを得ることができるはずだ。そういう点からも、뿌리서점の主人には、ぜひ古本屋経営の体験談を書いてほしいと思う。

ふと見上げると、その薄暗い天井桟敷で身を寄せ合っている本たちが、妖しい光を放っていた。主人はその後、客がそれらの本に手を触れないように、古本屋にとって必需品である脚立を、私たちの知らないところへ片付けてしまった。

ちなみに、この日は3時間近く話に興じたあげく、1冊も本を買わないで店を出た。
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by ijustat | 2009-12-31 22:55 | Bookshops

『꽃들에게 희망을』

트리나 포올러스著・김영무訳、분도출판사、1975。

c0019613_18565592.jpg뿌리서점で見つけたこの本は、内容がすべて手書きだ。しかも、ごく平凡な手書きで書かれている。決してうまい字ではない。絵も稚拙だ。それにもかかわらず、不思議と心を引くものある。

뿌리서점にはこの本が3冊あって、2冊は75年の版で、1冊は92年の版だった。75年版のうち1冊は汚れがはなはだしく、1冊はまあまあの状態。92年版は、綴字法を改めて出されたものだ。手書きなので筆跡も違っている。「ㅇ」を「・」のように書いているのが気に入らなかった。それで、75年版の状態のましな方を選んだ。76年の重版だ。

実は、私は手書きに惹かれるという奇妙な趣味がある。この本も、手書きだからという理由で手に入れた。韓国語の本を読むのは、最初から韓国語でかかれたものを原則にしているのだけれど、それはなかなか守られない。今回もその原則は簡単に破られた。手書きという珍しさに、内容もぜんぜん考えずに。

c0019613_1932043.jpgしかし、読んでみると、なかなかいい作品だ。蝶の幼虫が主人公の物語で、その幼虫は、ある日雲の上まで伸びている柱を見つける。それは、幼虫たちが互いに踏み合いながら天高く登って行くために生じた柱だった。その幼虫は、好奇心にかられて柱をよじ登っていく。そして、そこでたまたま出会った黄色い幼虫と愛し合うようになる。

これは、現代社会を風刺した寓話だけれど、寓話特有の説教臭さがあまり感じられないし、何よりも得体の知れない迫力に包まれている。それは、主人公の幼虫が、何度も迷い、疑いながら、それでも自分なりの決断を行うからだろう。

著者は序文で述べている。

이 이야기는
자신의 참 모습을
찾기 위해
많은 어려움을 겪어온
한 마리 애벌레의 이야기입니다.
그 애벌레는 나 자신을 ― 우리들 모두를 닮았읍니다.
このように、著者は社会の流れに惑わされずに本当の自分を見つけることの大切さを、この本で示している。そして、それが非常に難しいことは、物語の中で劇的に描かれている。

この本の原書は英語で、タイトルは“hope for the flowers”。1973年5月1日にカトリック系のPaulist Pressから出ている。韓国語版は1975年に、これもカトリック系の분도출판사から出て、日本語版は1983年に篠崎書店から『もっと、なにかが…』(片山厚・宮沢邦子訳)というタイトルで出ている。

韓国語版は現在、김석희という人の訳で시공주니어から1999年に出たものが手に入る。タイトルは同じ『꽃들에게 희망을』。ただし、著者名は表記が改められ、트리나 폴러스となっている。日本語では現在、『ぼくらの未来 花たちに希望を』(なるせたけし訳)という題で旺文社から、これも同じく1999年に出ている。

著者の트리나 포올러스(Trina Paulus:トリーナ・ポーラス)という人は、どうやらこの作品しか残していないらしい。とても活動的な人らしく、この本を26年の間に200万部売った他は、主に女性解放運動で世界を飛び回り、現在はアメリカのニュージャージ州で農業をしているそうだ。

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家族で夕飯を食べながら、夕べ뿌리서점で買った『꽃들에게 희망을』のことをブログに書いたと言ったら、次男が、「え? あの本うちにあるよ」と叫んだ。以前私が교보문고で買ってあげたものだという。まったく思い出せない。(妻がそれを聞いて、뿌리に返品しなよと横から叫んだ。)

それで、次男の持っている本を見ると、시공주니어から1999年に出たもので、装丁も印刷も製本も、私が持っているものより立派なものだ。翻訳の韓国語も滑らかだ。けれども、残念ながら、活字で印刷されている。

アマゾンで調べたら、原書も手書き文字でペーパーバックだ。분도출판사で出たものも同じ体裁になっている。この素朴な特徴は、新しい翻訳版でも生かしておくべきだった。
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by ijustat | 2009-12-31 18:49 | Books

『古書 이야기』

박대헌著、열화당、2008。ISBN : 9788930103343

c0019613_18453270.jpg古書店호산방(壺山房)の経営者박대헌氏の、古書にまつわる体験談。高校生のときに古本屋での本探しに魅了されて古書商となった著者が、稀覯本との出会いや、その収集や売買などについて述べている。

この本は大きく3部に分かれていて、1部は「고서의 세계」、2部は「잊지 못할 책, 못다 한 이야기」、3部は「책의 길을 걸으며」と題されている。

「고서의 세계」では、古書とは何か、古書をどのように扱うか、古書の収集家はどうあるべきかという点について扱っている。いわば古書概論といった内容だ。それは、本を扱う人にとって非常に有益なものだ。その中には、気づきにくい重要な忠告もある。たとえば、次のような注意を与えている。

고서를 다루는 과정에서 특히 주의해야 할 점이 있다. 자료 중에는 책뿐만 아니라 문서나 메모 등도 함께 있는 경우가 많다. 이때, 원래 보관되어 있던 상태를 결코 흐트러뜨려서는 안 된다. 특히 문서나 간찰(簡札)의 경우, 봉투 속에 들어 있는 내용물을 봉투와 분리해 놓아서는 절대로 안 될 일이다. 또 차례를 뒤섞어서도 안 된다. 차례가 뒤섞여 버리면 나중에 그 순서를 파악하기가 매우 어려워진다. (31~32쪽)
古書と一緒に入っているその他諸々の物は、決して分離したり順序を変えたりしてはならない。整理好きな人は、特に注意すべきことだ。

古書の収集においては「목적과 이에 대한 활용」(77쪽)を念頭に置くべきであると、著者は助言している。それについて「고서를 수집하는 데는 반드시 목적이 있게 마련이고, 또 있어야 한다. 오랜 시간과 적지 않은 돈, 그리고 열정이 따라야 하기에 더욱 그러하다」(39쪽)と述べ、目的意識のない収集にならないように注意している。さらに、「나는 수집 목적이 분명치 않다면 고서 수집을 그만두라고 단호하게 권하고 싶다」(42쪽)と断言までしている。

そして、目的が定まったなら、それに沿って収集の範囲を狭める必要がある。

수집의 목적이 정해졌으면 그에 맞는 수집 방향으로 철저하게 나아가야 한다. 아무리 큰 기관이라도 여러 분야의 책을 동시에 수집하는 것은 무리다. 특히 개인의 경우 수집과 보관에 따르는 한계가 분명히 존재하기 때문에 규모가 작을수록 좋고, 주제는 독특할수록 좋다. 이는 경제적인 문제와도 직결되기 때문에 매우 중요하다. (42쪽)

자신과 연관있는 주제라면 더욱 좋다. 직업・고향・종교・취미・전공 등과 관련짓는 것도 한 방법이다. (44쪽)
これは古書に限ったことではない。体系ある蔵書を形成する上でぜひとも必要なことだ。私がそのことに気付いたのは、7年前だった。それまでの私の蔵書は体系のない雑多な寄せ集めだった。それは、私の父の蔵書がそうだったからで、ただ本があることにあこがれているだけの蔵書、興味の赴くままに本を読んでいるだけの蔵書だった。

ところが、義父の蔵書は違っていた。17年前に亡くなった義父の蔵書を、7年前に整理したとき、そこに体系があることに気付いた。私の目には、1冊1冊が見えない糸で括られて、それぞれの本の意味が見えた。私は自分の蔵書と読書のあり方を恥じた。(しかし、私の蔵書の雑多さは、その後も直っていない)

ある日、友人が私に、自分の蔵書には抜け落ちた分野があるからそれを補う必要があると言った。でも、それは無意味だ。個人の蔵書は図書館ではない。自分の目的に合わせて形成されるものなのだから、抜け落ちた分野を補う必要はないのだ。自分が活用できる範囲に絞ればいい。そうしていても、著者が「수집 대상의 주제를 정해 놓았어도 수집하다 보면 범위가 자꾸만 넓어지는 것을 경험할 것이다」(42~43쪽)と指摘しているように、蔵書の幅が広がることは避けられない。

しかし、それでも自分の集めた本が、あとでよく見るとろくでもないもので埋められていることはよくある。それで、著者は次のように忠告している。

고서를 수집하기에 앞서, 어떠한 식으로든 고서를 평가할 수 있는 나름대로의 안목을 갖추어야 한다. (46쪽)
この忠告を読み、私は自分の専攻分野の本について、もう少し気合を入れて勉強する必要があることに気付いた。それはとりもなおさず、私の不勉強がこの忠告によって露呈したのだった。

さらに、こういうことも述べている。

연구 목적으로 고서를 수집하는 경우에는 별로 문제가 없다. 설령 처음에는 고서에 관한 지식이 부족하다 하더라도 그것을 연구하는 과정에서 자연스레 그 분야에 대해서만큼은 전문가가 되게 마련이다. (48쪽)
実に恥ずかしい限りだ。こんなところで、私の不勉強がそれとなく指摘されているとは。これと関連して、第3部でも「어떤 시대에 어던 내용의 책이 어떻게 출판되었는가를 종합하여 밝히는 일은 모든 학문에 기초를 닦는 작업이다」(166쪽)と述べている。

また、수집 십계명(52~68)と題して、古書収集家が購入時に注意すべき点をまとめている。

첫번째, 책을 뒤적거리지 않는다.
두번째, 사려는 책을 흠잡지 않는다.
세번째, 책값이 비싸단 소리를 하지 않는다.
네번째, 책값을 깎지 않는다.
다섯번째, 진본(珍本) 한두 권은 무리를 해서라도 산다. … 단호하게 마음을 접지 않고 망설일 정도의 값이라면 무조건 사라고 권하고 싶다.
여섯번째, 일단 구입한 책은 무르지 않는다.
일곱번째, 섭치 백 권보다 귀중본 한 권을 산다.
여덟번째, 알면 사고 모르면 사지 않는다. … 고서는 열 번 잘 사는 것보다 한 번 실수하지 않는 것이 중요하다.
아홉번째, 구입처와 구입 가격을 말하지 않는다.
열번째, 이 서점 저 서점 다니지 않는다. … 고서 수집의 성공 여부는 파트너 선택에 달려 있다.
実に理に適ったマナーだ。これは、礼儀作法というよりは、より効率的に古書を収集するための合理的なやり方といえる。

以上が主に第1部からいくつかを抜き出した古書の概論だ。第2部は著者が実際に古書の収集で体験したことや、著者が手に入れた本についての思い出話だ。緊張感あふれる話に満ちていて、古書の魅力をたっぷりと味わわせてくれる。第3部は、どのような考え方で古書店を始め、経営してきたかを綴り、そして、강원도の영월군で8年間책박물관を運営し撤退したいきさつを語っている。

책박물관の話は、著者の苦い思いがにじみ出ている。本人はぜひとも書きたくて書いたのだし、それは書くべき内容なのだけれど、もし古書の楽しみという点だけに焦点を当てて読むなら、最後の「영월책박물관」の直前で読みさした方がいいかもしれない。私は最後まで読んでやるせない思いになった。

박대헌氏の文章は、非常に歯切れがよく、主張も明快で、著者の頭脳の明晰さを感じさせる。しかもその筆致は、淡々とした語り口で一見クールに見えるけれど、人情の機微に通じていて、そのうえ古書に対する情熱があふれている。クールな文章で綴られた熱い思い。それが、読者を夢中にさせる。
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by ijustat | 2009-12-28 18:30 | Books

Νεοελληνικά Βασικά Ρήματα

Πήρα ενενήντα τέσσερα ελληνικά ρήματα με κυριότερα μέρη της κλίσης για να τα θυμηθώ·

1.

01 ある είμαι, θα είμαι, ήμουν
02 ある υπάρχω, θα υπάρξω, υπήρξα
03 生きる ζω (-έω), θα ζήσω, έζησα
04 住む μένω, θα μείνω, έμεινα
05 立つ στέκομαι, θα σταθώ, στάθηκα
06 座る κάθομαι, θα κάθω, κάθισα
07 起きる σηκώνομαι, θα σηκωθώ, σηκώθηκα
08 横になる ξαπλώνομαι, θα ξαπλωθώ, ξαπλώθηκα
09 落ちる・倒れる πέπτω, θα πέσω, έπεσα
10 過ごす περνώ, θα περάσω, πέρασα
11 なる γίνομαι, θα γίνω, έγινα
12 生まれる γεννιέμαι, θα γεννηθώ, γεννήθηκα
13 育つ μεγαλώνω, θα μεγαλώσω, μεγάλωσα
14 死ぬ πεθαίνω, θα πεθάνω, πέθανα
2.

15 する κάνω, θα κάνω, έκανα
16 遊ぶ παίζω, θα παίξω, έπαιξα
17 助ける βοηθώ (-άω), θα βοηθήσω, βοήθησα
18 準備する ετοιμάζομαι, θα ετοιμαστώ, ετοιμάστηκα
19 始まる αρχίζω, θα αρχίσω, άρχισα
20 終わる τελειώνω, θα τελειώσω, τελείωσα
21 止まる σταματώ (-άω), θα σταματήσω, σταμάτησα
3.

22 行く πηγαίνω, θα πάω, πήγα
23 来る έρχομαι, θα έρθω, ήρθα
24 運ぶ φέρνω, θα φέρω, έφερα
25 出発する αναχωρώ (-έω), θα αναχωρήσω, αναχώρησα
26 発つ φεύγω, θα φύγω, έφυγα
27 到着する φτάνω, θα φτάσω, έφτασα
28 訪れる επισκέπτομαι, θα επισκεφτώ, επισκέφτηκα
29 戻る επιστρέφω, θα επιστρέψω, επέστρεψα
30 歩く περπατώ (-άω), περπατήσω, περπάτησα
31 走る τρέχω, τρέξω, έτρεξα
32 運転する οδηγώ (-έω), θα οδηγήσω, οδήγησα
33 案内する γυρίζω, θα γυρίσω, γύρισα
34 入る μπαίνω, θα μπω, μπήκα
35 出る βγαίνω, θα βγω, βγήκα
4.

36 教える διδάσκω, θα διδάξω, δίδαξα
37 学ぶ μαθαίνω, θα μάθω, έμαθα
38 勉強する・研究する σπουδάζω, θα σπουδάσω, σπούδασα
39 知る φέρω, θα ξέρω, ήξερα
40 忘れる ξεχνώ (-άω), θα ξεχάσω, ξέχασα
41 思い出す θυμάμαι, θα θυμηθώ, θμήθηκα
5.

42 信じる πιστεύω, θα πιστέψω, πίστεψα (πως...)
43 待つ περιμένω, θα περιμένω, περίμενα
44 期待する ελπίζω, θα ελπίσω, έλπισα (να...)
45 関心を持つ ενδιαφέρομαι, ενδιαφερθώ, ενδιαφέρθηκα (για...)
46 愛する αγαπώ (-άω), θα αγαπήσω, αγάπησα
47 気に入る (μου, σου...) αρέσει, θα αρέσει, άρεσε (να...)
48 より好む προτιμώ (-άω), θα προτιμήσω, προτίμησα
6.

49 喜ぶ χαίρομαι, θα χαρώ, χάρηκα (που...)
50 感謝する ευχαριστώ (-έω), θα ευχαριστήσω, ευχαρίστησα
51 悲しむ λυπάμαι, θα λυπηθώ, λυπήθηκα (που...)
52 恐れる φοβάμαι, θα φοβηθώ, φοβήθηκα
7.

53 眠る κοιμάμαι, θα κοιμηθώ, κοιμήθηκα
54 目覚める ξυπνώ (-άω), θα κυπνήσω, ξύπνησα
8.

55 言う λέω, θα πω, είπα
56 話す μιλώ (-άω), θα μιλήσω, μίλησα
57 書く γράφω, θα γράψω, έγραψα
58 読む διαβάζω, θα διαβάσω, διάβασα
59 問う ρωτώ (-άω), θα ρωτήσω, ρώτησα
60 答える απανδώ (-άω), θα απαντήσω, απάντησα (σε...)
61 説明する εξηγώ (-έω), θα εξηγήσω, εξήγησα
62 呼ぶ καλώ (-άω), θα καλέσω, κάλεσα
63 歌う τραγουδώ (-άω), θα τραγουδήσω, τραγούδησα
64 求める ζητώ (-άω), θα ζητήσω, ζήτησα
65 頼む παρακαλώ (-έω/-άω), θα παρακαλέσω, παρακάλεσα
9.

66 笑う γελώ (-άω), θα γελάσω, γέλασα
67 泣く κλαίω, θα κλάψω, έκλαψα
10.

68 見る βλέπω, θα δω, είδα
69 見つける βρίσκω, θα βρω, βρήκα
11.

70 聞く ακούω, θα ακούσω, άκουσα
12.

71 持つ έχω, θα έχω, είχα
72 取る παίρνω, θα πάρω, πήρα
73 受け取る λαβαίνω, θα λάβω, έλαβα
74 予約する κρατώ (-άω), θα κρατήσω, κράτησα
75 置く βάζω, θα βάλω, έβαλα
76 あげる・くれる δίνω, θα δώσω, έδωσα
13.

77 売る πουλώ (-άω), θα πουλήσω, πούλησα
78 買う αγοράζω, θα αγοράσω, αγόρασα
14.

79 食べる τρώω, θα φάω, έφαγα
80 飲む πίνω, θα πιώ, ήπια
15.

81 飢える πεινώ, (-άω), θα πεινάσω, πείνασα
82 渇く διψώ (-άω), θα διψάσω, δίψασα
16.

83 閉める κλείνω, θα κλείσω, έκλεισα
84 開ける ανοίγω, θα ανοίξω, άνοιξα
17.

85 点ける ανάβω, θα ανάψω, άναψα
86 消す σβήνω, θα σβήσω, έσβησα
18.

87 掃除する καθαρίζω, θα καθαρίσω, καθάρισα
19.

88 作る φτιάνω, θα φτιάξω, έφτιαξα
89 切る κόβω, θα κόψω, έκοψα
20.

90 思う νομίζω, θα νομίσω, νόμισα (πως...)
91 考える σκέπτομαι, θα σκεφτώ, σκέφτηκα (να...)
92 欲しい θέλω, θα θέλω, ήθελα (να...)
93 試みる προσπαθώ (-έω), θα προσπαθήσω, προσπάθησα (να...)
94 できる μπορώ, θα μπορέσω, μπόρεσα (να...)
Έφτιαξα αυτό τον κατάλογο για πρώτη φορά στη 13 Νοέμβριο 2009, και αυτός είναι ο αναθεωρημένος του.
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by ijustat | 2009-12-27 01:29 | Greek

모든 책은 헌책이다

최종규著、그물코、2004。ISBN : 8990090180

c0019613_114133.jpg古本と古本屋について書いた本だ。もう少し詳しく言うと、古本がいかに価値あるものかを紹介し、その古本を発掘し流通させる古本屋は文化の保存に貢献していることを力説している。

日本でなら、古本屋というのは十分に面白い話題になるし、その価値は認識されているから、なぜこういう本を書いたかと説明すると、かえってまだるっこしい。ところが、韓国では事情が違う。著者はまえがきで、そのことについて触れ、次のように述べている。

이러다가는 헌책방이 다 사라질지도 모르고, 헌책방을 소중한 책 문화와 책쉼터로 느끼지 않거나 못하는 아쉬운 우리 현실과 눈높이를 가다듬으면 좋겠다는 마음으로 책 하나를 세상에 내놓습니다. (6쪽)
「이러다가는」というのは、古本屋がどんどん減ってきている現状を言っている。そして、古本屋に対する一般の韓国人の認識は、驚くほど低い。それではいけないと著者は感じている。この本では、古本屋を巡り、そこで出会った古本屋の主人との対話や、そこで出会った本の書評をして、それらの宝を掘り出して再び読者の手に渡す古本屋という仕事の重要さを強調している。

実はこの本を読むまで、そのような古本屋の重要さについて、認識したことすらなかった。古本屋は私にとって、なくてはならない存在だった。それを探すことは、空気の中に暮らすことぐらい、普通なことだった。しかし著者は、その空気がなくなってしまう危機を警告し、空気がどれだけ生命を豊かに実らせているかを見せてくれているわけだ。

この本は、大部分が古本屋巡りをしながら経験したことを骨格に、そこで出会った本の書評や、それらの本の意義について書いている。その読書の幅は、私のように偏っている人間から見ると、大変幅広く見える。ただし、韓国知識人の一般的傾向として、社会・人文系統の本が多い。

もしかしたら、古本屋のことを書くにしては、本の話と自分の考えが多すぎるのではないかと思う人もいるかもしれない。しかし、この本に対するインターネットの記事は好意的だ。それは、本が大事だという主張だけでは言い表すことのできない、本が私たちに与えてくれる利益を、まざまざと見せてくれているからだろう。日本にも、古本屋を巡ってそこで出会った本の魅力をたっぷりと伝えてくれる本はある。そういう脈絡で読めば、この本も同じような内容に見えるかもしれない。しかし、『모든 책은 헌책이다』が私たちにとって独特なのは、古本の魅力が認識されていないという韓国の実情の中で、一部の知識人や古本マニアしか知らない古本の大切さや魅力を強調しているという点だ。一見脱線に見える本についての感想が、実はこの本をいっそう豊かにしている。

この本は、主に오마이뉴스に連載されている최종규氏の「헌책방 나들이」というシリーズものの記事を中心に収録している。私も最近、ソウルの古本屋を巡りながら、その経験談をこのブログに書いているけれど、최종규氏の内容に比べたら、うすっぴらだ。私は、単なる好奇心から出発して、古本屋を巡りながら、それを書き留めることで少しずついろいろなことを学んでいるに過ぎないけれど、최종규氏は、長い年月を掛けて本格的に調べている。ソウル中の古本屋をくまなく巡るだけではなく、부산・인천・대전・청주・진주・제주と、地方都市の古本屋にまで足を伸ばし、そこにもすばらしい古本屋があることを紹介している。その経験をもとに、古本屋が社会的にどのような位置にあるのかを考察している。

古本屋めぐりに関しては、한겨레신문の임종업記者も「헌책방 순례」というシリーズものの記事を書いている。これも、インターネットで読める。その記事は、さすが記者だけあって、叙述や描写が的確だ。実は、私は新聞記者に対する不信感があって、文章を面白くするために内容を色付けしているのではないかといつも疑っているのだけれど、実際に行って来た古本屋について、あとで임종업記者の書いた記事を見つけて読むと、自分が見て感じたまさにそのままを描写しているので、誠実で信頼の置ける記事であることが分かる。ただし、このシリーズものの記事は、韓国文化の一端を担う古本屋を紹介して歩くという趣旨なので、その置かれている社会的位置や、その仕事の具体的な様子などについては触れていない。また、分量もそれほど多いわけではない。だから、韓国の古本屋について論じようと思うなら、『모든 책은 헌책이다』や、インターネットで最近も連載が続いている「헌책방 나들이」を読む必要があるだろう。現在韓国では、古本屋に関しては、초종규氏の右に出る人はいない。この人の書いたものを読んでからでなければ、それ以上のものは書けないだろう。

古本屋について著者の최종규氏が主張している部分をかいつまんでみよう。まず、古本屋の価値について、著者は次のように述べている。

오늘 보았을 때 아무것도 아니던 책이 열 해 뒤에는 무척 소중한 책이 될 수도 있는 게 헌책방 책입니다. (310쪽)
だからこそ、古本屋が必要なわけだ。もし新刊の本だけに価値があるのだったら、このようなことにはならない。しかし、現実には新刊に負けず劣らず、古本の価値は大きい。

この本では、古本屋が減少しつつある原因や、減少せざるを得ない理由について、事細かに述べている。まず、出版業自体の不振を挙げ、次のように書いている。

헌책방이 사라져 가는 까닭은 여럿입니다. 무엇보다도 책장사가 안되니 문을 닫습니다. 책장사가 안되는 까닭도 여럿입니다. 책을 새책으로 사 보는 사람이 준 게 첫째이고, 다른 이가 읽고 내놓은 헌책을 사 보는 사람이 준 게 둘째입니다. 사회가 책을 읽지 못하도록 하는 게 셋째이고, 아무리 그렇다 해도 우리 스스로 책을 찾아서 읽으려 하지 않는 게 넷째입니다. (374쪽)
それに、読書習慣の貧困についても指摘している。

사람들이 책을 자꾸 안 읽어 버릇하고, 읽어도 방송이나 신문에서 떠드는 책 몇 가지만 읽으니, 헌책방으로 들어오는 책이 줄어드는데다 들어오는 책마저 맨 그게 그거라는 것. (264~265쪽)
ソウルの古本屋に行くと、私が日本人だということを知った人から、日本は読書習慣がよく身についているとほめられることが多い。たぶん、隣の田んぼは青く見えるのだろうと思うけれど、それぐらい、韓国では読書をしない人が増え、また読書の質も落ちていることを物語っているのに違いない。

このことと関連して著者は、古本愛好者に対しても一言忠告している。

사실 새로 나온 책을 바로바로 '새책'으로 사서 읽는다면 훌륭하고 좋은 책이 판이 끊어져서 헌책방에서만 만날 수 있는 슬픔을 벗어날 수 있거든요. 새책방 없는 헌책방이 없기에, 무턱대고 갓 나온 책을 헌책방에서 싸게만 사려는 일은 헌책방과 새책방 모두에게 도움이 안 됩니다. (5쪽)
本が出たらすぐに古本で読もうとされては、出版社も新刊書店もたまったものではない。そのような悪習を直さなければ、本から受ける恩恵は、どんどん減ってしまう。そのために、古本を読もうと勧める本が、まず新刊書をたくさん読もうと主張している。

たとえば、『옛책, 그 언저리에서』(공진석著、학민사、1991)という本が、古本マニアが血眼になって探す本になってしまったことについて、著者は次のように批判的に書いている。

새책으로 사서 읽어 주었으면 그래도 이 책 목숨은 좀더 오래 버텼을 테고, 헌책방에도 헌책으로 더 많이 나올 수 있었겠죠. 하지만 책이 나왔을 때는 눈길 한 번 제대로 안 주고, 판이 끊어진 뒤 헌책방 <공씨책방>에서 잔뜩 갖다 놓고 팔았어도 찾아보지 않다가, 뒤늦게야 헌책방이 어떠고 저떠고 하면서 찾아보려 하니 참으로 안쓰러울 뿐입니다. (402쪽)
これについて、一言自己弁護しておこう。私も『옛책, 그 언저리에서』を最近になって読みたいと思うようになった。そして探してみたら、幻の本になってしまっていた。しかし、私が古本屋というものに関心を持ち始めたのは最近のことで、関連する本を探し始めた頃には、すでにこのような状態だったのだ。そのような本に、『通文館 책방비화』(李兼魯著、民學會、1988)もある。だからこそ、『모든 책은 헌책이다』を見つけてすぐに購入したのだし、『古書 이야기』(박대헌著、열화당、2008)も、そういう本があることを知ってすぐに買った。ちなみに、『古書 이야기』というのはすごく面白い本だ。文章も歯切れがよくて、読みやすく、内容も魅力にあふれている。

ところで、古本屋が減らざるを得ない理由には、古本屋に対する無理解も大きい。

...우리 사회가 그만큼 헌책방 임자들을 푸대접하거나 깔보는 눈길이 참으로 깊음을 새삼스레 돌아볼 수 있습니다. (286쪽)
古本屋を見下げる傾向があるというのは、최종규氏の書いたものを読むまでは、知らなかった。職業で人を判断するのは浅ましい態度だ。まあ私たちだって、古本屋は尊敬したとしても、きつい労働に従事している人たちを小ばかにする風潮があることは、否定できないだろう。このことが理由で、後継者が得られないことも指摘している。

아마도 책장사가 참 힘들고 돈벌이 또한 힘든 일이 헌책방 일이라서 젊은 분들이 부모 일을 이어받으려 하지 않는다고 생각합니다. 더구나 헌책방 장사라는 일이 사회에서도 푸대접을 받으니 누군들 소중한 집안일로 여겨서 물러받고자 하겠어요? (322쪽)
古本屋は人々の無理解だけでなく、行政的にも無視されている。家主は賃貸料をグイグイ引き上げ、ほとんどの古本屋はそれが払えないため引越しせざるを得ない。それに対する行政的な保護はゼロ。それで、重い本の山を抱えて転々とすることになり、その結果、古本屋は客を失い、客は古本屋を失う。それは、古本屋にとっても人々にとっても、不幸なことだ。

だから、読書文化を育むためには、新刊書店・図書館・古本屋を調和させる文化政策が必要だと述べている。

극장, 채육과, 경기장, 공연장, 경마장을 짓는 일도 좋습니다. 하지만 그런 시설 못지않게 '책 문화시설'로 새책방-도서관-헌책방을 알뜰히 즐길 수 있도록 이끄는 문화 정책이 있으면 더없이 좋겠습니다. (254쪽)
古本屋が減少するもう一つの原因として、古本屋に面白い本がたくさんあることを知らない人が多いことも指摘している。

헌책방 임자가 몸이 아프거나 세상을 떠나서 문을 닫는 일도 있지만, 살뜰히 갖춘 책을 알아보는 이가 드물어서 문을 닫는 헌책방이 더 많아요. (375쪽)
古本屋は本が供給されなければ成り立たない。ところが、その本の供給自体が難しくなっている。その一つに、読んだ本や本棚にある本を処分するとき、古本屋に売ることを考えず、紙屑として処分してしまうようになったことを挙げている。

쓰레기 분리수거가 널리 퍼지며 아파트마다 헌책을 '폐휴지'로 그냥 내다버립니다. 폐휴지 모으는 수집차는 헌책을 따로 나누어 '되살림'을 하지 않고 그냥 '폐휴지'로 처리합니다. (378쪽)
それでも、このようにして廃品回収業者に渡った本を、샛장수(仲買人)が拾って古本屋に売ることで、古本の供給がかろうじて成り立っている。それで、著者は次のように主張している。

헌책방은 무엇보다도 헌책이 제대로 들어올 수 있도록 공급 길을 열어 놓는 일이 중요합니다. (322쪽)
このように、本の供給が古本屋の経営には大きな問題になっているのである。そのような大変な仕事であるから、「요즘 같은 때에도 헌책방 일손을 붙잡고 있는 분들은 좋은 말로는 "책을 좋아해서 한다"고 하고, 나쁜 말로는 "책장사 말고 할 줄 아는 게 없어서 한다"고 합니다」(264쪽)というように、古本の仕事が好きでやっているか、あるいはそれ以外にできる仕事がなくてしているというのが実情だ。

このような現状であっても、外国の古本屋街を見てうらやましく思う韓国人は多いらしい。そして、韓国にそのような文化空間がないことを恥ずかしく思っているようだ。それについても、まずあなたが韓国の古本屋を楽しむことから始めなさいと忠告して、次のように書いている。

다른나라에 있는 헌책방 마을과 헌책방거리를 부러워하는 분들 많습니다. 그와 견줘 우리 모습을 부끄러워하거나 못났다고 보는 분들도 많아요. 하지만 우리 나라 헌책방거리가 많이 뒤떨어진 까닭을 생각해 보아요. 결과만 보지 말고, 그런 결과가 나온 까닭을 살피면 좋겠어요. 더불어 다른나라의 이름난 헌책방마을이나 헌책방거리는 없지만 전국 곳곳에 있는 좋은 헌책방을 즐겨 찾을 수 있으면 좋겠어요. (252쪽)
この『모든 책은 헌책이다』は、5年前に出た本だけれど、今では入手が難しくなりつつある。まず、出版社では現在品切れだ。교보문고でも영풍문고でも品切れになっている。古本屋にも出回っていない。しかし、インターネット書店ではまだ在庫があることが分かり、알라딘で購入した。
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by ijustat | 2009-12-24 23:48 | Books

신촌헌책방

2009年12月20日。공씨책방を初めて訪れたついでに、その右隣のブロックにある신촌헌책방へ行ってみた。ここも今回初めての訪問だ。

c0019613_2254178.jpg雑居ビルの薄暗い階段を上ると、2階に신촌헌책방があった。ガラスの扉を開けると、入り口の左側に主人がいた。カウンターの向こうの小さな座敷の上で、肘を突いて上身を起こし、脚には毛布を掛けて、テレビを見ていた。私と知人の顔を見ると、いらっしゃい(어서 오세요)と声を掛けたので、こんにちは(안녕하세요?)と返事をした。

そして、二言目に主人は、もうすぐ店をたたむから何でも選んできなさい、安く売ってあげるから、と言った。私は耳を疑った。

「店をたたむって、店をやめてしまうってことですか」
「そうです、店をやめます」
「いつですか」
「だから、もうすぐだってば!」

c0019613_23430100.jpgもうすぐというのは、知人があとで質問したところによると、あさってということらしかった。

店の中は荒廃していた。本棚の前に積み上げられていた本が崩れ、床を埋めている所もあった。そして、気づいてみると、店の中はひどく寒いのだった。暖房を使っていないうえに、向こう側の窓が少し開いているので、外から身を切る風が吹き込んで来る。

安くするって言うけどいくらですか、と知人が尋ねると、「たくさん買えば1冊2,000원、1冊なら4,000원!」と叫んだ。

まず知人が数冊選んで持って行った。すると、「これしか買わないんですか。安く売るって言っているのに!」と詰る。客を詰るとは、ほとんど自暴自棄だ。

本棚を見回ってみると、けっこういい本が多かった。この人は、自分の選書に誇りを持っているに違いない。そして、その店内の荒廃ぶりから、その努力が報われずに消費者に見捨てられた、絶望と怒りのようなものが、ひしひしと伝わってきた。

私は、韓国語学関係の本を探し、辞書類の棚を見回して、関心があっても普段はあまり手が出ないものを選ぶことにした。でも、辞書は少し大きいし、韓国では古本を目方で売る。それで、辞書も2,000원なんですかと聞くと、辞書は3,000원だと言った。特に大型の辞書は4,000원だという。それで少し慎重に選ぼうと思ったのだけれど、店内があまりに寒いので、落ち着いて本を選んでいられない。まるで肉屋かレストランの冷凍庫の中で本選びをしている気分だ。

c0019613_2455320.jpg私がぶるぶる震えていると向こうで、ずいぶん寒がりなようですねえ(추위를 많이 타시나 봐요)と、主人の驚き混じりの声が聞こえた。私に言ったのでなく、私の知人に向かって言ったのだった。もう客もへったくれもないといった態度だ。

奥の方には、韓国の昔の和綴じ本が積まれてあった。1冊2,000원だというので、そこからも数冊選んで持って行った。すると、これしか買わないんですか、とまた詰る。インテリアに使えるではないかというのだ。韓国の食堂などでは、昔の本を買ってきて、壁紙代わりに使うことがよくある。それはなかなか味なインテリアだけれど、それによって人類の貴重な財産が失われることも多いと聞いていた。もちろんそのことをおじさんも知っているだろう。にもかかわらず、わざわざそういうことを口にするとは、なんてことだ!

外とまったく変わらない冷え切った店内と、主人の冷え切った言葉! そして、半ば廃墟のように荒れ果てた、本の散らばる店内!

結局、次の本を買った。1冊分おまけしてくれて、合計22,000원。

 『七言唐音 上』(筆写本、書誌情報不明)
 『合六十首』(著者不明、丁巳年3月10日筆写)
 『中庸正文・撃蒙要訣』(李?、癸丑6月6日筆写)
 『花山先生逸稿 一』(木版本、書誌情報不明)
 『佛說夢受經常念 佛說高王觀世音經 佛說天地八陽經 卷之合部』(筆写本、?精舍、庚寅8月5日謄抄)
 『新稿國語學史』(兪昌均著、螢雪出版社、1969。1973年再販)
 『現代葡韓辭典』(鄭圭浩編著、松山出版社、1975。初版本)
 『le bon usage』(Grevisse 著、Duculot、1975年改定10版)
 『泰韓辭典』(한국외국어대학교 태국어과編、한국외국어대학교 출판부、1993。2000年改訂版)

なんとも脈絡のない買い物をしたものだ。でも仕方ない。寒くてたまらなかったのだから。

往時の신촌헌책방については、임종업記者が2005年8月4日付の「헌책방순례」で次のように書いている。

신촌헌책방(02-3141-5843)은 책이 많다. 북아현동 추계예술대 앞에서 신촌으로 옮겨올 때 1t 트럭 열네 대 분량이었다. 지금은 더 늘어 책방인지 창고인지 구분이 되지 않는다. 100권이 들어오면 20~30권이 팔린다는 주인 오응(64)씨의 말이 사실이라면 이곳은 책방으로 시작해 창고로 변하는 중이다.
http://www.hani.co.kr/kisa/section-paperspcl/book/2005/08/000000000200508041714878.html
これを読むと、私たちが訪れたときも本が多かったけれど、2005年の当時はもっと多かったことが伺われる。そして、「30평 넓이의 이곳은 사방벽과 책꽂이에서 넘쳐난 책들이 책꽂이 위에, 바닥에 마구 쌓여있다. 최소한의 손길만 주기로 한 것인가, 책의 쌓임도 되는대로다」と描写しているところから見て、本の扱いが雑だったのは、今に始まったことではないらしい。

その来歴について、『모든 책은 헌책이다』の著者최종규氏は、それに先立つ2004年6月29日の記事で、次のように紹介している。

서울 신촌에 새로운 헌책방 한 곳이 문을 열었습니다. 지난 5월 첫머리에 열었다고 합니다. 그런데 옹글게 새로 연 곳이라고는 할 수 없습니다. 책방 이름은 <신촌헌책방>인데, 이곳은 지난날 서울 북아현동에서 <책방 책사랑>으로 헌책방 살림을 꾸리던 분이 옮겨와서 새롭게 연 곳이에요.

아현동에 있던 <대성서점> 아저씨도 헌책방 살림을 함께 꾸립니다. ……
http://www.ohmynews.com/NWS_Web/view/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0000194652
つまり、북아현동にあった「책방 책사랑」と아현동にあった「대성서점」が、2004年に一緒にここ신촌で古本屋を始めたというわけだ。この主人はどっちの店の人か分からないけれど、古本屋を10年間やってきたと声を振り絞るように言っていたので、아현동か북아현동で99年から店を始めたということか。

임종업記者はこの2人について、「주인 오씨는 하품을 뻑뻑하고 있었고, 젊은 동업자 김창수(48)씨는 넓은 창턱에 누워 있었다」と書いている。だから、私たちが会ったのは김창수という名の人だ。「넓은 창턱에 누워 있었다」というのも、私たちが会ったときと同じだ。김창수氏は、当時の記事から4年たっているので、今は52歳か。かなり若く見える。私たちと話をしたとき、故郷は강릉だと言った。知人はその人に、言葉を聞いてその辺の人だろうと思っていましたと言っていた。詰られた仕返しか。何気なくイケズをやっている。

本代を支払いながら、この仕事をやめたら今度は何をするんですか、と尋ねると、私の顔を見るばかりで答えなかった。その表情には、当惑と苦悩が入り混じっていた。聞いてはいけないことを聞いてしまったような気がして、今度はお金持ちになれたらいいですね、というと、そうさ、お金持ちにならなきゃ、と呟くように答えた。

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2010年1月24日。何時間もかけて、西暦に十干十二支と日本の年号と韓国の年号を対照させた表を作った。7世紀の後半から今年までで、A4の紙に2段組で20枚になった。それを使って、先日買った本がいつ書かれたのかを調べてみた。

まず最初に、比較的新しそうな『佛說夢受經常念 佛說高王觀世音經 佛說天地八陽經 卷之合部』(筆写本、立石(?)精舍、庚寅8月5日謄抄)を見てみた。「庚寅」とあるけれど、今年は庚寅だ。去年買った本が今年書かれるわけがないので、いちばん新しいのは1950年。その前は1890年だ。

でも、この本は土地台帳のような用紙の裏紙に書かれている。その用紙の予備がページの間に束になって挟まっているので、その一枚を開いてみると、原稿用紙のような紙で、中央に「権利者名簿(乙) 全羅南道」と印刷されている。そして、それぞれのマスに、鉛筆書きで漢字と数字が書き込まれていて、その数字はたとえば「九四〇八」のように、ゼロを「〇」で書く漢数字が用いられている。

時代考証する知識はないけれど、鉛筆書きといい、ゼロを「〇」と書く点といい、甲午更張(1894年)以前の1890年の用紙とは考えがたい。ということは、『佛說夢受經常念 佛說高王觀世音經 佛說天地八陽經 卷之合部』は1950年に書かれたものと思われる。1950年といえば、朝鮮戦争の真っ最中だ。その頃韓国で出た本は、ほとんどなく、希少価値が高いのだけれど、筆写本はいかに。

なお、この本の手本となった本は、ずっと古いもののようだ。漢字の右脇にハングルの読みが書かれているけれど、その綴りは「한글 마춤법 통일안」公布(1933年)以前のものが用いられている。

次に、『合六十首』(著者不明、丁巳年3月10日筆写)だ。これは表紙に「丁巳三月初十日自京做南陽/合六十首」と書いてあるので、「丁巳」に書かれたのだろうと推定してみた。丁巳は、いちばん近いのが1977年だけれど、紙の状態からいって、そんなに新しくはなさそうだ。その前は1917年で、その前は1857年。しかし、私はこれを紙の質からいずれに書かれたのか判断することはできない。ただ不審なのは、その左横に、同じ筆跡の横書きで、「丁巳」と書かれているように見える点だ。1857年当時、現在のような左横書きはなかったのではないかと思うから、1917年に書かれた可能性が高いと思われる。

ところで、上の表紙の覚書にある「自京做南陽」はどういう意味だろうか。もしかしたら、「做」に“行く”というような意味があるのだろうかと思って『新字源』を引いてみたけれど、そういうような意味は載っていなかった。そこで考えたのは、「自京」とあるのは「於京」の誤りではないかということだ。韓国語では、「何処で」というときの「で」の意味に助詞「-에서」を用いるけれど、この「-에서」は、「何処から」というときの「から」の意味でも用いる。それで、「한양에서 '남양'을 지었다」という意味でうっかり「自」という字を使ってしまったのではないかと思う。

次に、『中庸正文・撃蒙要訣』(李?、癸丑6月6日筆写)。これも筆写本だ。「癸丑」とあり、癸丑を新しい順から見ていくと、1973年、1913年、1853年、もう一声かければ1793年だ。紙はかなり古く、叩いたら家中がほこりだらけになりそうだ。신촌헌책방で買った筆写本の中で、いちばん筆跡がましなものだけれど、立派というほどではない。今で言えば高校生から大学生ぐらいの少年(少女?)が書いたものと思われる。

それはともかく、書誌情報を得る糸口となるものは見つからない。表紙を開いた扉の部分に「癸丑六月也」と躍るような字で書いてあり、本文の最後には「六月六日終」と書いてあるけれど、それがいつのことなのかを明らかにする糸口は、残念ながら出てこない。たぶんこれを筆写したのは1853年ではないかと思うけれど、保存状態が悪ければ、1913年でもこのぐらい薄汚れるかもしれない。

それから、『七言唐音 上』(筆写本、書誌情報不明)だけれど、これは書誌情報がない上に、よく見たら字が下手だ。たぶん小学生高学年か中学生ぐらいの子供が書き写したのだろう。字にまとまりがない。いくらたったの2,000원とはいえ、何でこんなものを買ってしまったのかと後悔した。誰かに、これは朝鮮時代のすごい本だと偽って、ただであげてしまおうか。

最後の『花山先生逸稿 一』(木版本、書誌情報不明)は、書誌情報はないけれど、著者は權柱という人らしい。インターネットで名前を調べると、「안동넷」というサイトに「화산(花山) 권주(權柱)」(김성규 객원기자)という記事があり、そこに次の一節がある。

세조 丁丑(정축:1457)년에 선생이 나시니 태어날 때부터 남다른 자질이 있고 총명했으며 특히 기억력의 뛰어남이 남들과 달랐다.
http://www.andong.net/news-2007/view.asp?seq=3991
これによれば、權柱という人は、1457年に生まれたということだ。

신촌헌책방で買った『花山先生逸稿 一』の後ろの部分には、「攷證(考証)」とあって、そこの最初の「詩因讒親讎以下四篇」について「按實錄己未年十二月十四日承 命製進」とあり、次の「謚冊」について「按實錄燕山君記四券~」とあるから、燕山君年間の己未といえば、燕山君5年で、1499年のことだ。「詩因讒親讎」を初めとする数編の詩は、權柱という人が、たぶん満42歳のときに書いた文章というわけだ。

국가지식포털」というサイトで検索すると、「花山先生逸稿」は1798年に発行されているそうだ。抄録には「이 책은 안동권씨 정남문고에서 소장하던 『화산선생일고(花山先生逸稿)』이다. 권주(權柱, 1457~1505)의 시문들을 총1책으로 엮어 1798년 목판본으로 간행하였다」とあり、この本が1冊になっていると説明されている。

しかし、私が持っているものは書名の下に「一」とあるから、分冊になっているわけだ。それに、紙の状態もよく、縫い閉じた糸もしっかりしている上に、大部分の頁の版型は横向きに無数の筋が入っていて、所々の版型は新しい(花山先生逸稿の1~3, 7, 13, 15, 16, 24~28, 39, 44, 47頁、讀四宰權公逸稿の4, 7頁)。古い方の版型は、刷った当時も優に百年以上は経っていたのではないかと推測するけれど、専門家が私の話を聞いたら舌を出すだろう。たぶん日帝期かそれ以前に刷ったものだろうとは思うけれど、紙の状態がいいので、100年以上経っているようには思えない。

というわけで、私の頼りない書誌鑑定であった。

これらの本は、박대헌氏の言う「섭치(安物の古書)」に違いない。「지금의 섭치는 영원히 섭치다」(古書 이야기, 63쪽)と言っている意味も分かるような気がする。今後これらの古書が何か学問的な価値を持つようになるとは、ちょっと考えられないからだ。
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by ijustat | 2009-12-21 02:19 | Bookshops

공씨책방

공씨책방は、신촌로터리から동교동삼거리へ向かう大通りの途中にあり、100メートルほど先には신촌장로교회がある。緑の看板が目印だ。

c0019613_2234861.jpgずいぶん前から入ってみたいと思っていたけれど、いつも店の前を車で素通りするばかりだった。しかし今日(2009年12月20日)は、知り合いと교보문고で会って話しながら、ふと思い立ち、誘って공씨책방へ来た。

店の前にも目を引く本が見えたけれど、ひどく寒いので、とてもゆっくりとは本を見ていられない。そそくさと店の中に入った。店の中も寒かったけれど、外に比べればはるかに暖かかった。色白でふくよかなおばさんが、書棚の整理をしながら、いらっしゃい(어서 오세요)と言った。

あまり広いとはいえない店内に、本がぎっしりと詰まっていた。しかし、本棚はわりと整っている。女性が管理しているからか。入り口から入って中央の奥に、歴史資料などを中心とした本が並んでいた。知り合いは歴史に関係があるらしく、その歴史関係の資料を見ていた。奥の右の方ではCDを売っていて、その隅に、そのコーナーの店番をしている50代の男性がいた。おばさんはその男性を、「사장님」と呼んでいた。CDの値段を見ると、6,000원と表示されていた。

공씨책방は、공진석氏が“古本屋の교보문고”を夢見て始めた。昔は광화문にあって、当時の古本屋としては最大規模の44坪という店舗面積を誇り、かなり繁盛していたらしい。しかし、再開発のため立ち退きを要求され、新たな店舗に相応しい場所の獲得に苦労していた1990年7月、대양서점で本を買い店に戻るバスの中で、心臓発作を起こし他界した。

その後、奥さんが店を引き継いだ。한겨레신문の임종업記者が、現在の공씨책방について、2006年4月13日付の「헌책방 순례」に次のように紹介している。

서대문구 신촌에서 동교동으로 넘어가는 고갯마루. 15평의 공씨책방(02-336-3058)에는 공진석씨의 빈자리를 아내 최성장(61)씨와 조카 장화민(50)씨가 지키고 있다. 조카 장씨는 애초 ‘책보다 가족을 더 중시하는’ 자신은 이모부와는 비교할 수 없다면서 인터뷰를 거절하다가 응했다.
http://www.hani.co.kr/arti/SERIES/20/115599.html
その後20年近く、신촌のこの場所で2人で店を守ってきたわけだ。私が行ったときには、奥さんの최성장さんはおられず、店を守っていたのは姪の장화민さんだ。色白でふくよかなそのおばさんは、おっとりとした上品な人で、私にも공진석氏の逝去を、まるで昨日のことのように話してくれた。

ところで、공진석氏の逝去したいきさつについて、임종업記者は同じ記事で、私が直接聞いたよりも詳しく書いている。

가족보다 책을 더 소중하게 여겼던 공진석씨는 1990년 7월 50세의 젊은 나이로 타계했다. 광화문 교보문고 옆에 ‘헌책방 교보문고’를 꿈꿨던 그는 재개발로 헐리게 될 공씨책방이 옮겨갈 자리로 빵집자리를 찍어두고 건물주한테 편지를 쓰고 만나는 등 설득했다. 결과는 언감생심, 씨도 먹히지 않았다. 꿈과 현실의 간극에서 스트레스를 받은 그는 서대문구 문화촌 대양서점에서 논문집 30여권을 사서 시내버스를 타고 책방으로 돌아오던 중 유진상가 언저리에서 심장마비로 쓰러졌다.
임종업記者が「꿈과 현실의 간극」と書いているように、韓国の古本屋はかなり厳しい現実の中にいる。店には来客が絶えず、高校生や大学生も来ていたし、私が見ている間にも本が売れていたけれど、店を守っていた장화민さんの表情には影があった。たぶん、공진석氏のいた頃の隆盛を見ているので、店の縮小した現在の状況を悲しく思っているのだろう。私に話すときも、当時の様子を思い浮かべながら、自分にはあれほどのことはできないとこぼしていた。

実は、임종업氏の記事は前に読んだことがあり、その中に出てきた장화민さんの言葉を読んで、反省させられたことがあった。장さんは、次のように語っていた。

“일본사람들이 옛날책 영인본, 한국족보를 수집해 가요. 우리가 버리거나 거들떠보지 않는 것들을요.”
そうか。私は興味の赴くままに本を買っていたけれど、공씨책방を訪れる日本人は、歴史的な価値のある本を収集しているのだ。もちろん、それを読んで自分の研究に役立てるためだろう。私は、そのように韓国人が見向きもしない価値ある資料を見出す日本人を誇りに思うと同時に、そのような立派なことをしない自分を恥じた。でも私は、韓国の族譜を買っても使い道はないし、読んでも何のことか理解できない。他人の家族だと思うと、何の興味も湧いてこない。

今日この店で買ったのは、次の1冊。値段は4,000원。

『국어 의미론』(임지룡著、탑출판사、1992 <1997年6刷>)
공씨책방の電話番号は、02-336-3058。住所は……名刺をもらうのを忘れていた。

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『모든 책은 헌책이다』(최종규著、그물코、2004)を読んでいたら、次の箇所があった。

저는 『옛책, 그 언저리에서』라는 책을 서울 신촌에 자리한 헌책방 <공씨책방>이 흑염소집 옆에 자그맣게 붙어 있을 때 보고 처음 알았습니다. (402쪽)
その店なら、私も行ったことがある。狭いけれど、いい本が集められている古本屋だった。その後、久しぶりに行っときにはもうその店がなかったので、とても残念に思ったものだった。

その店が공씨책방だったとは。主人のおばさんに、공씨책방には初めて来たと言ったけれど、実は初めてではなかったわけだ。

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2010年1月14日。최종규氏が10年近く前の2000年9月20日に오마이뉴스に書いた記事を見つけた。その記事も、以前공씨책방があった場所に触れていた。

<공씨책방>만 해도 제가 처음 찾아가던 94년에는 지금 자리보다 현대백화점쪽에 훨씬 가까운 버스정류장 앞에 있었거든요. 버스정류장을 앞에 두고 아래로 움푹 파인 길가에 자리했을 때 사진 한 장 찍어두지 못했기에 그때 흔적이나 모습은 그저 이야기로만 남았을 뿐입니다.
http://www.ohmynews.com/NWS_Web/view/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0000018936
ここで「버스정류장을 앞에 두고 아래로 움푹 파인 길가」と言っているのは、重要な描写だ。それから、최종규氏は分かりやすく「현대백화점」と言っているけれど、94年の当時はまだ「그랜드백화점」だったと思う。

それにしても、不思議なのは、それまで探していても出てこなかったものが、ある日ひょんなことから出てきて、そのあとそれに関連するものがたくさん出てくることだ。最近はインターネットでそれを経験することが多い。以前は、足掻いているうちに知識や情報が集まってくるという感じがしていた。これは、一種の“探し物の法則”と言えるかもしれない。
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by ijustat | 2009-12-20 21:57 | Bookshops

합서점

今はやっていない古本屋だ。その建物は、가회동にある「中央高等學校」正門の左隣にぴったりと寄り添う形で佇んでいた。

c0019613_17323240.jpg今日(2009年12月19日)初めて行ってみると、店があるはずの建物には看板もなく、窓は閉ざされて中が見えなくなっていた。通りの向かいにはペ・ヨンジュンのグッズを売る店が2軒できていて、そのうち1軒は、합서점の真向かいにあった。私が呆然と합서점があったはずの建物を眺めていると、背後で日本人女性客と主人とが日本語で話すのが聞こえた。

彼女たちはペ・ヨンジュンに関心があり、ここに古本屋があったことなんて知らないだろう。一方私は、古本屋に関心があってここへ来た。同じ日本人が、同じ場所に、まったく異なる脈絡で存在するのが奇妙に感じられた。

日本人客が去ったあと、まだ店の前に出ていた主人に聞いた。「여기는 합서점 맞죠?(ここは確かに합서점ですよね)」「네. 안 한 지 오래 됐어요.(ええ。もうやめてからずいぶん経ちますよ)」「언제 쯤 그만뒀어요?(いつやめたんですか)」「한 삼사 년은 됐어요. 아주머니는 아직 계시는데요.(2~3年は経ってますよ。おばさんはまだいますけどね)」

でも、私はその会ったことのないおばさんに関心があるわけではないので、気のない返事をしたら、その店の主人は静かに中へ入っていった。

c0019613_174854.jpg최종규氏の『모든 책은 헌책이다』(그물코、2004)では、「'모아 준다'는 뜻에서 '합(合)'서점이라 이름을 붙였다지요. 책을 모으고 사람 마음을 모으고 뜻을 모은다는 생각에서요.」(277쪽)と、「합(合)」という店名の由来を説明ている。(右の写真は、최종규氏が撮ったもので、『모든 책은 헌책이다』の278頁に載っている。この写真の載っているオリジナルの記事は2002年12月8日に오마이뉴스に書き込まれているから、おそらく2002年の晩秋に撮ったものだろう。この写真は、「합서점」と入力して検索すれば、インターネットでも見ることができる。)

この古本屋は、배용준氏の出演するドラマに背景としてカメラに捉えられたこともあるそうで、その情緒ある建物の雰囲気も印象的だ。それに、「合서점」と細い明朝体で布の庇に書かれた店名も、いい感じだ。この店の主人であるおばさんも、とてもいい人らしい。최종규氏は書いている。

<합서점> 아주머니는 오랜만에 찾아온 책손임에도 얼굴을 떠올려 주십니다. 당신은 따님과 늦은 낮밥을 드시는 듯한데, 밥을 안 먹고 돌아다니는 것 같다며 저에게도 너구리를 한 봉지 끓여 주십니다. 어른이 해 주시는 건 사양하기 어려워 라면을 받고 마침 옆에 눈에 띄는 책이 있어 집어들고 천천히 보면서 국물까지 후루룩 하나도 남기지 않고 다 비웁니다.(279쪽)
しかし、そういう합서점も、本の仕入れが困難なこともあって、経営は苦しかったらしい。店じまいしてしまったのも、それが理由になっているのではないだろうか。

こんないい店が姿を消してしまうのは残念だけれど、韓国の古本屋事情はかなり厳しいらしい。韓国にいてつくづく感じるのは、文化がちぐはぐだということだ。私の目には、いいなあ、これは本物だなあと思うものを粗末に扱い、これは物まねだなあ、うすっぴらだなあと思うものを珍重する。まあ、日本もそうかもしれない。

帰宅後、もう一度調べてみたら、최종규氏が오마이뉴스に「가회동 중앙고등학교 옆에는 간판은 그대로 남은 헌책방 〈합서점〉이 버티고 있습니다」(http://www.ohmynews.com/NWS_Web/view/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0001166134)と書いて、합서점がまだ健在だということを知らせたのが、今から半年前の2009年6月28日だ。一方、向かいの店の主人は、3~4年前に店じまいしたと言っている。

いずれにしても、看板はもうないし、営業もしていないのだから、やめたのが4年前でも数ヶ月前でも、同じことかもしれない。何だかとても残念な気分になった。
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by ijustat | 2009-12-19 17:26 | Bookshops

古本屋の魅力

古本屋の魅力について考えてみた。

実は、こんなことを考えたのは、今が初めてだ。自分の買う本が新刊書か古本かということは、ほとんど意識していなかった。新刊案内などで面白そうな本や必要な本があったら、新刊書店へ買いにいくし、ほしい本だけれどもう出回っていない場合は、古本屋を回ってみる。それだけだ。

時には、書店に並んでいる本でもロングセラーなら、まず古本屋に当たってみることもある。以前、東京の書店で本を定価の700円で買い、その日に川越の古本屋へ行ったら、同じ本が300円で売られていた。それを見たときは、ショックだった。そういう苦い経験をしないためにも、まず古本屋へ行ってみて、なければ新刊書店へ行くべきだという教訓を得た。(その教訓は、すぐに忘れる。)

それに加え、最近は、本屋へ行かなくても、インターネットで新刊でも古本でも買えるようになった。だから、オンラインでもオフラインでも、新刊でも古本でも、それらは使い分ける道具ぐらいにしか考えていなかった。

そういうわけだから、ことさら古本屋の魅力ということを考えたことはなかった。知り合いや友人をソウル市内の古本屋に連れて行くときも、なぜ古本屋かなんて問いは、発しないどころか、心にも浮かんでこなかった。

しかし、韓国では、古本屋へ行く人は、古本屋がなぜ良いかということを強調する場合が多いような気がする。最近読んでいる、최종규氏の『모든 책은 헌책이다』(그물코、2004)でも、古本の魅力を強調していた。職場の同僚の先生も、以前私を誘って古本屋を回ったとき、なぜ古本屋が良いかという話をしていた。

これは、岡崎武志氏の『古本病のかかり方』(ちくま文庫、2007 <オリジナルは、東京書籍、2000>)とはだいぶ印象が違う。こちらは、古本によって面白い本を見つけていく面白さにのめりこんだ本で、私なども、その脈絡でソウルの古本屋を巡っているクチだ。

そんな風に、あまり深く考えていないと主張しながら、ふと気づいてみると、それは古本屋の魅力をたっぷりと味わっているのだった。だから、それについて考えてみることも、無駄ではないだろう。

古本には、新刊書では滅多に得られない2つの魅力がある。一つは、安さ。もう一つは、すでに市場から撤退した本が手に入れられることだ。

安いということは、古本屋の大きな魅力だ。新刊書店では、割引されてクーポンまで付いても、せいぜい1~2割りしか安くならない。3割安くなったら、大もうけだ。たとえば、今日は교보문고で、海外注文していた『フィンランド語は猫の言葉』(稲垣美晴著、猫の言葉社、2008<オリジナルは、文化出版局、1981>)を受け取った。この本は、課税前の定価が1,600円で、韓国での定価は27,520원だ。これは、円にすれば2千円以上になり、原価に30%ほど上乗せされている。ところが、今日は外国書籍を2割引でセールしていて、さらに私はマイレージポイントが1,000원あり、それにインターネットで買ったときにもらったクーポンチケットが1,000원分あって、それらを使ったら、20,020원で買うことができた。これは、課税前の定価よりも、ほんのわずかばかり安い。ずいぶん安く買えた気分になった。

でも、もしこれがソウル市内の古本屋なら、10,000원あれば買えるだろう。뿌리서점なら3,000원かもしれない。もちろん、ソウルの古本屋で『フィンランド語は猫の言葉』を手に入れることは、まず期待できない。だからこそ、海外注文をしたわけだ。

韓国の古本屋では、新品同様の本も、専門書でない限りは、半額以下の値段で手に入る。たいていの本は、もっと安い。絶版かどうかも、あまり問わない。というより、韓国はすぐに絶版になるから、それで無闇に値段を吊り上げていては、ただでさえ遠のきつつある客足が、ますます遠のいてしまうということだろう。(ただし、有名な本の初版は、高い値段がついていることがある。)

しかし、安さとはまた別のところにも、古本屋の大きな魅力がある。それは、市場から撤退した本を手に入れられる喜びだ。この場合は、値段が多少(あるいは、すごく)高くても我慢できる。

だいたい、関心分野のある人なら、ほしい本を手に入れようと思ったら、たいていは新刊書店にないことを知っているだろう。新刊以外は、かなりの名著でも、忘れたころに復刊するくらいだ。だから、図書館か古本屋に当たることになる。図書館では、本を貸してはくれるけど、譲ってはくれないから、その本を所有したいなら古本屋を調べなければならない。しかも、かなりの根気と忍耐をもって。

これはほしい本のある場合だったけれど、そうでない場合も、古本屋は楽しいのだ。それは、時代の束縛から自由にしてくれるからだ。新刊書店に並んでいるものは、その多くが最近書かれたものだ。古いテキストでも、印刷・製本されたのは最近であり、それは現在という時間によって意味づけされて、書店に並んでいる。だから、どれもこれも、“現在”という視点に縛られているわけだ。そこから自由になろうとするどころか、率先して時代に縛られようとしている。どんなにいい内容でも、どうせ買う人は100人か200人という場合は、出版される望みは薄い。

しかし、古本屋では、だいぶ状況が違う。韓国の古本は、たいていは1950年代以降に出たものだけれど、それでも同じ本棚に、60年もの溝をものともせずに、本が並んでいる。古本屋の中にいると、60年の時間の流れの中を、自由に往来できるのだ。日本の本などは、もっと古いものもけっこうある。そういう本にずっと接していれば、現代という時代の中で熱くなっている頭を冷ますこともできるし、この時代の中で見えなくなっているものを、もう一度見てみたいという気にもなってくる。40年も50年も前の本は、あるものはぜんぜん古く感じられないけれど、あるものは現在の私たちとは視点がかけ離れていて、むしろ新鮮ですらある。一見ばかばかしく感じられるけれど、逆に考えれば、仮に50年未来の本を読むという奇跡があったとしたら、その本の内容を、奇妙で馬鹿げた話に感じる可能性は、十分にあるわけだ。未来の本はともかく、そういう時間的多様性を経験できる場が、古本屋だ。

私の場合は、言葉に興味があるので、その興味も古本屋は満足させてくれる。書かれた年をさかのぼるにつれ、少しずつ使う言葉が今と違ってくる。これは韓国でも同じことだ。その言葉の違いが、紙の色だけでなく、本のデザインや印刷・製本の違いなどとも連動している。紙が茶色く焼けてくるにつれ、珍しい言い方が、だんだん増えてくる。表記も変わるし、書字方向も変わる。韓国も昔は縦書きの本が多かった。それを、翻刻でも写真版でもコピー版でもなく、現物で接することができるのだ。この魅力は、地方を旅行して、徐々に移り変わっていく土地の話し言葉に触れるような面白さとも似ている。

それを考えてみて、自分がなぜブックオフにあまり魅力を感じないのかが分かった。ブックオフには、新しい古本ばかりだ。だから、安いという魅力はあるけれど、胸をわくわくさせるような時間旅行はできない。せいぜい近郊へ日帰り旅行に行くといった程度か。もちろん、ブックオフが嫌いなわけではないし、行けば必ずいい本を見つけることはできるのだけれど、何箇所も古本屋がある場合は、優先順位からして後回しになってしまう。ソウルにも2箇所、북오프(ブックオフ)ができていて、日本語科の学生たちの間で評判だけれど、残念ながら私はまだその前を素通りするだけで、店の中には入ってはいない。その前にまず行ってみたい古本屋が、공씨책방、신촌헌책방、영광서점、문화서점、골목책방、우리서점、책방진호、통문관と、たくさん控えていて、북오프の前にはまだまだ何箇所もの、先に行きたい古本屋が待っている。

私にとっての古本屋の魅力は、そんなところだろうか。また新たな魅力を発見したら、そのときにまた書こうと思う。
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by ijustat | 2009-12-18 07:59 | Bookshops

헌책방 오거서

夕べ(2009年12月11日)、アラビア語の辞書が手に入らないか調べていたとき、偶然この헌책방 오거서に出会った。このとき見つけたのは『표준 아랍어 - 한국어사전』(이종택編、명지대학교 아랍어과、1987)という辞書で、驚いたことに、ここ以外には韓国の図書館2か所と、外国の図書館に1か所出ているだけだった。

c0019613_2037290.jpg時計を見ると、20時30分を少し回っている。ホームページに電話番号が載っていたので掛けてみた。出ない。携帯電話の番号もあったので、そっちに電話してみた。すると、年配らしい男の人の声が出た。見つけた本の名前を言い、何時までやっていますかと尋ねると、もう今日は店じまいをしましたとのことだった。翌日は結婚式に呼ばれているので、店を開くのは午後4時ごろになるだろうという。

それで、今日(12日)午後4時ごろ、インターネットで所在地を確認して地図に印を付け、家を出た。私の家からそこまでは、강변북로を使えばほぼまっすぐ行くことができる。そして、양화대교北端を過ぎたあと最初の出口を出て、そこから450メートルほどだ。

着いてみると、ずいぶん奥まった裏通りに店がある。地図には商店街と出ているけれど、だいぶ鄙びていた。店の看板も、見ての通り、ちっとも風情がない。

店に入ると、入り口のすぐ右に主人が座っていた。夕べお電話差し上げた者ですと言うと、ああと言って、その辞書を本棚から取り出してきた。裏表紙に「대한민국해병대 R.O.K MARINE CORPS」と印刷された大きな円いメタリックのシールが貼ってある。開いてみると、面白いのは各ページが2列になっていて、アラビア語と韓国語が、頭をつき合わせる形で並んでいる。そして、左から右に列が流れていく。印刷状態はわりと良好で、読みやすい字体で印刷されている。少しだけ書き込みがある。

この辞書は再版されずに消えてしまったようだけれど、もしかしたら、他の著作を無許可で利用していたことが原因かも知れない。序文に「일본 제3서관의 '현대 아랍어 소사전'의 활자가 제일 깨끗하여 이것의 본을 뜨고 거기에다 뜻을 쓰면서 간간히 칸을 좁혀 단어를 보완했다」と、日本の辞書のアラビア語部分を使ったことが書いてあるし、それに続き「부록에 아랍어 그림사전을 추가했다」と言っている「그림사전」は、英語圏で作られたものをコピーして使ったようだ。このように、オリジナルの著作ではない部分があるのだ。

もっとも、これは仕方ない面もある。この辞書が編纂されていた当時は、韓国はまだ国際著作権法に加入していなかった。だから、韓国内で出版される場合、外国書籍の著作権者に使用許可を求める必要がなかった。しかも、前書きに「국내에서는 인쇄가 불가능하고 또 비용이 엄청나다」と陳べているように、韓国ではアラビア語の印刷ができる状況になかった。日本でも、1980年に出た『詳解 アラビア語―日本語辞典』(株式会社ユナイテッドパブリッシャーズ)の前書きを読むと、「わが国におけるアラビア語印刷に伴う技術上の困難とこれに伴う莫大な経費を考えて、当社ではベイルートの Dar Al-Mashreq 社のアラビア語―英語辞典 Al-Faraid Al-Durriyat を基礎辞典として選」んだと明かしている。もっとも、そのときは、内乱中のレバノンに所在する Dar Al-Mashreq 社と連絡を取るために、レバノン大使館の助けを借りるなどして、苦労しながらも翻刻権を取っている。韓国では、当時はそのような翻刻権を取る必要がなかったわけだ。

ところが、辞書が出版されたのと同じ頃の1987年、韓国は国際著作権法に加入した。そのために、『표준 아랍어 - 한국어사전』の出版は一夜にして違法になってしまった。もっとも、韓国ではその後もずいぶん長い間、外国書籍の無断翻刻・無断翻訳が続けられて来ており、今でも海賊版の地下出版が命脈を保っているほどだ。それで、これは勝手な想像だけれど、この辞書の出版元と編纂者は、その法律が施行されるとすぐ、慣例に乗じて違法でこの辞書を出し続けることを潔しとせず、すぐさま絶版にしたのではないだろうか。その結果、初版しか出ておらず、冊数も少ないため、古本屋でもほとんど見かけることができなくなった。いずれにしても、私にとっては貴重な1冊だ。(뿌리서점の主人に『표준 아랍어 - 한국어사전』のことを話すと、今まで2~3回扱った記憶があると言っていた。だから、幻の本というほどではないようだ。)

この辞書は、本当に希少な本だけれど、主人の話では、アラビア語の本は全般的に、なかなか手に入らないらしい。特に、アラビア圏で出版されたコーランを人から頼まれて購入しようとしたことがあったけれど、アラブ圏の人たちは、コーランを売ろうともしなかったそうだ。私が、アラビア語の原文なら교보문고で手に入ると言ったけれど、原文のテキストが重要なのではなく、アラビア圏で出版されたものであることが重要らしかった。

ところで、今日は午後4時から店を開くと言われたので遅く来たけれど、普段は何時から店を開くのだろうか。尋ねると、午前9時半に店を開くということだった。そして午後は主にインターネットの販売に労力を費やし、そのため夕方6時には店を閉めるとのことだ。ということは、午前中に来てゆっくり本を見ることもできるわけだ。

そこで、本棚を見回ってみた。まず主人の席の背後には、いわゆる古書が並んでいる。『우리말본』の65年に出た版もあった。私も同じ版を持っているけれど、私のはケースもカバーも失われている。しかし、この本は完全な形で残っていた。

他の本棚も、比較的に価値のある本で埋められていた。価値のない本が入って来ないように、注意深く選書しているという印象を受けた。日本の本も少しながらあったけれど、それもやはり、価値のありそうな本だった。もちろん、私の言う価値というのは、値打ちのことではない。良質の知識を提供してくれる、存在意義の大きな本ということだ。

語文学関係の本は左から2番目の通路にあり、右側の最初と2番目の本棚にまとまっていた。『改稿新版 國語音韻學』(許雄著、正音社、1965)があった。『국어음운학』の漢字交じりバージョンがあるとは知らなかった。それから、『漢文文法』(洪寅杓著、新雅社、1976)という本もあった。レイアウトが読みやすくできていて、専門書ではあるようだけれど、学習書としても使いやすい体裁になっている。

主人の後ろにある本をもう少し見てみると、三好達治の『艸千里』(四季社、1939年)があった。それも初版本。状態も悪くない。これは、初版本でなくても胸高鳴る詩集だ。私は三好達治の詩が好きだ。でも、値段を聞くと、なんと100,000원もするとのことだった。

主人はコンピュータで何やら作業をしていたけれど、見ると、本をスキャナで撮って画像をいちいち編集しながら、書誌情報と一緒にホームページに上げていた。大変な作業だ。「スキャナで撮ってるんですか。どうりで画像が鮮明だと思ったけれど、大変な作業ですねえ」と感嘆すると、「ええ、時間がかかるんですよ」と言いながら、黙々と画像の読み取りと編集を繰り返していた。

店に客は私以外にもう一人だけ、来ていた。その人は老人介護に関心があり、最近その資格を取ったと言っていた。韓国語では介護士のことを「요양보호사」と言うそうだ。

今日買ったのは、次の3冊。

 『표준 아랍어 - 한국어사전』(이종택編、명지대학교 아랍어과、1987。初版本)
 『改稿新版 國語音韻學』(許雄著、正音社、1965。1972年6版)
 『漢文文法』(洪寅杓著、新雅社、1976。1996年8刷)

アラビア語の辞書は15,000원で、国語音韻学は5,000원、漢文文法は7,000원だった。帰宅後、헌책방 오거서のホームページを確認すると、アラビア語の辞書は品切れとなっていた。この商品を品切れにしたのは、私だ。

それにしても、三好達治の艸千里! そういうものに欲を出すのはよくないと思うけれど、心惹かれてたまらない。ただ、値段が高いのが難点だ。でも、それだって、不当なほど高いとは思えなかった(日本の古本サイトでは、初版本は31,500円と出ている。これは、現在のレートで換算すると、約400,000원にもなる!)。だからこそ、こうやって湧き起こる未練に心悩まされているわけだ。

そんな本を扱う古本屋である。私だけの秘密の店にしておきたいけれど、そうは言っていられない。この宝のような古本屋が存続するためには、どんどん人に紹介しなければ……。

ところで、“오거서”といのは風変わりな名前だ。それについて、최종규記者が9年前の2000年11月8日に、この店を紹介しながら書いている。

<오거서(五車書)>란 말 들어 보셨나요? 소 한 마리가 다섯 수레를 가득 채워 나를 만한 책을 가리키는 옛말입니다.
http://www.ohmynews.com/NWS_Web/view/at_pg.aspx?cntn_cd=A0000023252
つまり、汗牛充棟と同じような意味で、蔵書の多さを形容する表現だ。命名の理由について、최종규記者は「<오거서> 아저씨는 사람들이 옛말을 따라 '다섯 수레가 될 만큼 책도 많이 읽고 세상도 폭넓게 배워가며 든 사람'이 되길 바랍니다」と説明している。自分がたくさんの本を所蔵しているという意味ではなく、人々が汗牛充棟の蔵書を有することを願っているというわけだ。

헌책방 오거서の所在地は、서울시 마포구 망원동 394-86。電話番号は、02-333-3282。店の名刺には、“3333-282”と奇抜な書き方で印刷されている。それから、携帯電話は016-279-0317。それから、ホームページもある。住所は、www.obooks.co.kr

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翌々日の、2009年12月14日。妻と一緒に用事があって家を出たけれど、約束まで少し時間があったので、헌책방 오거서に立ち寄った。

店に入ると、犬の吼える声が耳を劈いた。吼えたのは主人ではない。主人の脇に、コリーのような犬が優雅に寝そべっていた。コリーに似てはいるけれど、もっと細長く高貴な顔立ち。その瞳は、まるで立派な言葉を語りそうに見えた。でも、私を見ながら荒っぽく「ワン! ワン!」とのたもうだけだった。

主人は私を見ると、一昨日の夜にインターネットで注文した本の梱包作業が済んでいるけれど、まだ発送はしていないと言う。お持ち帰りになりますかというので、はい、そうしますと答え、本を受け取った。実際私は、配達の過程で本が破損することを恐れていたので、直接手渡しで受け取れて、安心した。

それから少しの間、本棚を見た。『陸英修 女史』(朴木月著、三中堂、1977)という本があった。当時の本としては、しっかりした装丁で、保存状態も良好だ。ただ、私が読むような本ではなさそうだ。誰か関心がある人は、どうぞお買いください。1冊しかないので、早めに購入しよう。

妻は、ほしい本が見つからないようだった。私も高価な買い物をしていたので、今日は本を買うのを控えた。約束時間が迫っていたこともあり、注文していた本を受け取っただけで、「また来ます」と挨拶して店を出た。

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2009年12月17日、学校で用事を済ませたあと、帰宅のついでに헝책방 오거서に寄った。左隣にあるコンビニでペットボトルのオレンジジュースを買って行き、主人に差し入れした。主人は恐縮したけれど、これは私の、헌책방 오거서の主人に対するささやかな尊敬のしるしだ。

また今日も、例の犬が私を見ると、荒々しい声でワン!ワン!とのたまった。主人に、この犬は何というのですかと尋ねると、아프간하운드(アフガンハウンド)だと言っていた。初めて聞く名前だ。私に向かって吼えるので、主人は犬に「やめろって言っただろ!(그러지 말라고 했잖아!)」と叱っていた。

語文学の上の方の棚を見ると、『한결 國語學論集』(한결고희기념논문간행회、1964。初版本、著者署名入り)があった。高そうだ。主人に値段を聞くと、50,000원だということだ。あとで、まだ売れていなければ買うことにした。その代わり、最初に来たときから目をつけていた『개화기의 한글 운동사』(이응호著、서청사、1975。初版本)を買った。20,000원。

主人に、本の買い取りもするんですかと尋ねると、買い取りもしていると言う。私が手放そうと思う本で、ここで引き取ってもらえそうな本はあまりなさそうだけれど、これはと思う本があったら持って来ますと言って、店を出た。

店を出るとき、主人はコンピュータ作業の手を休めて立ち上がり、何のお構いもできなかったのに(아무 대접도 못 해 드렸는데…)と言って恐縮した。私も恐縮してしまった。

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2010年2月15日、月曜日の夜。インターネットで本の名前を検索していたとき、たまたま서상규先生の『국어정보학 입문』が헌책방 오거서にあるのを知った。そして、他の本と合わせて購買した。時刻は23時22分。

あとでメールが届き、注文した本の明細が出ていた。出版年度順に並べ替えて転載しておく。

국어학사 - 유창균외 / 민중서관 / 1976 / 200쪽 / 상태 상급 4,000
발화분석의 화행의미론적 연구 - 어학의 문학에로의 접근 - 김태자 / 탑출판사 / 1987(초판) / 163쪽 / 상태 상급 4,000
언어이론과 현대과학사상 - 이정민 / 서울대출판부 / 1992 / 317쪽 / 상태 상급 3,000
통일시대의 어문문제 - 고영근 / 길벗 / 1994(초판) / 550쪽 / 하드커버 7,000
영어란 무엇인가 - 한학성 / 을유문화사 / 1995 / 248쪽 / 상태 상급 4,000
국어정보학 입문 - 서상규 / 태학사 / 1999 / 314쪽 / 상태 상급 6,000
개정판 학교 문법론 - 이관규 / 월인 / 2003 / 590쪽 / 상태 상급 / 양장본 13,000
언어테스팅의 설계와 개발 - LyleF.Bachman / 범문사 / 2004 / 433쪽 / 상태 상급 11,000
そして今日(2010年2月17日)、夕方帰宅すると、本が届いていた。もう一度私のやり方で出版年度順に記録しておく。

 『國語學史』(兪昌均・姜信沆著、民衆書舘、1961。1976年10版)
 『言語理論과 現代科學思想』(李廷玟著、서울大學校 出版部、1986。1992年4刷)
 『발화분석의 화행의미론적 연구』(김태자著、탑출판사、1987。初版本)
 『영어란 무엇인가』(한학성著、을유문화사、1992。1995年4刷)
 『통일시대의 語文問題』(고영근著、도서출판 길벗、1994。初版本)
 『개정판 학교 문법론』(이관규著、도서출판 월인、1999。2002年改訂版;2003年3刷)
 『국어정보학 입문』(서상규・한영균著、태학사、1999)
 『언어테스팅의 설계와 개발』(Bachman & Palmer著/최인철他訳、pmb 범문사、2004)

届いた本を見て、驚いた。持っている本があった。『발화분석의 화행의미론적 연구』だ。もってはいるけれど、読んだこともなかった。でも、表紙の色と文字から来る印象は覚えている。持っている本を4,000원も出して買ってしまった。読まなかった罰に違いない。
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by ijustat | 2009-12-12 19:19 | Bookshops