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『옛 지도를 들고 서울을 걷다』

이현군著、청어람미디어、2009。ISBN: 9788992492683

最近、人文書のコーナーに興味を覚えるようになり、교보문고へ行くたびに覘くようになった。この本は、日曜日(9月27日)に行ったとき、たまたま人文書のベストセラーに入っていたのが目に入り、少し迷ってから買った。

内容は、ソウルの古地図と現在の地図とを参照しながらソウル市内の歴史探訪をするというものだ。まず、古地図の読み方や昔のソウルがどのような行政区画になっていたのかといった説明をしたあと、第1章では故宮と종로(鍾路)を探査し、第2章では청계천(清渓川)、第3章ではソウルの城郭、第4章では성저(城底)と呼ばれた城門外の地域を探査する。そして、맺음말で、ソウル市の未来を展望する。

著者は歴史地理学者で、歴史は資料を読むだけでなく、実際に資料で扱われている地点へ行って、場所が語りかけてくるものを感じ取るべきであるという考えで貫かれている。そうすることにより、その地点の昔と今が同時に見えてくるからだ。そして、それはさらに、未来を予見する根拠ともなる。

まず、ソウルの旧名である한양(漢陽)、한성(漢城)、한성부(漢城府)について、著者は次のように説明している。

한양은 땅이름이라고 했는데, 한성과 한성부는 어디를 가리키는 것일까 궁금하지 않나요? 한양 땅에 도성都城을 쌓으니 한성漢城이 됩니다. 그리고 한성부漢城府는 쉽게 말해서 한성+α입니다. 즉, 도성 안과 성저십리城底十里가 한성부 관할구역이었습니다. 북한산 남쪽, 한강 이북 전체에 성곽을 쌓은 것은 아니었기 때문에 도성 안과 함께 성 밖의 일정 지역까지 합친 것입니다. (26쪽)
つまり、한양はソウル市中心部のあるあたりの地名で、한성はソウル市中心部にあたり、한성부はだいたい現在のソウル市の、한강以北をさしているということだ。

著者は、歴史探訪をするときに有用な数々の洞察をしている。アンダーラインを引いておいた文章から、目に付いたものを挙げておく。

옛 지도를 보면서 현대 도시를 걷고, 걸으면서 느끼고, 느끼면서 상상하는 것이 바로 답사입니다. (23쪽)

지도를 볼 때는 먼저 눈에 띄는 부분부터 보면 됩니다. (24쪽)

옛 하천의 흔적을 찾고 싶으면 언제 답사를 가야 할까요? 바로 비 오는 날입니다. 물은 높은 데서 낮은 데로 흐릅니다. 비가 많이 오는 날 걷다 보면 도성 안 물이 어떻게 모이는지 느낌이 옵니다. (82쪽)

도로표지판도 지도입니다. (103쪽)

어떻게 보면 멱고사는 문제는 이념보다 더 근본적인 문제라 할 수 있는데요. 특히 상업에 대한 관심은 조선 후기가 되면 더 커집니다. (110쪽)

이야기로 하는 것과 장소로 말하는 것에는 확실히 차이가 있습니다. (116쪽)

제가 옛 성곽의 루트를 찾는 방식은 옛 지도와 현대 지도의 오버래핑 방식입니다. (146쪽)

지나친 민족주의나 전통을 사랑하는 마음이 때로 사실을 왜곡할 수도 있습니다. (169쪽)

한자음을 통해 의미를 지나치게 해석하는 것을 때로는 경계할 필요도 있습니다. (189쪽)

여름에 홍수 났을 때 침수되는 지역은 다 조선시대 농업지대로 생각해도 무방합니다. (194쪽)

...예전에는 강이 중요한 것이 아니라 인간의 삶에 영향을 미치는 장소인 나루터가 중요했기 때문입니다. (205쪽)

도시의 입지, 특히 수도의 입지를 선정하는 데는 다른 지방과 어떻게 연결될 수 있는지를 고려해야 합니다. (207쪽)

어두운 밤에 서울을 보면 어디가 번화한 곳인지, 사람들이 어디에 많이 살고 있는지 낮에 보는 것보다 더 잘 보입니다. (221쪽)

가장 환한 곳이 가장 치열한 경쟁이 있는 곳이죠. (221쪽)
また、過去から現在への変化の流れから、一定の規則性を紹介している。これは、現在を知るだけでなく、未来を知る上でも役に立つ。それは、本書で「역사지리학의 궁극적 목표는 현재와 미래를 보는 것입니다.」(212쪽)と明言しているところでもある。

조선시대 한양이 현재 서울과 다른 도시이듯, 21세기의 서울은 20세기 서울과 다른 도시가 되지 않을까요? 도시의 역사를 공부하는 것은 앞으로 서울이 어떻게 변할 것인지 예측하는 데 도움을 얻기 위해서이기도 합니다. 시간적, 공간적으로 여러 층으로 구성된 도시에서 현재까지 만들어진 층 위에 또 어떤 새로운 것이 보태질지 상상해보는 것은 즐거운 일입니다. 미래를 꿈꿀 때, 현실을 재조명할 때, 때로는 역발상이 필요합니다. (220쪽)

도시의 발전방향은 개발축을 따라 이루어집니다. (221쪽)

조선시대 중심부와 현재의 시가지는 차이가 있지만, 전체적 맥락에서는 유사성을 지닙니다. 조선시대 길을 지형적 조건과 사회문화적 배경 속에서 만들어집닏. 새로운 길 역시 마찬가지입니다. 지금 터널이 뚫린 곳은 조선시대 고개에 해당하는 곳으로 보아도 무방합니다. 완전히 새 길을 뚫거나, 새로운 도시를 전통적 입지와 상관없이 만드는 일은 별로 없습니다. 예전에 역원이 있었거나 군현의 중심지 근처였던 곳에 신도시가 들어섭니다. 그리고 옛날 유명한 주막이었던 곳 근처에 톨게이트나 나들목이 들어섭니다. (222쪽)
それから、過去と現在から未来を見るためのポイントも、次のように述べている。

현대 도시에서는 절대적 거리보다는 얼마나 빨리 도착할 수 있는지가 더 중요합니다. (223쪽)

21세기에는 어떤 곳이 수도권에서 새로운 주거지로 각광받을 것인가의 문제는 현대적 교통로, 서울과의 연계성이 중요한 요인으로 작용합니다. (223쪽)

사실 요즘은 다들 부동산 가격에만 관심을 두지만, 인간이 살 만한 도시를 만드는 것이 더 중요한 문제라고 생각합니다. (224쪽)

도시에서 가장 중요한 것은 사람입니다. (226쪽)
これらは、一見著者の価値観を述べているように見えるけれど、実はそうではなく、ニュートラルな観点から未来を予測するための要領だ。

このように、この本は単に古いものを見て懐旧の情に浸っているのではない。その意味で、読者に驚きを与える内容だ。たぶん読者は、ソウル市に残る昔の痕跡を指摘し、昔の様子を偲ばせる本だと予想して読むだろうからから。

大体、ソウルの昔について書かれた文章は、現在と違う生活風俗を興味本位に書いたものか、昔を偲んで懐かしむものが多いと思う。でなければ、過去の悪い点を指摘して、それを反省するような内容だ。しかし、この『옛 지도를 들고 서울을 걷다』は、場所という軸において過去と現在を見つめながら、変化の規則性を見つけ出して、現在の意味を探り、未来を予見しようというのである。過去と未来の流れの中で、現在までも相対的に見ている。数式こそ出てこないけれども、科学的な態度で貫かれている。

実は、私はこの本を読んで、歴史が科学であることを、初めて実感した。これまでは、マスコミに出てくる歴史論争を見ながら、歴史を滅茶苦茶な学問だと思っていた。認識ばかりを問題にして、自分の主張に都合のいい資料を用い、あるいは資料に自分の主張に都合のいい意味を付与するのが歴史なのかと思っていた。それは、国家の立場を擁護する上では役に立つかもしれないけれど、人類に寄与するところは乏しそうに思われた。しかし、この本の著者は、そういう議論には立ち入らず、歴史探訪を通してダイナミックな変化の類型を捉え、さらにそれを法則に近いところまで深めている。

「맺음말」で著者は告白している。

석사과정 때 한양의 모습을 찾기 위해 옛 지도와 현대 지도를 들고 답사를 다닌 적이 있습니다. 그때, 저 지역은 곧 철거되겠구나, 저곳은 전망이 좋아 프리미엄이 많이 붙겠구나, 서울과 인접한 지역 중에서 어디가 집값이 오르겠구나 등을 생각해본 적이 있습니다. 물론, 그런 곳에 땅을 사거나 집을 사지는 못했습니다. 그 후 한참이 지나 아내에게 물어보니 제가 생각했던 지역들의 집값이 많이 올랐다고 하더군요. 아내의 말을 들으니 아쉬움이 없지는 않았지만, 그보다 더 놀라웠던 것은 제 예측이 맞아떨어졌다는 사실이었습니다. (212쪽)
このように、歴史が科学であるならば、あたかも預言者のように将来の大まかな様子を予測することが可能なわけだ。

その意味で、この本は、ソウルに残る過去の痕跡を扱っているけれど、ソウルの過去について書いた本ではない。終わりのところで「미래를 생각할 때 시간의 관점으로만 생각하는 것이 아니라 우리가 살 공간, 장소에 대해서도 진지하게 생각해보시길 바랍니다.」(228쪽)と勧めているように、空間という観点から未来を見るということを、教えているのだ。
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by ijustat | 2009-09-30 23:10 | Books

모래내설렁탕

ずいぶん前からある店で、24時間営業の설렁탕屋だ。10年以上前からこの店には時々来ている。

c0019613_233831.jpg今日は、家族と一緒に来た。妻が具合が悪いので、栄養をつけるために설렁탕を食べたいと言った。最初は、연희동にある연희설렁탕へ行こうと思った。ところが、行ってみると、なんと국수생각に変わっていた。これは驚きだ。そこで、急遽모래내설렁탕に来たというわけだ。

左上の写真は、出てきた설렁탕(보통: 7,000원)に葱を入れたところだ。この店の설렁탕は中に素麺とご飯が入っている。本当は、葱を入れた後、匙で混ぜ合わせたところを写真に撮るべきだった。そうすれば、下に沈んでいたご飯や素麺、肉などが美味しそうに現れただろうから。

c0019613_2364678.jpg店員が持ってくる설렁탕は、こんな風に白いだけのスープだ。そこに、好みの量の葱を入れ、塩と胡椒を振って味を調節する。その点は、どの店の설렁탕も大体同じだけれど、中に素麺を入れるか入れないか、ご飯を麺の中に入れるか別に出すかという違いがある。

素麺とご飯の両方が入っている店はあまり見かけないけれど、この店はそれをやっている。私は、スープにご飯を入れた국밥というものが好きではない。でも、この店の설렁탕はそれほど気にならない。それは、ご飯がスープを吸っても膨れ上がらない程度に、控えめに入っているから。

c0019613_23111455.jpgそれから、설렁탕屋の三種の神器は、この배추김치(白菜キムチ)と깍두기(大根のキムチ)と파(葱)だ。배추김치と깍두기は、トングを使って食べる分だけ取り出し、手ごろな大きさに鋏で切って皿に盛る。

ところで、店名の모래내だけれど、これはこの店の前を流れる홍제천(弘濟川)のことで、朝鮮時代の地図には사천(沙川)と出ている。「사(沙=砂)」の固有語は「모래」、「천(川=小川)」は「내」だから、사천と모래내は同じ意味だ。この모래내はインターネットでの誤表記が多く、모레내(あさっての小川)、모래네(砂さんち)、모레네(あさってさんち)のように書いている人がけっこういる。これは、母音 /에/ と /애/ の区別が実質上機能しなくなっていることを物語っているといえるだろう。

それから、설렁탕を설농탕(雪濃湯)とも書く。「雪濃湯」というのはどうやら当て字で、설렁탕の方が標準語となっているけれど、たいていの専門店では、店の名前とメニューのどちらかに설렁탕を使い、もう片方のどちらかに설농탕を使うことが多い。この店は、看板は설렁탕で、メニューには설농탕を使っている。

모래내설렁탕の所在地は、서울시 서대묵구 홍은3동 415-49, 50。電話番号は、02-304-0311。
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by ijustat | 2009-09-28 23:25 | Restaurants

『우리말 띄어쓰기 길잡이』

문태식編、도서출판 세진사、2003年。ISBN: 9788971216361

c0019613_22452665.jpg最近、韓国語を書きながら、分かち書きをもう少し“正しく”行えるようになりたいと思い、この本を買った。

もともと私は“正しい言葉遣い”というのが好きではない。その基準はいかにも任意のものが多く、それが、本当におかしなもの、論理的に狂っているものと、ごちゃ混ぜだからだ。判断に異論が生じうる用法でも、十分納得できる根拠も提示せずに、偉そうに断罪しているのは、見ていて気分が悪くなってくる。

これは日本語だけに限ったことでなく、韓国語でも事情はまったく同じだ。本当に、こういう本を読んだあと、日本の本を読んだのか韓国の本を読んだのか、思い出せなくなってしまうくらい、語り口はよく似ている。

でも、韓国語は自分にとって他所の言葉なので、自分の家のように横柄な顔をしているわけにはいかない。そこで、ちょっと謙虚になって、専門家のご意見に従おうと思ったわけだ。(とはいえ、私は日本語の文章を書くときも、国語辞典やインターネットなどで、使用状況をしょっちゅう参照している。実は日本語を書くのもあまり自信がないのだ。)

맞춤법(綴字法)もそうだけれど、띄어쓰기(分かち書き)というのは、いかにもおぞましい世界だ。分かち書きする基準は、確かにほとんどが合理的な基準に基いているけれど、時にはなぜそうなるのか、はっきりした基準の見えないものもある。たとえば、「~어(語)」の分かち書きは、漢字語の場合は付け(例:일본어)、それ以外の場合は、原則的には離して書く(例:라티 어~라틴어)。こういうのは、何だかあまり意味のある基準には見えない。

もっとすごいのは、「다음 주」は離すけれど、「지난주」は付けて書くということだ(この本には「이번 주」が載ってない)。こんなのを正確に使い分けられたからといって、何になるんだろうと思ってしまいがちだけれど、これが規範ならば、従っておいた方が無難だ。

c0019613_2345292.jpg「띄어쓰기 용례」の中には、맞춤법に焦点を当てた用例もあった。そして、驚いたことに、字母順にずらずらと並んでいる用例の中には、誤用例や非標準語も含まれていて、脚注の方に“~의 잘못”などと書かれている。うっかり屋は、脚注を見ないで、その用例が標準語だと勘違いしてしまうだろうに……。

たとえば、「몹씨」なんていうのが用例に挙がっていて、脚注に「'몹시'의 잘못」と書かれている。こういうのを用例に載せる意味があるのだろうか。「몹시」とうい形だけを載せておけば十分なはずだ。誤用例は、正用例の脚注に挙げて注意を促すだけで、用は足りる。

また、「우뢰」という用例があって、そのページの脚注には、「'우레'의 잘못」と出ていた。でもねえ、우레って우뢰から来た言葉ではないかしらん。漢字語を固有語に置き換えようとする運動があるけれど、우레は漢字語から独自に変形しているし、朝鮮時代から使われている語でもある。たぶん、そういう理由から、우레を천둥と並べていちおう標準語にし、우뢰を非標準語に落としたのだと思われる。『동아 새국어사전』を見ても、우뢰は우레の「비표준어」としてあり、「잘못」とは書かれていない。

「비표준어」ならば納得できるけれど、우뢰を「잘못」と言い切るのはどんなものだろうか。こういう風に、「あなた、その言い方は間違いですよ」とご親切にも教えてくれる人は、日本にもいっぱいいるけれど、その意見に従うべきかどうかという段になると、自分で考えなければならない。ともかく、우뢰が「잘못」であるという考えには納得しかねる。

この本に対する印象がだんだん悪くなってきてしまったけれど、そのうえ「머리말」に書かれた次の言葉を見て、頼りなさを感じた。

이 책의 내용은 국립 국어 연구원에서 발간한 「표준국어대사전」 표제어와 초등학교・중학교・고등학교 국정 교과서를 중심으로 편집하였기에 큰 오류는 없을 것으로 생각한다. (IVページ)
それに、쉽게 찾는 띄어쓰기の部で、先ほど「~어」(393~394ページ)を見ていたとき、その中に「편히쉬어」と「마른오징어」が入っていて、「그리스 어」は2つ並んでいた。「편히쉬어」と「마른오징어」が漢字語なら、「히」「쉬」「른」はどう書く漢字なのだろう。この項目が魚の「~어」を扱っていないことは、마른오징어以外に「어」で終わる語がないことでも明らかだ。

さらに、この本の第2部に当たる「우리말 바로 쓰기」をめくっていたら、「까지 / 미만 / 보다 / 부터 / 이상 / 이하」の項目にあった「보다」の用例に、「(수학에서) 8보다 큰 수(8, 9, 10, …).」(415ページ)とあった。8より大きな数に8が含まれるなんて、なんと新鮮な考えだろう。

そんなわけで、この本に対する印象はひどいものになってしまった。このような本を書く人は、鬼のように細かい性格であるべきだ。でなければ、絶えず人に襲い掛かってくる誤謬の攻撃に、簡単にやられてしまうからだ。まあ、分かち書きの用例集を作るという大変な作業は私にはできないけれど、その作業によって提示された基準に従うかどうかということになると、とたんに態度が大きくなってしまうのが人情だ。

でもまあ、参考にということで、この本を座右に置いておくことにしよう。寛大なわけではない。12,000원も出して買ったのだ。そのまま古本屋へ持っていくには、もったいなすぎる。
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by ijustat | 2009-09-27 23:33 | Korean

アラビア語講座8

今日は、アラビア語講座の最終日。バスが遅れて10分以上も待った後、4時25分ごろやっと乗った。けれども幸いなことに道はあまり込んでおらず、時間に少し遅れただけだった。私が着いたとき、まだ授業は始まっていなかった。

今日は何をするのだろうと思ったら、アラビア語の주기도문(主の祈り)のプリントを渡された。そのテクストには母音記号が付いていなかったけれども、横にハングルで発音と訳が書かれていたので、それで母音と大まかな意味を知ることができた。アラビア語の母音は a, i, u の3つしかないので、最低でも6つ(最高で9個)ある韓国語の母音で十分に間に合う。ただし、アラビア語の子音は複雑なので、ハングルを見ていても分からない。幸い、アラビア語のテキストは子音字が連なっているので、ちょっと面倒だけれど、ハングルとアラビア文字の両方を見れば、正確な発音が可能だ。

c0019613_18444457.jpg授業は、まず最初に形容詞と名詞を板書することから始まった。形容詞の提示の仕方は、その大枠は良かった。「よい(ジャイイード)-悪い(サイイーウ)」のように、対になる語を一緒に提示している。ただし、いつものように、意味よりも先に形を書き、受講生たちが文字を認識する余裕もないうちに自然な速度で発音を聞かせ、練習までしてしまう。これはとてもまずかった。提示速度が速すぎるのだ。記憶に残す作業を行う余裕もない。

そのあとで、アラビア文字を使って韓国の人名や地名を書いて読む方法を教わった。これはとても面白かった。たとえば、평양(平壌)は「ビユーングヤーング」となり、ソウルは「スィーウル」と「スィーユル」と「スール」の3通りがある。学生が自分の名前を教えてくれと言った。나성자さん人は、「ナースーングジャー」、정은실さんは「ジューングウーンシール」となる。

先生と目が合った。すると先生は、私が聞く前に、東京は「トゥーキーウ」となると教えてくれた。私の名前は聞かなかったけれど、たぶんアラビア語で書けば、「ウーザーキー・タースージー」になるのだろう。クーリーヤ国のスィーユル市に住む、ヤーバーン国出身のウーザーキー・タースージーさんというわけだ。

そして最後に、主の祈りを読んだ。先生が一語ずつ解説をしてくれて、その意味が分かった。けれども、途中まで説明したところで、予備校の英文解釈の授業みたいで、つまらないでしょうと言う。全然そんなことない。説明なしに発音だけされたら、さっぱり意味不明の、クーカイマニマニマニマニダスティー・クーカイコー・クーカイコーになってしまう。そこに意味を一つ一つ与えていくと、閉じられていた文字の並びがいきなり目を開いて光を投げかけて来る。その美しさは、何とも言えない喜びを伴うのだ。私が「おもしろいですよ」と言うと、それはありがとう、と答えていたけれど、私の言葉を信用していないようだった。

なるほど、先生はごく平凡な授業の仕方が学習者の精神活動に最適であることに気づいていないのだ。そのために、料理の主食に出されたライスが生の米だったみたいな感じで、一口掬ってぼりぼり苦労して噛んでいるうちに、お皿を下げられてしまい、「どうです? お腹いっぱい召し上がりましたか」と聞かれているみたいな授業だった。それでも食べられたんだから、十分栄養が取れてるんですよと言われてしまえば、それまでだけれども。

そんなわけで、ほとんど消化不良のまま、この8週間のアラビア語講座が終わった。しかし、文字はしっかり覚えたし、単語もほんの少しだけれど、覚えることができた。あとは『CDエクスプレス アラビア語』をゆっくりとやっていけば、だんだんと慣れていきそうだ。
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by ijustat | 2009-09-27 19:35 | Language Learning

백년옥(百年屋)

豆腐料理専門店で、예술의전당(芸術の殿堂)の向かいにある。いつこの店を知ったのか、どうしても思い出せなかったので妻に聞くと、教会の知り合いから教えてもらったのが最初だという。

今回は、안성にある教会墓地へ、牧師だった義父の墓参りに行ってきた帰りに、久しぶりに寄った。最初、駐車場の案内人が「별관에 가세요.」というので、「별관은 좀…」と渋っていたら、妻が大声できっぱり「별관은 싫어요!」と断言した。すると案内人は「그럼, 가서 카운터에서 말씀하신 다음에 순서를 기다리세요.」と答えた。それで、본관(本館)へ行き、人数を言うと、待たずにすぐ席を案内された。ラッキー。

c0019613_20305373.jpg私は、この店では뚝베기맛순두부(7,000원)をよく食べる。今回食べたのもそれで、写真の料理がその뚝베기맛순두부だ。これは、바지락(あさり)で味を出している点は、普通の순두부찌개と大体同じだけれど、생두부(生豆腐)を使っている点と、玉子を入れないという点が、普通と少し異なる。생두부はとても新鮮で、ほのかな旨みがある。

色のわりにはそれほど辛くなく(もちろん、辛さの基準は人によりけりなので、責任は持てませんが)、さっぱりした味だ。玉子を入れないので、わりとあっさりしている。

c0019613_2037418.jpgこの店のもう一つの目玉は、밑반찬(おかず)だ。数は少ないけれど、これが結構いける。私は店に入る前から、この店の밑반찬のことを考えていた。

以前は콩나물무침と미역냉채と배추김치の3種類だけだったけれど、今回무냉채が加わっていた。この무냉채は、驚くほどさっぱりとした味で、とても美味しかった。酢と調味料で味をつけ、おろし生姜で香り付けされていた。

この밑반찬は、頼めばお代わりを出してくれる。もっとも、それは韓国では特筆すべきことではないけれど、日本に住んでいると、案外そういうことを知らない人もいるかもしれない。

c0019613_20434469.jpg他に何か食べたいということだったので、두부부침(소짜: 5,000원)を頼んだ。これは本当に美味しかった。豆腐独自のうまみと、油で焼いた香ばしさとが調和している。そして、醤油のタレにつけると、その美味しさがいっそう引き立つ。

最初は肉が食べたいのにと言って怒っていた次男も、두부부침には十分満足したようだった。そうさ、肉がなければ美味しくないということはないのだ。妻は、久しぶりに精進料理を食べたようだと言っていた。でももちろん、순두부찌개には貝が入っている。

c0019613_20512924.jpgこの店のメニューは、右の写真のように、癖の強い字で書かれている。この字体はこの店の料理の雰囲気にぴったりなのだけれど、ハングルに慣れていない人は、難儀するかもしれない。でも、心配する必要はない。ちゃんと明朝体で印刷されたメニューも別にあるから、ハングルの実力が初歩でも、メニューを見て注文することはできる。もっとも、こういった文字は時々見かけるから、読めるようになっておくに越したことはない。

日本の韓国語教材を見ると、明朝体かボールド体で書かれているものばかりだけれど、手書き文字にも慣れておく必要がある。韓国語は特に組織立った筆記体はないから、慣れればすぐに読めるようになるはずだ。

백년옥(百年屋)の所在地は、서울시 서초구 서초동 1450-6 본관。예술의전당の真向かいだ。電話番号は、02-523-2860。
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by ijustat | 2009-09-26 21:01 | Restaurants

『인도기행』

この本は、법정(法頂)の著で、2001年に샘터사から出ている。ISBNは『8946415533。先週の月曜日に、夜間の社会人クラスに通う学生からもらった。その前日、人に本をプレゼントしたら、次の日にまったく別のところから、この本をプレゼントされた。プレゼントの神秘だ。

で、せっかくもらったことだし、법정の本は今まで2冊読んでいて内容もよかったので、読んでみた。すると、とても面白く、文章もうまく、内容も深いものだった。

『인도기행』はインドの旅行記で、僧侶である著者が、インドとネパールを巡りながら、仏教の遺跡などを訪れ、人生や宗教、文化、歴史などについて考えるという内容だ。インドの旅行記は、詩人류시화の『지구별 여행자』と『하늘 호수로 떠난 여행』を読んで感銘を受けていたけれど、今回は仏教僧侶の手によるものなので、どんなことを書くのだろうかと、興味を持って読んだ。

법정の関心の中心は、インドにおける仏教で、現在の遺跡を見ながら、仏典や昔の文献に描写されている当地の様子と比較し、その歴史のはかなさを読者にしみじみと感じさせている。仏教遺跡の多くは、イスラム教徒によって破壊されているらしい。特に、最大の仏教大学がイスラム教徒によって完全に破壊され、現在は潅木の生い茂る廃墟となっていることに、著者は憤りを隠さない。

しかし、それでいながら決して宗教に凝り固まらないのが、著者の魅力だ。仏教を迫害したイスラム教徒の建てたタージマハールを訪れ、その歴史を振り返り、そしてその建物の美しさを十分に味わっている。彼の描写はとても美しく、読者までうっとりとしてしまう。

해 질 녘 사원 너머로 기우는 불덩이 같은 해와 저녁노을, 이윽고 어둠에 스러져 가는 사원의 실루엣은, 마치 웅장한 교향곡이 끝난 뒤의 침묵 같은 그런 여운을 주었다. 어둠이 내리니 돌에 새긴 군상들도 잠이 들겠다. 낮 동안 관광객드르이 호기심에 찬 시선에서 벗어나 자기네들끼리의 밤을 맞이하겠다는 생각이 들었다.(227ページ)
私は韓国人の書く旅行記が好きで、今まで数冊読んできた。それは、日本人には書けない視点がある。外から眺めるだけでなく、積極的にその中へ入り込んでいく点が、日本人と少し違う。何よりも、人間的な魅力を感じさせるものが多いような気がする。

법정の『인도기행』は、それらに比べると、若干日本人の書くものに似ているといえるかもしれない。各所で様々な経験をしながら、人と出会い、歴史を振り返り、それを体験する自分の心の中をじっくりと観察し、仏教的な内省を行う。

しかし、かれは決して相対主義に陥らない。どうしようもない迷信に基くよくない習慣は、適切に批判している。それは、自分の勝手な生活感覚で言っているのではなく、幅広い知識と宗教的な見解に基いている。ネパールの王室に伝わる、「クマリ」という少女の「女神」を見たあと、彼は言っている。

여덟 살짜리 여신 쿠마리를 보고 온 뒤, 그 어린 소녀의 애처로운 영상이 자꾸만 눈에 어른거려 내 가슴은 며칠을 두고 '짠하디 짠한' 생각으로 가득했다. 지구가 한 동네처럼 그 울타리가 허물어져 가고 있는 이 밝은 세상에, 아직도 이런 폐습이 왕국의 그늘 아래 자행되고 있다니, 참으로 안타깝고 애처로운 일이다. 죄 없는 어린 소녀들을 불행하게 만드는 이런 어리석은 미신이 사라질 때 진정한 민주화와 인간화가 이루어질 것이라는 생각을 했다.(198ページ)
この「女神」というのは、民間からごく幼い少女を選ぶというもので、民間から選ぶという点ではダライ・ラマに似ているけれど、その性質は非常に違う。「여신에게 초조(初潮)가 시작되면 즉각 다른 여신으로 교체된다」(196ページ)ということだ。そして、その女神だった少女の末路は哀れだ。

초경(初經)으로 여신의 자격이 박탈되면 벨리 강 건너로 보내져 버림받는 것이 어린 소녀의 운명이다. 이 나라에서는 아무도 거두어 주지 않기 때문에 북인도 지방을 떠돌다가 결국 창녀가 되고 말거나, 불행에 빠진다고 했다. 그녀의 경력이 쿠마리였다는 사실을 아는 사람은 아무도 그녀와 결혼하려고 하지 않는다. 쿠마리와 결혼하면 재수가 없고 불행해진다는 속설이 이 나라에 널리 알려져 있기 때문이라는 것.(197~198ページ)
それもこの国の文化といってしまえばそれまでだけれど、そのために不幸な人がいるならば、そこから解放されることを願うのは、当然のことだろう。

著者は、この旅行を通して深い洞察を得て帰国している。そして旅行記の最後に、「인도는 나에게 참으로 고마운 스승이었음에 거듭 머리를 숙이고 싶다」(278ページ)と告白している。三木清も指摘しているように、旅は愚か者をさらに愚かにするけれど、賢い者はますます賢くする。その読者も、おこぼれに与って、ほんの少しは賢くなれるかもしれない。

この旅行記の企画は、조선일보によってなされ、最初は조선일보に連載され、そのあとで샘터사から本として出版された。そういえば、장영희の随筆集も、조선일보で連載されたあと、샘터사から出版された。조선일보と샘터사とは、何か関係があるのかもしれない。
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by ijustat | 2009-09-25 18:26 | Books

향원(香苑)

연남동にある中華料理店だ。私はこの店の前を千回以上車で通り過ぎたけれど、自分から入ったのは、一昨日が最初だった。

c0019613_22453027.jpgでも、この店に入ったのは、今回が初めてではない。たしか12年ぐらい前、当時연세대학교の語学堂で日本語講師をしていたとき、石鹸会社の重役だった学生に招待されて、この店で一緒に食事をした。そのとき、コースの中に含まれていた누룽지탕を初めて食べ、その美味しさに驚いた。

しかし、その時の店の印象は、あまりよくなかった。なぜなら、私はその人と2人で食事をしたのだけれど、4人だか6人以上でないと、同じ値段でもまともなサービスを受けらなかったからだ。私を招待してくれた人は、そんな店の態度に憤慨した。そのとき私は、누룽지탕の美味しさに感動しながらも、ちょっと気難しくて敷居の高い店といった感じを受けた。京都の“一見様お断り”といった風情に感じたのだ。

その後、私は職場を2度変えながら、この店の前を何度往来したか分からない。そのたびに、私は누룽지탕の美味しさを思い出しながらも、敷居の高い店の雰囲気のせいで、いつも足を踏み入れる気までは起こらず、看板を眺めながら通り過ぎるばかりだった。

c0019613_2259226.jpgしかし一昨日、思い切って入ってみた。最近は、新しい食べ物屋を開拓しようと努めているので、ちょっとした冒険もしたかったし、ほんの少しばかり余裕もできたこともあって、店に入ってお金が足りずに恥をかくこともないだろうと思った。それに、中華料理屋はどこも、高い料理はすごく高いけれど、安い料理はかなり安価というように、価格の幅が大きいから、この店もきっとそうだろうと考えた。

店の前に車を止めると、駐車場を案内する人が店から出てきて、慇懃な態度で、車を止めるのを手伝ってくれた。50代ぐらいの年配の男性だ。それだけで私は緊張する。そして、店の扉を開けるとき、ちょっと高級な感じだったので、さらに緊張した。店に入ると、背広を着たお金持ちそうな老人が、上品にお辞儀をした。やっぱり場違いだったかな、と心配になった。

恐る恐る「식사도 돼요?」と聞くと、「돼요.」というので、安心した。「식사」というのは“食事”のことだけれど、飯類と麺類の、主食系のメニューをいう。볶음밥が食べたかったので、見ると7,000원だった。

볶음밥の味は、딘타이펑(鼎泰豊)ほどではなかったけれど、それでもけっこう美味しかった。それで、この店はいけると思った。(ただし、玉子スープはあまり美味しくなかった。)店の女主人とも話をした。누룽지탕は25,000원だという。思ったほど高くない。まあ、特別なことでもないと、ちょっと気が引ける値段だけれど。

c0019613_2354859.jpg今日は、방통대の最後の録画が終わった。そのあと、妻を学校まで迎えに行くと、妻がお昼を食べていないのでお腹が空いているという。それはちょうどいいと思い、향원に行くことにした。そして、念願の누룽지탕を注文した。メニューの名は「삼선누릉지탕」。漢字では「三鮮鍋巴(Sānxiān Guōbā)」と書く。

注文すると、店の人が、油で揚げた米の塊と、八宝菜のような汁を別々に持ってきた。そして、私たちの見る前で、米の塊に汁をかけると、ジューという音がして、いい香りが漂った。それが、いちばん上の写真だ。残念ながら、上手に撮れなかった。

それを、個人の器に盛ってくれる。それが、この3番目の写真だ。椎茸や青梗菜の他に、海鼠、鮑、蝦などが入っている。妻は蝦が新鮮だといって喜んでいた。

누룽지탕だけでも十分満腹になると言われたけれど、私たちは満腹にならなかった。それで、자장면を1人分(5,000원)取って、妻と一緒に分けて食べた。麺が固めで美味しかった。자장면の麺はたいてい柔らかくて腰がないけれど、この店の자장면は麺が硬めで歯ごたえがいい。

향원(香苑)の住所は、韓國首爾麻浦區延南洞226-36。電話番号は、02-335-0010, 336-3421。首爾(Shŏu'ěr)とは、最近韓国で作ったソウルの中国語読みだ。北京語の発音で、ショウアルのようになり、ソウルと発音が近い。何だか夷狄の都みたいで、私は好きではないけれど、韓国で発表した次の年あたりから、中国ではしぶしぶこの名前を使っている。
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by ijustat | 2009-09-23 23:23 | Restaurants

アラビア語講座7

今日は、アラビア語講座の7週目。毎回ほとんど消化不良になりながらも健康を害さないのが、勉強というものだ。これが食べ物なら、私はもう病院に行っているかもしれない。今日は天気もよく、涼しかったので、自転車で教会まで行った。家の前から한강のサイクリング道路に入り、동작대교を少し行ったところで出て、教会に行った。

突如、先週配られたプリントをやると言われた。ところが、私は先ほど、急遽自転車で来ることに決めて、かばんに入っていた教材を、リュックに移したのだけれど、そのとき、プリントをリュックに入れ忘れてしまった。それで、また予備のプリントをもらうことになった。悪い学生だ。

今日は、女性名詞と男性名詞について習った。本で見るのと授業で説明を聞くのとは大違いだ。先生は、女性名詞でないものはすべて男性名詞だと言った。一見、当たり前だろうと突っ込みを入れたくなるような表現だけれども、その意味するところは重要だ。つまり、女性名詞を見分けろということなのだ。女性名詞には形態的な特徴があり、その他いくつかの例外的な女性名詞を覚えておけば、あとは全部男性名詞だということだ。だから、女性名詞でないものは、すべて男性名詞というわけだ。

そのあと、基数詞と序数詞を習った。けれども、ぜんぜん頭に入らなかった。“1”が「ワーヒドゥン」だということは、『CDエクスプレス アラビア語』の第1課のところにあるのを覚えていたけれど、その他の数は、聞いても見ても、口真似しても、頭に入らない。もっとも、授業中はほぼパニック状態が続くので、その中で記憶することは不可能だ。

私は、自分の授業では学生たちに暗記をさせるけれど、そのためには20回以上反復させ、さらに次の週にも、復習としてその半分ぐらい反復する。授業時間の半分以上は、暗記のために当てているくらいだ。残りのいくらかが、運用に当てられた時間というわけだ。

もっとも、そんな風に授業をやってくれる先生は少ない。たくさん教えたいというのが、教師の人情だ。口から言葉を発しさえすれば、学習者は頭にインプットできると考えている先生方が多い。まあ、科目の特性や、説明の腕前によっては、そういうことも可能なのかもしれない。だけど、アラビア語の入門に関しては、そんなことは断じてありえない。文字、発音、語彙、文法、それらすべてにおいて、初めて触れるものばかりなのだ。単語一つを提示したって、その中に含まれる、学習者にとっての新しい情報は、ものすごい分量になる。英語を知っている人が、フランス語の単語を3個覚えるぐらいのエネルギーが、アラビア語の単語を1個覚えるのに必要だ。だから、1時間の授業で提示できる語彙は、せいぜい20個が限度だろう。それは決して少ない数ではない。8週やれば、160個の単語が覚えられる。溢れるほどの新出単語で消化不良を起こし、ほとんど覚えていないというよりは、160個の単語をしっかり覚えた方が、はるかにましだ。

c0019613_029145.jpg今回も、授業の後半は、母語話者の先生による授業だった。これは、すさまじいものだった。今日は序数詞を習ったからということで、時間から分まで板書した。それから、時を表す名詞を板書した。もちろん、私たちには初見だ。津波のように押し寄せてくる新しい単語に押し流され、私は行方不明となった。

今日扱った新出語彙を数えてみたら、約100語ほどになっていた。すさまじい分量だ。今日は80分ぐらい授業をしたけれど、1語に1分もかけていないことになる。ローマ字で書かれ、目慣れた語彙や文法が出てくる外国語でも、この新出語彙の提示速度は強烈だ。まして、文字、発音、語彙、文法のすべてにおいて不慣れなアラビア語だ。先生が学生たちに、「어렵죠?(難しいでしょう)」と言っていたけれど、私は難しさすら感じなかった。アラビア文字の美しいもようを眺めていただけだから。

来週は、総整理をするか、新しい内容を教えるか、考えているところだという。まあ、総整理をしたところで、私の頭にちゃんと入るとは思えないけれど、雪崩のように板書される新しい内容で生き埋めになってしまうよりは、ずっとましに違いない。
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by ijustat | 2009-09-20 22:00 | Language Learning

딘타이펑(鼎泰豊)

小籠包が目玉の中華料理屋だ。何年か前、ある先生のブログでこの店を見たあと、妻がそこで人からご馳走になったという話を聞き、去年1度家族で行ってきた。そして今日は、この店で妻の誕生日を祝った。

c0019613_2344517.jpg前回と同じく小籠包(샤오롱바오)を頼んだ。それから他の料理も食べた。今日食べたその他の料理は、蝦仁焼売+糯仁焼売(샤오마이 콤비네이션)、東坡肉(동파육)と春捲(춘권)と菠菜(보차이)。それから、蝦仁麺(샤런 미엔)と菜餛飩麺(차이훈툰 미엔)と蛋炒飯(딴차오판)。

小籠包(샤오롱바오)は、皮の内側にスープが入っていて、箸で取って蓮華に載せたあと、箸の先で皮をつつき、肉汁を出して飲んだ後、包みを食べる。そのとき、生姜醤油を載せると、肉汁のうまみが引き立つ。

c0019613_23483263.jpg私は東坡肉(동파육)をメインディッシュにしたつもりだったけれど、あれよあれよという間に平らげてしまった。ばら肉とヒレ肉を八角などで味付けしてよく煮込んだものを、にんにくで炒めたほうれん草に載せて出てくる。

この店の味付けがどこ風なのかは私には分からないけれど、明らかに、韓国風の味付けではない。かといって、日本風の味付けともちょっと違う。蛋炒飯(딴차오판)の味は日本の玉子炒飯に似ていた。長男はこの味の炒飯をいたく気に入ったようだった。妻に、こういう炒飯を作ってと頼んでいた。

ちなみに、炒飯でメニューに“~炒飯”と書かれていたのはこの蛋炒飯だけで、あとは全部“~蛋飯”と書かれていた。蝦仁蛋飯(샤런 딴판)、蟹粉蛋飯(시에펀 딴판)、牛肉蛋飯(뉴로 딴판)、排骨蛋飯(파이구딴판)、肉絲蛋飯(로쓰 딴판)と並んでいる。長男は、ハングルの料理名を見て笑った。딴판は韓国語で“まったく別物”という意味だから、この場違いな딴판は、奇妙に見えないこともない。

韓国の飲食店では普通、キムチを出すが、この店はキムチを別途に注文しなければならない。代りに搾菜が出る。韓国でも中国人の経営する中華料理店では搾菜を出すが、この店の搾菜は、酸味を効かせていて、ほのかな甘みもあり、そのおかげで箸が進んだ。

店の奥の壁は天井まで本棚になっていて、そこに赤い表紙で金の背文字が書かれた本が立てかけられていたり、寝そべっていたりしている。妻が飾りじゃないのと言うので、行って手に取ってみたら、本当に本だった。簡体字で書かれた古典中国語、つまり漢文だった。

딘타이펑(鼎泰豊)명동점の電話番号は、02-771-2778。住所は、서울시 중구 명동2가 104번지。ホームページもある。URLは www.dintaifung.co.kr
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by ijustat | 2009-09-14 23:26 | Restaurants

アラビア語講座6

今日は、アラビア語講座の6週目だ。不思議なことに、復習もろくにしていないのに、文字がだいぶ読めるようになって来た。もっとも、関心はずっとあるので、時々『CDエクスプレス アラビア語』を眺めては、文字を読んでいた。それがよかったのかもしれない。

先生が先週くださったプリントは、残念ながらあまり役に立たなかった。内容が悪いというのではなく、読みにくいのだ。母音記号が落ちていたり、アラビア文字を使わずハングルだけで発音を記録したりしていた。私の考えでは、母音記号は実際の文書では使われないのだから、省略してしまい、代りにハングルで読みを併記したらいいと思う。そうすれば、ハングルを見てどの母音を用いるのかが分かるし、正確な子音の発音は、アラビア文字を見たらいい。まあ、それは私の考えだけれど、私がアラビア語の教師だったらそうやるだろう。

今週は、名詞のプリントを配られた。だけど、前半は前回のプリントを読んだ。手順としては、あまりよくなかった。そうすると、前回のプリントを忘れてきた人がいるだろうし、その人にまたプリントをあげるのは、資源の無駄だ。実際、私はプリントを忘れてきて、先生から1部もらった。これで、先週のプリントを2部所有することになった。

今週の授業も、前半は韓国人の先生が授業をし、後半は母語話者の先生が授業をする。後半の授業は、人称代名詞だった。アラビア語には、人称代名詞の他に、名詞に接尾型の人称語尾が付きうる。たとえば、「本」“キターブン”を「私の本」にするときは、“キタービー”にする。「私たちの本」は“キターブナー”だ。

c0019613_23244359.jpgだけど、先生の板書はものすごく早く、あれよあれよという間にホワイトボードを埋め尽くし、何がなんだか分からないうちに、説明から練習まで始めてしまった。その間に私はやっと2人称まで書き写したけれど、複数女性形までは書き取れなかった。私のノートは3人称が空白のままだ。

そのようになった理由は、まず体系を枠組みとして提示してくれなかったため、どのように板書をノートに書いたらいいか分からなかったのと、意味もよく分からない段階で板書をものすごいスピードでするため、付いていくことすら難しかったのとによる。それでも予習さえできれば何とかなりそうなのだけれど、プリントは当日配られるため、次の週に何を勉強するのか、それを始める瞬間まで分からないのだ。もらったプリントを見ても、それを今日やるかどうかも分からない。実際、今日もらったプリントに数詞があったけれど、今日は数詞の勉強をしなかった。先週だったか先々週だったか、何も分からない段階でいきなり雪崩のように数詞を板書したのが数詞の勉強だったらしい。数詞はもうやったというわけだ。私はコンピュータでもOCRでもないので、目に焼きついた画像がそのまま意味を持ったテキストとして脳裏に貯蔵されるなんて芸当はできない。

それでも、他の受講生たちは、不自由していないようだった。4期生もいるらしく、ある受講生は、授業の前に母語話者の先生とアラビア語で話していた。たどたどしく話していたけれど、私から見たら、ものすごい実力だ。そういう受講生に合わせたら、私なんかはまともについていけるわけがない。

それでも、授業に出ることは、一人で勉強するよりもはるかに役に立つ。教室で先生が口にし板書するアラビア語は、MP3でも動画でもない生きた姿の言語だ。それに触れ、その一部でも理解することで、記憶の中に徐々にアラビア語の語彙や表現の記憶が蓄積されていくのだ。できの悪い学生でも、絶対に休んだり遅刻したりしてはいけない理由がここにある。決して、絶対に、時間の無駄にはならない。

で、今日渡されたプリントを帰ってから見ると、母音記号が付いていたり付いていなかったりしていた。母音記号が付いていない語は、もちろん読めない。つまり、発音すらできない。“キターブ”だって、母音記号が付いていなかったら、とりあえずカターブとか読むしかない。カターブなんて言ったら、アラブ語話者の人たちは聞き取ってくれるだろうか。

それで、家で勉強するのはもっぱら『CDエクスプレス アラビア語』または『알기쉬운 아랍어 입문』ということになる。
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by ijustat | 2009-09-13 22:35 | Language Learning