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한글학회

土曜日に부산대학교で開かれた한글학회で、発表してきた。

한글학회は韓国語学でたぶんいちばん古い学会で、大きな学会だと思うのだが、分科会を行わず、一つの部屋で朝から夕方までずっと発表会を行っていた。

たいていの学会は、決まった時間に近づいたら鐘を鳴らして発表者に知らせるのだが、한글학회は、そういうことをしないので、熱弁を振るう先生がいると、時間がずれ込んでしまう。そういうわけで、当初の閉会予定時刻は6時だったのが、6時半過ぎにずれ込んだ。

私は、発表時間を短くする練習をたくさんしていたので、一人の発表に割り当てられている20分以内に発表が済み、参加者の先生方から歓迎されたと思う。(笑)

私の発表に対する討論者は、홍사만先生だった。修士論文を書いたとき、홍사만先生の著書を読んで勉強していたので、一度お会いしたいと思っていた。それがこういうところで実現した形になった。接続助詞「て」と韓国語の該当するものを対照した私の研究に、興味を持ってくださった。

한글학회は、入会規定が厳しく、推薦人が2人必要で、入会時に論文も提出する必要がある。学会誌への投稿は、入会してから出ないとできない。

それで、今日の発表要旨は論文として認められませんか、と聞くと、大丈夫だ、と言われた。それから、推薦人が必要なんですが、というと、第1部で司会をされた박선자先生と、もうひとりの年配の先生が、入会申込書にサインをしてくださった。大変失礼なことに、サインをしてくださった先生のお名前を失念した。

한글학회の雰囲気は、純国粋主義的な気風があり、最初は度肝を抜かれた。しかし、それと同時に、家族的な雰囲気があり、外国人の私にも屈託なく親切で、それにも戸惑わされた。不思議な体験をした、最初の学会発表だった。

あとの関門は、入会が承認されることと、そのあとは、投稿した論文が学会誌「한글」に掲載されることだ。
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by ijustat | 2006-10-22 13:02 | Study

『悪魔のささやき』

(加賀乙彦著、集英社新書、2006年)「★★★★☆」

「あのときは、悪魔がささやいたんです」

この言葉は、あるときは病院で、自殺を図り一命をとりとめた人々の口から、また、あるときは、人を殺し判決を待つ未決囚や、いつ来るか分からない“お迎えの日”におびえる死刑囚たちの口から、発せられたものだという。

著者は、このような人々の口から決まって出てくる「悪魔」という言葉を鍵に、犯罪や自殺などに走る瞬間を追い、さらにはカルト宗教に走る若者、軍国主義、共産主義の台頭、原爆投下の決定にまで考察の幅を広げている。

悪魔のささやきは、「あいまいでぼんやりした心に働きかけてくる」(110ページ)ものだという。それは、「犯罪に走る直前、あるいは自分の命を絶とうとする直前、何か得体のしれない強い力に背中を押されたように感じ、それを『悪魔にささやかれた』と表現していた」(123ページ)のである。だから、どういう声で、どこから聞こえたか、どんな内容だったかを尋ねると、彼らはこう答える。

「いえ、何かを言ってるのがほんとに聞こえたわけじゃなく、そういう感じだったってことなんです。誰かに動かされたみたいに、気がついたらやっちゃってたんですよ」(123ページ)

悪魔というものは、「ぼんやりとした状態にある人間の心にすっと入り込んでくるし、欲望にこそ取り憑きやすい」(157ページ)。それは「人間というものが持っている弱さや醜さにつけこみ、それを引きずり出し、人を悪い方向へと突き動かすもの」(176ページ)なのである。

「では、どうしたら悪魔のささやきを避けられるのか。ささやきに惑わされて走り出してしまったとき、どうすれば湖に飛び込む前にブレーキをかけることができるのか」(177ページ)という疑問に、著者は答えている。

その一は、「自分の目の前、身の周りだけに関心をとどめてしまわず、視界を三百六十度に広げ、できるだけ遠くまで見晴るかすこと」(179ページ)。その二は、「世界の代表的な宗教について知ること、とくにその経典に目を通すこと」(182ページ)。その三は、「死について知ること、考えること」(189ページ)。その四は、「自分の頭で考える習慣をつけること」(198ページ)。その五は、「確固とした人生への態度を持つこと」(204ページ)。

そして著者は、「個人主義」を勧めている(205ページ)。著者のいう個人主義とは、「人間ひとりひとりが思想、信教の自由を持ち、また個人が尊重されること」(206ページ)であり、「自己の個性の発展を仕遂げようと思うならば、同時に他人の個性をも尊重しなければならない」(207ページ)という思想である。それによって、「流されやすさ」(76ページ)がかなり避けられるだろう、と著者は述べている。

さらに、人格というものを重要視している。会津八一の『趣味の修養』という文章の中から、次のような言葉を引用している。

「偉大なる国民は偉大なる個人の集合であらねばならぬ。その偉大なる個人はいふまでもなく円満な人格の所有者でなければならぬ。その円満なる人格には豊富な趣味を欠くことは許さない」(208ページ)

この本は、精神科医の立場から見た、悪魔に対する本格的な研究の書である。その点で、とても価値が高い。ただ、残念なことに、口述筆記で書かれたためか、構成が若干漫然としている。それが本書の星を一つ減らした所以である。しかし、内容としては申し分なく、大事な部分に線を引きながら、何度も読み返す価値があると思う。

この本を熟読し、内容を黙想することで、私たちの内から外からたえずささやきかけてくる、破滅への誘惑の正体を知り、それを避ける方法を学ぶことができるだろう。
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by ijustat | 2006-10-12 00:05 | Books

『必ず合格する成川式勉強法!』

(成川豊彦、知的生きかた文庫、2006年)「★★★★☆」

この本は、国家試験をはじめとするさまざまな資格試験の受験に合格するための学習方略を伝授している。著者が教育の現場で30年以上かけて会得した選りすぐりの「合格の秘訣」であると謳っているだけあって、練りに練りぬかれたアドバイスだと実感できる。

まず、「朝、目覚めたら『合格の誓い』」という章から始まっているのが斬新である。いろいろな方法論はあるけれど、とどのつまり、心の中にどれだけ合格に対する意欲が漲っているかが、合否を分けてしまうということだ。

そして次の章は、「カウントダウンを開始せよ!」。これも忘れられがちなことである。しかし、これこそが合格に向けて学習意欲を高める動機付けとなっているということを強調しているという点で、画期的な内容だ。

その他、30ページの「バッターボックス理論」なども、本当にそうだよなあ、と痛感しながら読んだ。124ページの「『すべったら、死刑』と仮想する」なんて章は、目の覚めるような内容だ。おかげで、寝床で読んでいたのだけれど、このあたりから目が冴えてしまって、結局最後まで読み通してしまった。

この本は見開き1ページが1章になっていて、全部で119章ある。配列の順序については特に言及されていないが、一読したところ、前の方に特に重要なアドバイスが集めてあるという印象を受けた。また、冒頭の章からもわかるように、心理的な面や意識の面にも気を配り、食事や生活についてもアドバイスしている。

中には私とは関係ない章や、理解できない章もいくつかあった。それが本書の星を一つ減らした理由である。それ以外の多くは、熟読玩味する価値のある内容で満ちている。たとえば、「勉強するときは、枝葉を捨てて、基本だけをやる」(119ページ)という言葉は、ついつい忘れてしまいがちな点だが、非常に重要なことだ。これらのアドバイスは、特別な作業を要求しているわけではないので、とても適用しやすい。それがこの本の魅力となっている。

ところで、私は、和田秀樹の愛読者で、和田氏の著した学習関係の本は何冊も読んでいる。成川氏の著した本書には、和田氏と同じ内容もあれば(たとえば、「予習は必要ない。復習に命をかければいい(202~3ページ)」というアドバイス)、和田氏が指摘しなかった多くのこと(たとえば、休憩時間には目を休めなければいけない(68ページ)というアドバイス)についても書いてあって、有益だった。

試験に対する見方も、和田氏と若干違っていた。和田氏は、試験にはなるべく楽に通って成功体験を作り、その後の学習意欲の原動力とすべきだ、という考えがあるのに対し、成川氏は、試験を通して思考力を築き、そこから立ち上がって一人前のプロへと成長して行くべきだ、という考えがある。ただ、両者に共通なのは、どちらも試験後に対するビジョンを持っているということだ。これは本当に重要なことだ。

この本は、とても有益な本だ。時々手に取って読み返したいと思う。
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by ijustat | 2006-10-09 13:37 | Books

学会の発表原稿

指導教授の計らいで、한글학회で発表させてもらえることになり、修士論文を短く整理して昨日ようやく完成し、担当の先生に原稿をメールで送った。

短く整理とはいっても、部分的にずいぶん書き換えたところもあった。論文を書くときには全然気づかなかった事実にたくさん気づいたし、そのために、間違った分類もだいぶ目についた。それで、骨格と例文以外は、書き改めたと言ってもいいくらいになってしまった。

これが修士論文というものなのだろうか。先生方はよく通してくださったものだ。本当にありがたいことだ。と、そんなことを、間違いだらけの修士論文を目の前にして考えた。

そんなわけだから、発表原稿を提出はしたけれど、どうも自信がない。こういう気分は困ったものだ。
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by ijustat | 2006-10-07 05:17 | Study

散策語学

夜おそく、한강の河川敷に連なる「서울시민공원」のサイクリング道路を、이촌지구から성산대교まで行ってきた。

行きは「散策語学」をしていたので気が付かなかったのだが、帰りにふと空を見上げると、雲ひとつない紺色の夜空に、月が明るく光を放っていた。

で、散策語学とは何か、というと、散歩や自転車での散策などを、語学学習に活用する勉強法をいう。なぜ「散歩」といわず、「散策」というかというと、自転車では「歩」かないからだ。

散歩の時間を決め(私は自転車で20キロを1時間で走ることに決めている。)、カードに1つの文型から3~4例の短い文を書きこむ。片面に日本語、もう片面に外国語を書く。それを持って出かけ、最初の半分くらいの時間でその例文を覚え、残りの時間で、あれこれ単語を入れ替えてみる。

机に向って覚えようとしてもなかなか覚えられなかった例文も、歩いたり、ペダルをこいだりしていると、すぐに覚えられてしまう。そうしたら、滑らかに言えるように、何度も練習することができる。

散歩というのは、する人はだいたい毎日するし、何年間も続けると思う。その時間を簡便な外国語学習に充てれば、5年、10年と続けるうちに、大変な蓄積になるはずだ。これが、散策語学の意義である。
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by ijustat | 2006-10-07 05:08 | Language Learning