カテゴリ:Life( 21 )

月を打て!

c0019613_4575765.png
グーグルでイメージ検索をしていたら、たまたまこんな画像が隣りあって表示された。
[PR]
by ijustat | 2012-07-28 04:58 | Life

文章

2年近く前、このブログで文章について書いたことがある。そのあと、どうしたら魅力的な文章が書けるのか、ときどき考えていた。たとえ魅力的ではなくても、読む人が何らかの面白さを感じられる文章が書けたら、こんなにうれしいことはない。

そこで、気に入った著者の本を、その魅力の秘密を探りながら読んだ。そうやって、自分なりにまず気づいたのは、それらの著作には、著者個人の体験談が織り込まれているということだった。

体験談とはいっても、自慢話はあまり面白くない。何かの方法について書くときでも、最初に自分がその方法を知らなかったときのことをまず書き、次のその方法と出会う過程を描写し、それを適用した結果を書く。そういう体験談だ。それによって、その体験の全体像が明らかになり、自分にもそれができそうだ、という親しみを与えてくれる。

考えてみれば、これはキリスト教の伝道集会などで日常的に行われている「信仰の証(あかし)」と同じ形式だ。そのモデルは『新約聖書』の「使徒言行録」22章と26章にある。そこでは、パウロが自分の回心について弁明している。26章では、取調べの最高責任者だったアグリッパ王は少なからず心を動かされている。

これはさまざまな目的に使える。自分の体験が真実であればあるほど、読む人の心を大きく動かすことのできる形式だ。特に、自分の考えや方法論を伝える文章に使えそうだ。

次に、書くときの口調については、教えるように書くのではなく、文章の中で考え、文章の中で結論を発見するような書き方をした方がよさそうだと気づいた。そのためには、書きながら考えるのがいちばんいい。김형석という哲学者はエッセイストとしても有名だ。その中の作品のいくつかを読んだとき、そんな内省的な書き方をしていて、印象がよかった。

なぜそれがいいのか、自分なりに考えてみた。そうやって思いついたのは、こうだ。こういう書き方では、書く対象と自分との距離をしっかりと保つことになる。そうすると、読者も著者と一緒に肩を並べて、その対象と向き合うことができる。書き手が知識の側にいて、読者は知識のない側にいると、著者との距離を感じる。しかし、書き手と肩を並べていると、書き手に親近感を覚えるだけではない。書き手にとっての知識は、私たちとその知識よりはずっと距離が近い。それで読み手はその知識にも親近感を覚えることができる。まあ、そんな感じだ。合っているだろうか……。

そのような共感を呼ぶ書き方なので、著者がその対象を面白がり、楽しんでいると、読者もその対象が面白く感じられてくる。

この考えに至るヒントを与えてくれたのは、한비야氏だ。한비야氏は、自分の書いた本が世代を超えて読み継がれているわけを問われ、次のように答えていた。

만만한 거죠. 저는 독자들을 가르치려고 하지 않으니까요. 제 눈높이가 바로 젊은 독자들 눈높이예요.(『한국의 글쟁이들』구본준著、한겨레출판、2008、p.59)

この한비야氏の「만만한 거죠」ということばが、読んだあとずっと頭の中に残っていた。「만만하다」というのは、御しやすい、相手にしやすい、ということだ。偉くもないし、威張ってもいないし、気難しくもない。そういうことだ。たしかに、한비야氏の文章は、気安い感じを与える。読んでいると、自分も著者と一緒にその場で冒険しているような感じがしてくる。なるほど。

実際、私は偉い人間でもないし、相手が萎縮してしまうほどすごい能力や精神力の持ち主でもない。それにもかかわらず、自分の考えを文章にすると、何か偉そうに話しているような印象を与えてしまうことがある。もちろんそれはこけおどしだ。それなりの人が読んだら呆れるような、つまらないことを書いているのだ。そんなときは、決まってその知識や考えを、生まれつき知っているかのように書いている。そんな書き方ではなく、考えながら書いていくべきだ。そうすれば、한비야氏のように、文章は読者と同じ目線にまで下がることができる。

そういえば、論文は面白さとは程遠そうな文章だけれど、読んでみると案外面白い。そのわけも、同じことのようだ。論文では、問題意識をまず語り、それから集めたデータを持ち出してあれこれ考え、その場で新しい発見をする。その発見の現場に読者は立ち会うことになる。だから、なるほどと納得し、面白いと感じる。

ところで、単に考えるだけでなく、“自分で”考えることが大切だ。黒田龍之助氏は『大学生からの文章表現』(ちくま新書、2011)という本の中で、「大切なのは、自分で考えることである。これが基本。自分で考えることこそが、内容についての究極の指針なのではないか」(130ページ)と書いている。そして次のページで、山口文憲氏の『読ませる技術』という本の中から次の箇所を引用している。

世間の常識をなぞってはいけません。(……)たとえば、「役人はひどい」「日本語が乱れている」「オウムはけしからん」。この手のいい古されたこと、みんなのなかで当たり前になっていること、いわゆる「たんなる正論」にのっかって書くのも失敗のもとです。いい文章になる見込みがありません。

たしかにそうだ。ソウルでタクシーに乗ったりすると、運転手は時事的な話題を持ち出すことがある。それはたいてい、新聞やラジオのコピーだ。私はそれを聞きながら、なんで自分がこんなつまらない話を聞かなければならないんだと、ずいぶん思った。まあ、それはただの雑談なのだからいいとして、自分の意見を文章にするとなれば、マスコミのコピーになるのではなく、不完全ながらも自分で情報を集め、自分で考え、自分で結論を出すべきだ。そうすれば、論旨は欠陥だらけだったとしても、とりあえず、個性的な面白さはあるかもしれない。

ただ、読む人の中には、「何を根拠にこいつはこんなことを書いてるんだ」と噛み付いてくることがある。それには対処しておいた方がいい。自分の考えたことは、たいていすでにたくさんの人によって考えられていて、誰かがどこかで何かに書いている。だから、いろいろ考えてある意見にたどり着いたあと、自分の考えがあながち単なる思い付きでないことを示してくれる、先人の発言を引用すればいい。

このことについて、野口悠紀雄氏は次のように述べている。

引用とは、簡単にいえば、権威に頼ることである。これも説得力を高めるための技術だ。「私はこう考える」と言うより、「ゲーテがこう言った」のほうがありがたみがある。(『「超」文章法』中公新書、2002。135ページ)

これは護身術として非常に重要だと野口氏は強調している。野口氏によれば、弱者である私は、強者である「引用」に守ってもらう必要がある。それによって、不当に無視されるのを防ぐことができる。野口氏は論文の売込みについて書いているけれど、日常の文章についても同じことがいえる。自分の考えだけを書き連ねると、いくら論理的に書いても、ijustatが独り言を言ってらあ、と思われる。だから、権威や実績のある人のことばを引用した方が得だ。

そうやって文章について考えた結論は、こうだ。まず、自分の体験談を織り込むこと。それから、教える口調で書くのではなく、文章の中で自分も考えること。世間の常識をなぞるのでなく、自分で考えること。自分の考えには、先人の発言を引用すること。

物足りない結論だけれど、とりあえず今のところ分かった(と自分で思っている)のは、ここまでだ。ところで、この文章は面白いだろうか。
[PR]
by ijustat | 2011-11-14 21:13 | Life

산선동の街角

地下鉄4号線한성대입구駅の近く、삼선동の街角を歩いてみた。

c0019613_0384072.jpg
何ともいえぬ貫禄のある雑貨屋。こういう韓国独特の風情が私は好きだ。

c0019613_0394011.jpg
韓国式家屋の食堂。看板に書いてある店の名前は「스끼다시 천국」。名前の上に「활어회」(活き作り)と書いてある。私は活き作りは嫌いだ。以前、東京の飲み屋で鯛か何かの活き作りを注文したことがあるけれど、魚の苦しんでいる様子を見ると、胃がおかしくなりそうだった。

c0019613_0395961.jpg
裏通りにも韓国式家屋が顔をのぞかせている。あの建物は、わりと新しいものらしい。韓国式家屋の作りだけれど、壁は煉瓦造りだ。
[PR]
by ijustat | 2011-11-02 00:48 | Life

新しいノートパソコン

前回のネットブックに続き、今回も友人の김완일氏を通してノートパソコンを買った。機種は、Samsung の SensX11。下の写真がそれだ。机が散らかっていて見苦しいけれど、それは、大目に見ていただければ感謝。
c0019613_1104175.jpg

今回の買い物は、前回のネットブックと引き換えにして、25万ウォンで買った。

김완일氏の売買方法は独特で、話を聞くたびに面白い。今回は、彼と取引をしたことのある人の紹介で、そのノートパソコンの持ち主と会った。そして、交渉の結果、その人は、このノートパソコンを売る代わりに、10万ウォンを上乗せしてアップグレードしたノートパソコンを手に入れることに同意したという。

なぜそのような交渉をしたかというと、何週間か前、彼に中古のノートパソコンを30万ウォンで手に入れたいと頼んでおいたからだ。それに合わせて、条件の合いそうな人が現れるのを探してくれて、今回、それが実現した。

私は、昨日(2011年8月28日)現物を受け取り、今日入金した。だけど、신한은행から국민은행に振り込んだら、手数料をなんと1,200ウォンも取られてしまった。

SensX11 は、ネットブックに比べてはるかに大きいので、最初はちょっと当惑した。けれども、キーボードが大きいから、タイピングがとても楽だ。慣れるのに時間がかかるかと思ったけれど、全然そういうことはなかった。
[PR]
by ijustat | 2011-08-29 23:06 | Life

蔵書を処分するページ

今まで「헌책방」に売っていた本を、直接売ってみようと思い立った。そして、私のホームページに目録を出した。住所は以下の通り。

  http://ijustat.com/sale/

まあこれは、言ってみれば、人通りのほとんどない郊外の空き地で、御座を敷いてわずかな品物を並べてみたというのにすぎない。現在の貧弱な目録は、時間が経てば少しは量が増えるかもしれない。しかし、あくまでも蔵書処分なので、内容が充実することはありえない。

けれども、捨てる神あれば拾う神ありで、私が処分する本を見て、それなら自分がほしいと思う人はいるかもしれない。そこで、金額は、「헌책방」に売るよりは多めにもらうけれど、一般の「헌책방」が売るよりは安めにした。もちろん、目録にあるものと同じ本が、「헌책방」の店頭で私の売値より安く売られている場合もあるだろう。そんなときは、どうぞそちらでお買いください。

ところで、“郊外の空き地”というのは、私は韓国のソウルに住んでいるため、ソウル市内でしか取引できないということだ。また、“人通りのほとんどない”というのは、大きなサイトからリンクをしたりして広告するわけでもないので、ここでこんなことをやっていると知る人は少ないということだ。

そこで、ちょっとしたアイデアを思いついた。私と同じように、蔵書を処分しようとしている人たちが、各自のウェブサイトに目録のページを作り、互いにリンクをし合っていけば、いずれはけっこう規模の大きなネットワークができるのではないだろうか。

こういうことをするには、自分で管理できるサイトなりブログなりが、ぜひとも必要だ。一人でやっていると誰にも気づかれないけれど、それぞれが互いに仲間を紹介しあうなら、一人一人のページが人目につく確率は高まってくるはずだ。

この思い付きが実際にどれだけ機能するかは分からない。けれど、たとえ小規模でも、面白い試みだ。あなたも、蔵書処分のページを作り、私とリンクしてみたらどうだろうか。ページを作られた方は、ぜひ連絡いただきたい。メールアドレスは、ijustat@hotmail.com。在住国や処分する本の言語は問わない。まだ何のフォーマットもできていないけれど、状況に合わせて少しずつ形作っていきたいと考えている。
[PR]
by ijustat | 2011-03-23 12:56 | Life

CASIO EX-word DATAPLUS 4, XD-SF7600

この電子辞書は、知人が自分の兄から譲り受けたものを昨日、つまり2010年1月30日に、私が預かったものだ。

c0019613_1305776.jpg彼の兄はソウルでタクシーの運転手をしているそうだ。ある日、乗客がこの電子辞書を置き忘れて行ったけれど、その人の連絡先も分からないし、日本の電子辞書だったので、日本語が少しできる自分の弟、つまり私の知り合いに譲った。

譲り受けたあと、彼は持ち主を探すために、慣れない日本語でカシオの本社に連絡したりして手を尽くしたけれど、ついに見つけられなかったという。それで、持ち主を見つけることはあきらめて、電池を入れ替え、日本人の知り合いである私にくれたというわけだ。

しかし私も、できればこの電子辞書を持ち主のもとへ返してあげたい。それで、持ち主探しのバトンタッチを受けたことにして、このブログに載せて知らせることにした。

機種はタイトル通りで、製品名を検索して調べてみると、去年の2月20日に発売されている。コンテンツの特徴としては、膨大な量の一般的辞書コンテンツの他に、日本語のアクセント辞典と、3種の韓国語辞典が収録されている。中国の工場で生産されたもので、買ってまだ間もないか、または持ち主が丁寧に扱っていたのだろう。ほとんど新品同様だ。

もし心当たりのある方は、ご連絡いただければと思う。コメント欄に、製品番号(Product Number)か、または電子辞書に付帯していた何らかの特徴、それから、どこでどのようになくしたかなどを、具体的に教えてくだされば、こちらで把握している事実と照合して返事をさしあげたい。(そうそう、メールアドレスも残してください)

もし韓国に住んでおられて、手渡しで返すことができればいちばんいいけれど、もし日本におられる場合でも、こちらからなるべく安全な郵送方法でお送りするつもりである。送料などはこちらで持つので心配しなくても構わない。ただし、代わりに、持ち主が見つかるまでは、大切に使わせていただくことにしよう。その点は大目に見ていただきたい。

2年でも3年でも待つつもりだ。でも、10年までは待てるかどうか自信ないし、エキサイトのブログサービスがいつまで存続するかも未知数だけれど、とにかく頑張ってみよう。
[PR]
by ijustat | 2010-01-31 02:05 | Life

文章

つくづく嫌気が差すのは、私は文章が下手だということだ。まず、つぎはぎで修正していくために、流れが悪い。そして、ぎこちない言い回しが多い。さらに、魅力に欠ける。そうやって自分の文章の欠点をあげつらったあげく、私の文章が下手なのは、父が下手糞な文章を書いて自己満足しているからだと、人のせいにし始める。でもまあ、自分の現実が自覚できるだけでも救いかもしれない。

それでも、あとで読み返してみて、まあまあ良く書けていると思うことも、たまにある。これは、闇雲に撃ちまくった鉄砲が、たまに的に中ったようなものだ。そこで、自分はどんな文章が書けたときに満足するのだろうか。そんなことを考えてみた。

まず、複眼的に書けたときに満足するようだ。どんな事象でも、いろいろな側面がある。そのすべてを見ることはできないとしても、いくつかの側面からは見ることができるだろう。しかし、私は往々にして、一面から物事を見てしまいやすい。そうならずに、少なくとも二つの側面から見ながら書けたとき、満足するようだ。

次に、よい思想が文章に込められたとき。よい思想というのは、思いやりや、人を大切にする態度だ。自分に本当にそういう思いがあるかどうかは疑わしいけれど、もし疑わしいからといって、この思いやりや人を大切にする態度を否定してしまったら、自分自身を害するだけでなく、私の書いたものを読んだ人にも悪い影響を与えるかもしれない。よい思想が私の腹の中から出てくるのを待つのではなく、私がよい思想に服従し、そのしもべになるべきだ。

そういうわけで、大事なのは器よりも器に盛る中身、つまり、形式よりも内容だ。だから、始めはとにかく書くことにしている。そのためといっては何だけれど、最初に書きあがったものは、構成がかなり乱れている。整わない構成ばかりか、不適格な言葉、しっくり来ない言葉、舌足らずな部分、無駄な言葉が乱舞する。それらは仕方がない。書き終わってから時間を置き、あとで校正する。時間がたつと、自分の文章も他人の目で見られるようになる。そして、時間を置いて何度も見直すことで、数人のチェックを受けるのと似たような効果を得ることができる。もちろん、数人とはいっても、書いたときの自分の水準を超えるものではないけれど、岡目八目といって、傍から見れば、ああすればいいのに、こうすればいいのにといった修正案が思い浮かびやすい。もっとも、見るたびに不自然な表現が目に付くのは困り者だ。一つの段落が全部不要ということも、必ずといっていいほどある。こういう形式的な不完全さが、私をいちばん悩ませる。

形式といえば、文は短い方がいいのだろうか。原則としては、そうだろう。自分の文章を読み返したとき、だらだらと長く続いていることがよくある。それは、しまりがなく、見苦しくも感じられる。とはいえ、だからといって、すべて短く書かなければならないとも思えない。はんなりした雰囲気、煮え切らない気分などを表したいとき、簡潔な文章では、うまく表現できない。それに、文が短いほど、語調は強くなるし、時にはぶっきらぼうにもなる。優しさを伝えたいとき、そんなごつごつした、箱にじゃが芋が詰まっているような文章では、気持ちも伝わらないだろう。だから、文章の長さは絶えず自覚している必要がある。そして、あるときは長く、あるときは短く、意識的に文章の長さを調節するわけだ。

同じように、断定口調がいいのか。それとも、婉曲な言い回しがいいのか。これに関しては、誠実であるべきだというのが、私の意見だ。ある人は、断定できないことは書くなと言っていたような気がする。それは無理だ。断定を避ける様々な表現は、自分と情報との関係を正確に表すためにあるのだ。見たことや聞いたことは、断定できても、そこから引き出される自分の考えは、手放しに断定できないことが多い。語尾は断定形だったとしても、文の前に、「その範囲で言えば」のような限定表現を付けて、断定を回避することもある。もしそのような安全装置をつけないで、限られた情報から、無理やり結論を導き出して断定するなら、読み手はどう思うだろうか。たとえば、ある外国人が、「尾崎さんはピーマンが好きだそうです。田中さんもピーマンが好きだと言っていました。だから、日本人はピーマンがすきなんです」なんて断定したら、この人はちょっと曲者かもしれないと思うだろう。けれども、「ということは、ひょっとして日本人は、ピーマンがすきなのかも知れませんね」と言うのだったら、まあ許せる。誰でもそういう疑念は心をよぎるだろうから。

でも、文章を本当に価値あるものにするのは、形式ではない。それは基本的に身に着けておくべきもので、それができて文章が優れたものになるわけでもない。立派な語彙と整った形式で表現されたものが、月並みな思想、型にはまった観察だったら、価値ある文章だとは言えないだろう。本当に価値ある文章にするのは、内容なのだけれど、「内容」という言葉では言い表し切れない、そこに込められた、あるいは、しみ込んだ“何か”が、文章の価値を高めているらしい。それが何なのかが分かればいいのだけれど、その“何か”は、なかなか本性を現さないし、それを探し出す公式もなさそうだ。何しろ、価値ある文章というのは、千差万別なのだから。ただ、すばらしい、魅力的な文章に接するたびに、その秘密が分からなくて歯がゆい思いをするばかりだ。一生懸命悩み続けるしかないのかもしれない。

それでも、悩んでいると、悩むツボを教えてくれる言葉に出会うことがある。以下は私の出会った言葉。出会った順に紹介しよう。(出会いはしたけれど、ふと気づくと、それらはまったく身についていなかった……)

●板坂元氏は、「わたくしは、名著といわれる本や、一世を風靡したベストセラーなどを、内容をはなれて、情動的なレベルではどういう状態になっているか、を黄色のダーマトグラフで線を引いて調べることがよくある」(『考える技術・書く技術』講談社現代新書、1973、p.131)と言っている。そうやって得た氏のノウハウ(同書、p.130~162)は、なんと魅力的なことか。それはともかく、自分から名著やベストセラーを研究するのがいちばんいいようだ。

●한비야氏は、自著が世代を超えて人気を博している秘訣について問われたとき、「만만한 거죠. 저는 독자들을 가르치려고 하지 않으니까요. 제 눈높이가 바로 젊은 독자들 눈높이예요. 전성기를 향해 항상 진행형이라는 게 젊은이들과 같은 거죠. 나이 들면 사람들은 세상 다 산 것처럼 ‘돌아보니 이렇더라’고 쓰기 십상인데 저는 반 발짝 앞에서 제가 목격한 세상을 보여주면서 선택의 폭을 넓혀주는 거예요. 멀리 떨어져 훌륭한 일을 하는 사람이 아니라 똑같이 누군가를 욕하기도 하고, 깨져도 앞으로 조금씩 나가려고 무진 애를 쓰는 언니, 누나로 보는 거지요.」(2008年1月『한겨레』とのインタビュー;『한국의 글쟁이들』구본준著、한겨레출판、2008、p.59~60)と答えている。

●関口存男氏は、「まず自分の考えていることを一抉り、二抉り、三抉り、右から抉って届かなかったところは左から抉って掘り下げ、左から抉って抉り足りなかった所は右からメスを廻して底を衝くといったようなあんばいに、誰が考えてももはやこれより以上は考えられないというところまで考え到った上でなければ、ほんとうの表現ができるものではない」(「ひねれ」『基礎ドイツ語』1956年12月号;『関口存男の障害と業績』三修社、1959、p.310)といい、さらに「ひねった上に、更にもう一ひねりひねれ! 指先だけでひねり足りなければ、全身でひねれ! はらわたの体操になる。全身でひねってもまだひねり足りなければ、こんどはモウやむを得ない、いよいよ本腰を据えて“全人”でひねれ!」(同書、p.312~313)と言っている。
[PR]
by ijustat | 2010-01-20 09:06 | Life

ベランダから見た風景 その5

ここまでにしておこう。

No.21 07月25日09時22分撮影
c0019613_16575915.jpg


No.22 07月25日10時32分撮影
c0019613_1658927.jpg


No.23 07月25日11時30分撮影
c0019613_16581995.jpg


No.24 07月25日14時00分撮影
c0019613_16583058.jpg

[PR]
by ijustat | 2009-07-25 16:58 | Life

ベランダから見た風景 その4

さらにある。

No.16 07月24日18時23分撮影
c0019613_16555634.jpg


No.17 07月24日18時46分撮影
c0019613_16561265.jpg


No.18 07月24日18時52分撮影
c0019613_16562619.jpg


No.19 07月25日08時05分撮影
c0019613_1656416.jpg


No.20 07月25日08時47分撮影
c0019613_1657280.jpg

[PR]
by ijustat | 2009-07-25 16:57 | Life

ベランダから見た風景 その3

もっとある。

No.11 07月22日11時11分撮影
c0019613_1654562.jpg


No.12 07月23日09時11分撮影
c0019613_1654166.jpg


No.13 07月24日13時26分撮影
c0019613_16542618.jpg


No.14 07月24日14時36分撮影
c0019613_16543661.jpg


No.15 07月24日17時24分撮影
c0019613_16544976.jpg

[PR]
by ijustat | 2009-07-25 16:54 | Life