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<알귀쉬운 아랍어 기초 문법>

アラビア語に手を付けてみて、それが思った以上に学習困難な言語だということを知った。その理由は複合的だ。

第一に、文字の体系が身近でない。文字の「形」ではない。「体系」だ。子音字だけで構成されていること、語頭形・語中形・語末形があることばかりか、語中にあっても、後ろに続く文字と続かない文字がある。だから、文字と音との結びつきに慣れるのに苦労する。また、同じ音素なのに先行する文字によって形が変わってしまうため、文法の規則性がなかなか見えないのも学習者泣かせだ。

第二に、発音が難しい。外国語なのだから、難しい発音があるのは当たり前なのだが、喉音が多いのが、滑らかな発音練習を困難にする。この発音の困難さが、文字の印象の薄さをさらにひどくしている。文字と発音は、語彙と文法の土台になるものだから、この困難さはアラビア語学習において致命的だ。

第三に、形態論が特殊だ。これだって、慣れの問題なのだけれど、人称変化で何度もノックアウトされながら、先週やっと規則動詞の過去形(完了形)と現在形(未完了形)を覚えるのに成功した。なんと1ヶ月もかかった。その理由は、上の2つの理由もあるけれど、さらに、過去形を先に覚え、次に現在形という、学習の順序としては信じがたい順番で提示されているのと、3つの人称に男女の区別があり、さらに単数・複数の他に双数というものまであって、それらを覚える順序も、3人称から覚えていくというのが、西洋語の文法学習に慣れた私たちとしては、衝撃的なことだ。

第四に、単語が覚えにくい。その理由は、文字と発音の困難さがある上に、音節の母音構造が似ていて、記憶の中で子音がどんどん入れ替わってしまうのだ。これは恐ろしい現象だ! このようにアラビア語の単語がなかなか覚えられないという現象を前にして私が考えたのは、自分は今まで母音を軸にして単語を覚えていたのではないかということだ。アラビア語は、子音が軸になっている上に、母音は /a/, /i/, /u/ の3種類しかない。取り付く島もない。

アラビア語を習得した人の話によると、そのような困難が何十種類も控えていて、その学習は大変な道のりだという。それをすんなりと学習できる人は、よほどの秀才か、よほど恵まれた環境で身に付けた人に違いない。

その上で、私の受けたアラビア語入門教育と、私が手にした教材は、さらに学習を困難なものにした。

まず、入門教育は悲惨だった。なだれのような新出事項に押されて、結局ほとんど身に付かないまま終わった。何かの本にそのようなことが書いてあったけれど、まったくその通りだった。もっとも、文字だけは何とか身に付いたからよかったけれど、それだけでは、子音字だけで書かれる通常のアラビア語テキストを音読すらできない。(교보문고に『한국어-아랍어 사전』があったけれど、開いてみたら、アラビア語には母音記号が付いていなかった!)

説明も、よくないことが多かった。子音の説明も、調音点を指摘してくれなかったので、CDで何度も聞いて確かめるまで、喉音の正確な調音点などについてはずっと不明だった。(母音は3つしかないので簡単だ。)また、文法の説明も、あまり詳しく教えてくれなかった。詳しく説明すると受講生が嫌がると思っていたようだ。

さらに、私が手に入れた教材は、会話中心で、やはり文法の説明が不足していた。それがどんな問題を起こすかというと、テキストに出てきた語形の単語は、その文脈での使い方しか分からず、人称を入れ替えたとき、どう使ったらいいか分からなくなってしまうのだ。覚えるだけで応用不可という例文を記憶しておくのは、非常に困難だ。

言葉の構造には、横の関係(syntagmatic relation)と縦の関係(paradigmatic relation)がある。横の関係とは、文の流れの中での前後の関係、縦の関係とは、第一に、ある文中の語と入れ替え可能な他の語群との関係、第二に、文中の語が他の文脈でどのように使えるかという関係だ。この縦の関係を表すのが、いわゆる文法と呼ばれている形態論だ。

会話中心の教材は、横の関係には強いけれど、縦の関係がおろそかになりやすい。だから、例文は理解できても、それを構成する各語の構造が理解できないので、中途半端な理解になってしまい、記憶しにくいし、なんとか記憶はできても、意味をおろそかにした記憶になってしまいやすい。意味がおろそかだと、せっかく例文を覚えても、しばらくするとすっかり忘れてしまう。もちろん、その逆も問題だ。極端な例で言えば、変化形の訓練だけで例文すらない教材は、その変化させた語が文中にどう置かれるかが分からないので、変化形は覚えても覚えても忘れてしまう。そういう教材は、たいてい形態論の部では例文なしで行き、そのあとでいきなり原文を読ませる。たとえば、『고트어』(한국외국어대학교 출판부)や『고대 교회 슬라브어』(한국외국어대학교 출판부)などがこれにあたり、日本で出たもので言えば、『新約聖書のギリシア語文法』(教友社)がそれに近いだろう。いい本だけれど、一人で学習するのは至難の業だ。

私のアラビア語学習の問題は、後者でなく、前者だった。つまり、縦の関係で躓いていたのだ。

それで、文法を中心に教えてくれる教材がどうしても必要になり、교보문고に行ってみた。そこで見つけたのが、この『알기쉬운 아랍어 기초 문법 (김종도 아랍어 시리즈 III)』(김종도著、명지출판사、2000。ISBN:9788931107456)だ。分量も適当(230ページ)で、分厚くもなく、かといって少なすぎもしない。分量が多すぎると説明が煩雑になって学習者を混乱させることがあるし、少な過ぎるものは、概して説明をはしょるため、難解になったり、時には学習者を路頭に迷わせることすらある。しかし、この本は、しっかりと説明してくれているけれど簡潔で、煩雑にもなっていない。

また、すべての例文にローマ字で読みが添えられている。アラビア語は母音記号がついていても読みが難しい。だから、文法を理解するところで読みにかかずらわっていると、肝心の文法が分からなくなってしまう。それに対し、この本では、文法説明の例文には、最初から最後まで読みがついていて、さらに、練習問題の前に提示されている語句にも読みがついている。これは、学習を大変容易にさせてくれる。

しかし、練習問題にはローマ字が添えられていない。これは、かえって都合がいい。文字に集中できるので、文字と意味との連合が容易になる。実によく考えられている。

文字と発音の課を読んでみると、アクセントの説明があった。実は、私の持っていた本や会話集には、アクセントについての説明がなかったのだ。アクセントがあることすら言及されていない。アラビア語には確かにアクセントがあるのだけれど、その規則がはっきりせず、読むときに困っていた。しかし、この本では、「영어처럼 중요시되는 것은 아니다」と但し書きをした上で、アクセントの規則が5項目にまとめられている。これはとても親切に感じられた。

まだ第1課「명사와 관사」しか読んでいないけれど、細かい点をはしょらずに、丁寧に説明しているので、とても分かりやすい。たしかに、会話中心の教材でここまで細かく説明すると、紙数がオーバーしてしまうだろう。学習書を作る難しさだ。その点、『알귀쉬운 아랍어 기초 문법』は紙数の制約に悩まされることなく、懇切丁寧に説明してくれている。

各課内の構成は、文法説明をしたあと単語を提示し、その単語で訳読練習をするという、純粋に伝統的な文法訳読式の形式を取っている。形態論の単純な言語では、会話中心に学習しても困難は感じないけれど、形態論が複雑で、なおかつそれまでに学んだことのある外国語とまったく違う外国語を学ぶときには、このような文法教材も必要だということを実感した。

もちろん、これだけではつまらない。何しろ練習問題の例文は、「公正な王」「そのパンは良い」「古い城」「その男は有名だ」「その少年は背が高いか」「新しい師はどこか」といった感じだ。重要な語彙が用いられているけれど、何しろ面白みがない。会話中心の学習書と一緒に読んで行かないと、退屈かもしれない。

とはいえ、この学習書はとてもよくできている。今後この本を読み進めていく過程で、どのような問題にぶつかるかは分からないけれど、初めの書き出しは、なかなかいい。
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by ijustat | 2009-11-14 23:55 | Language Learning

アラビア語講座8

今日は、アラビア語講座の最終日。バスが遅れて10分以上も待った後、4時25分ごろやっと乗った。けれども幸いなことに道はあまり込んでおらず、時間に少し遅れただけだった。私が着いたとき、まだ授業は始まっていなかった。

今日は何をするのだろうと思ったら、アラビア語の주기도문(主の祈り)のプリントを渡された。そのテクストには母音記号が付いていなかったけれども、横にハングルで発音と訳が書かれていたので、それで母音と大まかな意味を知ることができた。アラビア語の母音は a, i, u の3つしかないので、最低でも6つ(最高で9個)ある韓国語の母音で十分に間に合う。ただし、アラビア語の子音は複雑なので、ハングルを見ていても分からない。幸い、アラビア語のテキストは子音字が連なっているので、ちょっと面倒だけれど、ハングルとアラビア文字の両方を見れば、正確な発音が可能だ。

c0019613_18444457.jpg授業は、まず最初に形容詞と名詞を板書することから始まった。形容詞の提示の仕方は、その大枠は良かった。「よい(ジャイイード)-悪い(サイイーウ)」のように、対になる語を一緒に提示している。ただし、いつものように、意味よりも先に形を書き、受講生たちが文字を認識する余裕もないうちに自然な速度で発音を聞かせ、練習までしてしまう。これはとてもまずかった。提示速度が速すぎるのだ。記憶に残す作業を行う余裕もない。

そのあとで、アラビア文字を使って韓国の人名や地名を書いて読む方法を教わった。これはとても面白かった。たとえば、평양(平壌)は「ビユーングヤーング」となり、ソウルは「スィーウル」と「スィーユル」と「スール」の3通りがある。学生が自分の名前を教えてくれと言った。나성자さん人は、「ナースーングジャー」、정은실さんは「ジューングウーンシール」となる。

先生と目が合った。すると先生は、私が聞く前に、東京は「トゥーキーウ」となると教えてくれた。私の名前は聞かなかったけれど、たぶんアラビア語で書けば、「ウーザーキー・タースージー」になるのだろう。クーリーヤ国のスィーユル市に住む、ヤーバーン国出身のウーザーキー・タースージーさんというわけだ。

そして最後に、主の祈りを読んだ。先生が一語ずつ解説をしてくれて、その意味が分かった。けれども、途中まで説明したところで、予備校の英文解釈の授業みたいで、つまらないでしょうと言う。全然そんなことない。説明なしに発音だけされたら、さっぱり意味不明の、クーカイマニマニマニマニダスティー・クーカイコー・クーカイコーになってしまう。そこに意味を一つ一つ与えていくと、閉じられていた文字の並びがいきなり目を開いて光を投げかけて来る。その美しさは、何とも言えない喜びを伴うのだ。私が「おもしろいですよ」と言うと、それはありがとう、と答えていたけれど、私の言葉を信用していないようだった。

なるほど、先生はごく平凡な授業の仕方が学習者の精神活動に最適であることに気づいていないのだ。そのために、料理の主食に出されたライスが生の米だったみたいな感じで、一口掬ってぼりぼり苦労して噛んでいるうちに、お皿を下げられてしまい、「どうです? お腹いっぱい召し上がりましたか」と聞かれているみたいな授業だった。それでも食べられたんだから、十分栄養が取れてるんですよと言われてしまえば、それまでだけれども。

そんなわけで、ほとんど消化不良のまま、この8週間のアラビア語講座が終わった。しかし、文字はしっかり覚えたし、単語もほんの少しだけれど、覚えることができた。あとは『CDエクスプレス アラビア語』をゆっくりとやっていけば、だんだんと慣れていきそうだ。
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by ijustat | 2009-09-27 19:35 | Language Learning

アラビア語講座7

今日は、アラビア語講座の7週目。毎回ほとんど消化不良になりながらも健康を害さないのが、勉強というものだ。これが食べ物なら、私はもう病院に行っているかもしれない。今日は天気もよく、涼しかったので、自転車で教会まで行った。家の前から한강のサイクリング道路に入り、동작대교を少し行ったところで出て、教会に行った。

突如、先週配られたプリントをやると言われた。ところが、私は先ほど、急遽自転車で来ることに決めて、かばんに入っていた教材を、リュックに移したのだけれど、そのとき、プリントをリュックに入れ忘れてしまった。それで、また予備のプリントをもらうことになった。悪い学生だ。

今日は、女性名詞と男性名詞について習った。本で見るのと授業で説明を聞くのとは大違いだ。先生は、女性名詞でないものはすべて男性名詞だと言った。一見、当たり前だろうと突っ込みを入れたくなるような表現だけれども、その意味するところは重要だ。つまり、女性名詞を見分けろということなのだ。女性名詞には形態的な特徴があり、その他いくつかの例外的な女性名詞を覚えておけば、あとは全部男性名詞だということだ。だから、女性名詞でないものは、すべて男性名詞というわけだ。

そのあと、基数詞と序数詞を習った。けれども、ぜんぜん頭に入らなかった。“1”が「ワーヒドゥン」だということは、『CDエクスプレス アラビア語』の第1課のところにあるのを覚えていたけれど、その他の数は、聞いても見ても、口真似しても、頭に入らない。もっとも、授業中はほぼパニック状態が続くので、その中で記憶することは不可能だ。

私は、自分の授業では学生たちに暗記をさせるけれど、そのためには20回以上反復させ、さらに次の週にも、復習としてその半分ぐらい反復する。授業時間の半分以上は、暗記のために当てているくらいだ。残りのいくらかが、運用に当てられた時間というわけだ。

もっとも、そんな風に授業をやってくれる先生は少ない。たくさん教えたいというのが、教師の人情だ。口から言葉を発しさえすれば、学習者は頭にインプットできると考えている先生方が多い。まあ、科目の特性や、説明の腕前によっては、そういうことも可能なのかもしれない。だけど、アラビア語の入門に関しては、そんなことは断じてありえない。文字、発音、語彙、文法、それらすべてにおいて、初めて触れるものばかりなのだ。単語一つを提示したって、その中に含まれる、学習者にとっての新しい情報は、ものすごい分量になる。英語を知っている人が、フランス語の単語を3個覚えるぐらいのエネルギーが、アラビア語の単語を1個覚えるのに必要だ。だから、1時間の授業で提示できる語彙は、せいぜい20個が限度だろう。それは決して少ない数ではない。8週やれば、160個の単語が覚えられる。溢れるほどの新出単語で消化不良を起こし、ほとんど覚えていないというよりは、160個の単語をしっかり覚えた方が、はるかにましだ。

c0019613_029145.jpg今回も、授業の後半は、母語話者の先生による授業だった。これは、すさまじいものだった。今日は序数詞を習ったからということで、時間から分まで板書した。それから、時を表す名詞を板書した。もちろん、私たちには初見だ。津波のように押し寄せてくる新しい単語に押し流され、私は行方不明となった。

今日扱った新出語彙を数えてみたら、約100語ほどになっていた。すさまじい分量だ。今日は80分ぐらい授業をしたけれど、1語に1分もかけていないことになる。ローマ字で書かれ、目慣れた語彙や文法が出てくる外国語でも、この新出語彙の提示速度は強烈だ。まして、文字、発音、語彙、文法のすべてにおいて不慣れなアラビア語だ。先生が学生たちに、「어렵죠?(難しいでしょう)」と言っていたけれど、私は難しさすら感じなかった。アラビア文字の美しいもようを眺めていただけだから。

来週は、総整理をするか、新しい内容を教えるか、考えているところだという。まあ、総整理をしたところで、私の頭にちゃんと入るとは思えないけれど、雪崩のように板書される新しい内容で生き埋めになってしまうよりは、ずっとましに違いない。
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by ijustat | 2009-09-20 22:00 | Language Learning

アラビア語講座6

今日は、アラビア語講座の6週目だ。不思議なことに、復習もろくにしていないのに、文字がだいぶ読めるようになって来た。もっとも、関心はずっとあるので、時々『CDエクスプレス アラビア語』を眺めては、文字を読んでいた。それがよかったのかもしれない。

先生が先週くださったプリントは、残念ながらあまり役に立たなかった。内容が悪いというのではなく、読みにくいのだ。母音記号が落ちていたり、アラビア文字を使わずハングルだけで発音を記録したりしていた。私の考えでは、母音記号は実際の文書では使われないのだから、省略してしまい、代りにハングルで読みを併記したらいいと思う。そうすれば、ハングルを見てどの母音を用いるのかが分かるし、正確な子音の発音は、アラビア文字を見たらいい。まあ、それは私の考えだけれど、私がアラビア語の教師だったらそうやるだろう。

今週は、名詞のプリントを配られた。だけど、前半は前回のプリントを読んだ。手順としては、あまりよくなかった。そうすると、前回のプリントを忘れてきた人がいるだろうし、その人にまたプリントをあげるのは、資源の無駄だ。実際、私はプリントを忘れてきて、先生から1部もらった。これで、先週のプリントを2部所有することになった。

今週の授業も、前半は韓国人の先生が授業をし、後半は母語話者の先生が授業をする。後半の授業は、人称代名詞だった。アラビア語には、人称代名詞の他に、名詞に接尾型の人称語尾が付きうる。たとえば、「本」“キターブン”を「私の本」にするときは、“キタービー”にする。「私たちの本」は“キターブナー”だ。

c0019613_23244359.jpgだけど、先生の板書はものすごく早く、あれよあれよという間にホワイトボードを埋め尽くし、何がなんだか分からないうちに、説明から練習まで始めてしまった。その間に私はやっと2人称まで書き写したけれど、複数女性形までは書き取れなかった。私のノートは3人称が空白のままだ。

そのようになった理由は、まず体系を枠組みとして提示してくれなかったため、どのように板書をノートに書いたらいいか分からなかったのと、意味もよく分からない段階で板書をものすごいスピードでするため、付いていくことすら難しかったのとによる。それでも予習さえできれば何とかなりそうなのだけれど、プリントは当日配られるため、次の週に何を勉強するのか、それを始める瞬間まで分からないのだ。もらったプリントを見ても、それを今日やるかどうかも分からない。実際、今日もらったプリントに数詞があったけれど、今日は数詞の勉強をしなかった。先週だったか先々週だったか、何も分からない段階でいきなり雪崩のように数詞を板書したのが数詞の勉強だったらしい。数詞はもうやったというわけだ。私はコンピュータでもOCRでもないので、目に焼きついた画像がそのまま意味を持ったテキストとして脳裏に貯蔵されるなんて芸当はできない。

それでも、他の受講生たちは、不自由していないようだった。4期生もいるらしく、ある受講生は、授業の前に母語話者の先生とアラビア語で話していた。たどたどしく話していたけれど、私から見たら、ものすごい実力だ。そういう受講生に合わせたら、私なんかはまともについていけるわけがない。

それでも、授業に出ることは、一人で勉強するよりもはるかに役に立つ。教室で先生が口にし板書するアラビア語は、MP3でも動画でもない生きた姿の言語だ。それに触れ、その一部でも理解することで、記憶の中に徐々にアラビア語の語彙や表現の記憶が蓄積されていくのだ。できの悪い学生でも、絶対に休んだり遅刻したりしてはいけない理由がここにある。決して、絶対に、時間の無駄にはならない。

で、今日渡されたプリントを帰ってから見ると、母音記号が付いていたり付いていなかったりしていた。母音記号が付いていない語は、もちろん読めない。つまり、発音すらできない。“キターブ”だって、母音記号が付いていなかったら、とりあえずカターブとか読むしかない。カターブなんて言ったら、アラブ語話者の人たちは聞き取ってくれるだろうか。

それで、家で勉強するのはもっぱら『CDエクスプレス アラビア語』または『알기쉬운 아랍어 입문』ということになる。
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by ijustat | 2009-09-13 22:35 | Language Learning

アラビア語講座5

今日はアラビア語講座の5週目だ。先週より少し早めに家を出たけれど、結局バスが来たのは同じ時間だった。けれども高架道路の撤去工事はほぼ完了に近づいていて、道は混雑せずに、10分前に教室に入ることが出来た。

c0019613_1343956.jpg今日は、前半と後半に授業が分れた。前半は韓国人の先生が文字の講義をし、後半は母語話者の先生が、数字を教えた。

まず最初にプリントを配られた。そのプリントは2枚で、1枚目にはアラビア文字で書かれた単語が19個と、ハングルで転記された表現が15個あり、2枚目にはアラビア文字で書かれた単語が30個あった。よく見ると、母音記号が付いていたり付いていなかったりしている。

授業は、まず最初にそれらの単語を読んだ。そのあとすぐに、3つの挨拶と、人称代名詞を読み、それから子音字の独立形を並べたものをつなげて書く練習をした。この練習は面白かった。韓国の大学における最近の教授法では、「강의하지 말고 참여시켜라」と言われているけれど、本当に学生が授業に参加するような授業をすると、とてもよく身に付く。

そのあと、母語話者の先生が数詞の講義をした。でもねえ、すごいスピードだ。まず文字だけをずらずらと書いていく。数詞を書いているようなのだけれど、よく分からない。それに、書くのが速すぎて書き写すのにもついていけないし、母音記号を書かないので読めない。意味が分からないと、書き写すのも大変だ。

文字を書き終わって読みの練習をしたあと、意味を書いた。つまり、単語の脇に、それぞれの単語が表す数字を書き入れたのだ。そのあと、韓国人の先生が、母音記号を入れた。そして、すぐに序数詞の説明に。私はその間も、まだ半分しか書き終わっていない基数詞を書くのでてんてこ舞いだった。

序数詞の説明をしながら、これが基数詞のどれと同じだということを説明しているけれど、そこまで認識する余裕すらない。文字の認識にものすごい時間がかかるからだ。そしてすぐに、曜日の説明に。曜日を板書して説明をしながら、この曜日に数詞が用いられていることを説明してくれるけれど、そのとき私は基数詞の書き写しがやっと終わった。そんなわけで、私のノートには、序数詞も曜日も書き込まれていない。

他の受講生たちが特に負担がっていないところを見ると、もうすでに知っているのだろう。毎期出てくる人もいるというから、その人たちと私との実力の差は、月とすっぽんだ。

授業が終わってから、先生に他の質問をするついでに、授業のやり方について少し注文をした。それは、母語話者の先生が説明をするとき、板書する前に意味から示してほしいということだった。何も分からないまま形と音とが提示され、それが何か分かった瞬間次へ行ってしまうので、記憶にほとんど残らないのだと説明した。

いや、もしかしたら、ちゃんと説明してくれても記憶に残らない可能性はある。アラビア語はそれほど難しい。

c0019613_0442519.jpgところで、日本に注文していた『CDエクスプレス アラビア語』(奴田原睦明・岡真理著、白水社、2001, ISBN: 9784560005712)が昨日届き、교보문고で受け取ってきた。そしてそれを見て、驚いた。『알기쉬운 아랍어 입문』(김종도監修、明志出版社、2007)とそっくりなのだ。違いといえば、ヤーバーニーユン(日本人)がクーリーユン(韓国人)になっている部分だけか。レイアウトから挿絵や写真まで同じだ。

印刷の精度は、CDエクスプレスの方がずっと良好だ。알기쉬운の版を使ってCDエクスプレスの精度に直すことは、不可能だ。それに、挿絵画家と写真提供者の名前がCDエクスプレスには載せられている。それらはすべて日本人の名前だ。알기쉬운の方には、監修者名があるだけで、著者名も挿絵画家の名もない。この点から、CDエクスプレスの方がオリジナルだと考えられる。

また、出版年度を見ても、CDエクスプレスの方がずっと先だ。これは89年に出た『エクスプレス アラビア語』にCDを付けたものだと奥付で明らかにしているから、きっと89年度版と内容は同じだろう。알기쉬운は、2007年に出たとある。エクスプレスと알기쉬운との間には、18年ものギャップがあるわけだ。18年後に韓国で出る本を日本で翻訳・出版するということは、タイムマシンでもない限り、ありえない。いくら日本の技術が優れているからといって、80年代にタイムマシンを作ったというニュースは聞いていないし、ホーキング博士は、時間旅行は不可能であると言っている。その点からも、CDエクスプレスの方がオリジナルだといえる。

それに、私は80年代の後半、このエクスプレス・シリーズが出てきて話題になっていたのを知っている。そして、白水社のニュースレターや(タバコの“HOPE”という字を見て“ノーリェ”と読んでしまうようになったという編集者の告白があった)、千野栄一氏の著作などを通して、その編集過程について想像していた。実際、エクスプレス・シリーズは、千野栄一氏の考える理想の学習書にぴったり合っているのだ。私はエクスプレス・シリーズを、千野栄一氏の企画によるものではないかと疑っているほどだ。アラビア語は、そのシリーズの形式に忠実に則っている。その点からも、CDエクスプレスの方がオリジナルだと考えた方が自然そうだ。

c0019613_04519.jpg結局、알기쉬운は、CDエクスプレスの翻訳版という結論に落ち着く。にもかかわらず、この本のどこにも日本の白水社の教材を訳したという表示はない。版権使用の許諾を得ながらそれを奥付に表示しないなんて、よほど特殊な事情がない限り許されないだろうし、原著の版権情報を隠して得することも、あるとは思えない。ということは、もしかして、無断で翻訳?

ということは、알기쉬운の6,000ウォンという安価さは、制作費も著作料もかかっていないからだったのかもしれない。同じ業種の삼지사(三志社)に比べて3分の1ぐらいの値段で本を出している理由は、そういう点にあるのか。ひええ、まだそんな出版社があったのか……。

それでも私は、アラビア語講座に알기쉬운を持って行った。CDエクスプレスで勉強しながら不明な点があったとき、先生には알기쉬운を見せて質問できるからだ。先生は日本語を知らないので、これはとても便利だ。
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by ijustat | 2009-09-06 22:49 | Language Learning

アラビア語講座4

今日はアラビア語講座の4回目の授業だ。

教会へ行く前に、『알기쉬운 아랍어 입문』(김종도 감수, 明志出版社, 2007. ISBN : 8931106335)の1課を読んだ。それまでは、文字を読むときに足枷を付けられたようにもたついて大変だったけれど、今日はわりとすんなりと読めた。その勢いで、2課の本文まで読んだ。すごい! まるで目が開かれたような気分だった。そして教会へ。

バスに乗ったはいいけれど、高架道路の撤去工事がたけなわで、서부이촌동から出る道は大渋滞だった。そのためバスがなかなか進まず、授業には遅刻してしまった。でも、それでもいちばん前の席へ行って座った。

教室に到着したとき、前回の文字の復習をしていた。それからまもなく、最後の4つの文字を習った。nun と ha と waw と ya だ。前回と同じく、文字の説明はなかなか上手だった。

c0019613_1918055.jpg文字を習い終わったあと、また簡単な表現を学習した。学習とはいうけれど、不十分な説明でどんどん新しい文字を提示するので、ほとんど頭に入らない。

いちおう書き取れる部分は書き取るけれど、それがどのような体系でなされるのか予測できないので、不十分な書き写し方だ。

書き写すとき、綴り字、母音記号(または、IPAで書き写した読み方)、意味の3つが必要だけれど、綴り字を書き写しただけで残りは何も書いていない、一種の残骸のようなものがノートにたくさん残った。板書は写真に撮ったものもあるけれど、撮らなかったものもある。撮らなかった中にも板書書き写しの残骸があった。これは母音記号すら付いていないので、読みを特定することも出来ない。

単語の中に、長音の独特な記号が出てきた。ya の下に点々がない形だ。それは未出だったけれど、ちゃんと説明してくれたので、何とか分かった。文字の教育に関しては、骨格が理解できたあとは、それ以外の形はその場その場で説明しても何とかなるんだなあと思った。

来週からは基礎文法に入るとのこと。유인물(プリント)を配るとのことだ。レベルめちゃめちゃの授業でも、プリントが拠り所になれば、まあ何とか授業についていけるだろう。
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by ijustat | 2009-08-30 20:10 | Language Learning

アラビア語講座3

今日は、教会で行われているアラビア語講習会の第3週目だった。

c0019613_203432.jpgだんだんと授業のやり方に慣れてきた私は、挨拶言葉の説明と練習についていくのはあきらめた。ただ、一緒に真似して言うだけだ。意味も、一緒に言ったあとで説明するから、何のことか分からずに、奇妙な音を発しているに過ぎない。理解を伴わないのだから、ちゃんと記憶に残るわけがない。効率はひどく悪い。

今日なんか、書き写すことすらできなかった。一部だけ、ローマ字で、Min aina anta? Whrere are you from? Ana min Kuuriiya. I'm from Korea. Nachnu min Kuuriiya. We are from korea. とだけメモしてある。文字を書き写せなかったのだ。ローマ字でメモできたのは、anta はヘブライ語の ata に似ていて、ana は ani、nachnu は anachnu に似ているからだ。忘れていたはずのヘブライ語の知識が、頭をもたげてきたのは不思議なことだ。(min はヘブライ語の me に似ていると思ったけれど、あとで辞書を引いてみたら、ヘブライ語でも原型は min ということだった。)

それでも先生は、「지난 주에 했죠?(先週やりましたね?)」と受講生たちに確認を取る。それは覚えていない。なにせ、文字だってまだ不完全なのだから。先生の質問に、先週確かに学んだと答える受講生は、すでにアラビア語を知っている人たちだ。

ただし、韓国人の先生の文字の説明は、なかなか分かりやすい。そもそもアラビア語の字母が、体系的に配列されていることが、説明を論理的にしているのだと思うけれど、その先生の師となった人の説明が、きっと優れているのだろう。よい教え方は、教授法の思潮が嵐のように変遷する中でも揺らぐことなく、そのまま師から弟子へと伝わっていくものらしい。なぜそう思うか。その他の知識の提示方法はハチャメチャなのに、文字の説明だけは際立って優れているからだ。輝いているとさえ言える。

一方、発音の説明は、私には難解だ。おそらくその発音を身に付けている人が聞くと、まさにその説明どおりなのだろうけれど、発音の要領が分からない人間にとって見れば、説明をどのように発音方法に結びつけたらいいか、途方にくれてしまう。たとえば、Sin と言う文字は「얇게(薄く)」発音するという。音声学にはそのような説明のしかたがないので、それをどのように、音声学的な記述に翻訳したらいいのか、考え込んでしまう。まるで、濁音を教えるときに、「重く濁った感じで発音します」と説明するようなものだ。そういう説明でちゃんと発音できるようになる学生は、説明なんかしなくても、模範発音を聞かせるだけで、正しく発音できるようになる。

たぶん、韓国人の先生は、かなり発音はいいはずだ。けれども、韓国語の特徴が混在している感じがした。そのためかどうかは分からないけれど、紛らわしい音の区別があまり明瞭に聞こえない。そこから私が学んだら、本当の発音からさらに遠ざかること請け合いだ。

そこで、授業のあと「질문 있으신 분(質問のある方)」というので、紛らわしい音を対照して聞かせてほしいと頼んだ。一つは、sin と sad、もう一つは alif と ayn だ。このブログのローマ字では同じ発音みたいになってしまうけれど、それぞれの音は、意味の違いを発生させるため、しっかり区別しなければならない。「원어민 발음(ネイティブの発音)」を聞きたいと言ったら、韓国人の先生は決まり悪そうに苦笑いをした。いや、申し訳ない。

しかし、やはりネイティブの発音は、確かに音色の違いをはっきりと見せていた。sin と sad は、舌の立て方も若干違うようだったし、それに後続する母音の音色にも違いがあった。alif と ayn は、もっとはっきりした音色の違いを見せた。alif は声門をパッと開くときの、アッという音が聞こえる。それに対し、ayn は、咽頭を締め付けてポンと開くような、重く深い音が聞こえる。

相変わらず、授業中には、ああやってくれ、こうやってくれという要望が出てくるけれど、毎回要求をする年配の姉妹、つまり、おばさんは、職業が教師だということが分かった。あと一人、授業の仕方に対して要求した人がいたけれど、その人の職業は分からない。だけど、少なくとも私も含めて授業中に教師に教え方を要求するのは、教師が多いことが確認された。教師は教師に対して謙虚ではない。でも、それらの要求を先生が呑んでくれたときには、確かに授業は格段とよくなる。なにせ、私にしろ、その人にしろ、教え方の要求を出すとき、若い2人の先生は滅茶苦茶なことをやっているからだ。

今日は、mim まで習った。あと4つの文字が残っている。それは、来週のお楽しみ。

この講座に、私の知っている姉妹が出ている。そして、来月あたりからアラビア語の聖書を読む講座を始める予定だけれど、あなたも出るかと言った。それは無理というものだ。文字は一応読めるヘブライ語だって、その複雑な形態変化ゆえに、まともに辞書すら引けないのだ。同系のアラビア語は、文字すら心もとないうえに、どんな変化形が待ち構えているかも知らない。いまアラビア語訳の聖書に首を突っ込んだら、100円得るために1000円注ぎ込むようなことになる。

私はこの講座で、まず何よりも、文字を身に付けることを第一としている。そして、その次の段階は、本当にその次の段階で、文字を身につける段階で提示された表現に関しては、あきらめた。
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by ijustat | 2009-08-23 23:30 | Language Learning

アラビア語講座2

今日は、アラビア語講座の第2週目だった。

先週は、初めてなのにアラビア文字が乱舞して、私はてんてこ舞いだった。今日もきっとそうなるだろうという恐れから、午前中から文字の突貫工事を始めた。アラビア文字は、ハングルのように単純でないので、すぐには身に付かないし、形が似ているくせに発音は無関係という文字が多いので、印象が薄くて覚えにくい。

それでも何とか頭に叩き込み、いくつかの単語を読んでみた。もう忘れ始めた文字がある。

午後4時半から授業なので、4時に家を出た。通りに出ると、道は渋滞していて、私が乗ろうとしていたバスも、進まずにいた。ラッキーだ。バスに乗って、もう少し文字の確認をした。それにしても道が進まない。どうしたのかと思ったら、なんと、高架道路の取り壊し工事をしているらしかった。

それでも、教会には授業が始まる5分前に何とか到着できた。

c0019613_23195573.jpg今日も最前列に陣取った。何とか付いて行こうという魂胆だ。しかし、その魂胆は、授業が始まるや否や、崩れ去った。最初に母語話者の先生が、簡単な表現の紹介を、板書をしながら始めたのだ。最初は覚えたてのアラビア文字を、ヒイヒイ言いながら書き写して行ったけれど、文字を書き写すのが精一杯で、そのうち、意味をメモし落としたり、板書についていけない例文も出てきた。

しかし、後ろの方の受講生たちは、先生の授業に付いていっているらしかった。単語もいくつか知っているようだ。ということは、初めて習う人たちではないのだ。私だけが初心者か。ともかく、初心者の私には、苦行のような時間だった。アラビア文字を書き写すというよりは、絵を見ながら真似て書いているといった方がいいかもしれない。

だんだん絶望的な気分になってきたところで、表現の紹介は終わり、韓国人の先生が、文字の講義を始めた。先週の復習から始まったので、やっと生きた心地がした。文字の講義は、そんなに大変ではなかった。さすがは過去にアラビア語の学習で苦労しただけあって、説明は分かりやすい。

形が似ている文字をまとめて説明するという方法は、いいやり方だ。これなら混乱を最小限に止めることができる。そういえば、その説明する順序が、字母の順序なのだ。アラビア語の字母は、形の似たもの同士でまとめて順番に並べられている。これはギリシア文字やラテン文字の配列よりも、ずっと合理的だ。

授業が終わったあと、先生たちと少し話をした。この講座はすでに何期めかで、毎回出ている受講生もいるのだそうだ。どうりで受講生たちはアラビア語をよく知っていると思った。私は初めてだけれど、何期も出席している人には、文字だけというのは酷だろう。まあ、表現の理解に関しては、今のところ私には要求されていないということで、納得した。

母語話者の先生が、私の書き写したアラビア文字を見て、“Good!”とほめてくれた。本当は書いたのではなく、なぞったのだけれど。アラビア語で good を何と言うんですかと聞くと、“ジャイイード(jayiid)”と言うのだと教えてくれた。アクセントの位置は、“イー”にある。アラビア文字で書き取ってみたけれど、最後の“d”の形を思い出せないでいたら、韓国人の先生が、そばから教えてくれた。“シュクラーン(shuqraan:ありがとう)”とお礼を言った。

帰りのバスの中で、デジカメに撮った板書を見直した。すでにちんぷんかんぷんになりかけていた。家に帰ってから、意味を書き落とした言葉を『アラビア語―日本語辞典』で引いてみた。でも、探し方が悪いのか、見つからなかった。この授業は、意味をメモできなかったら、もうアウチだ。
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by ijustat | 2009-08-16 23:21 | Language Learning

アラビア語講座

うちの教会でアラビア語講座があることを、2週間前に妻が教えてくれ、受講料までくれた。今日はいよいよその講座の初日である。

c0019613_21424920.jpg講座は週1回で全8週。受講料は2万ウォン。1回の受講料がたった2,500ウォンの計算だ。そういう講座に、なんと先生が2人も付く。1人は韓国人のアラビア語通訳者で、もう一人はアラビア語圏から来た母語話者の先生。教えるアラビア語は、いわゆる標準アラビア語。

まさか8週間で基礎力が身に付くとは思われないので、文字が読み書きできることを目標にして受講した。文字さえ読み書きできれば、あとは一人で勉強することができるからだ。韓国語もそうだったから、アラビア語もきっとそうだと思う。
c0019613_2211870.jpg
もっとも、先生は二人とも教えるプロではないので、勉強する方としてはちょっと大変だ。文字の形を認識し、音声を認識して、その両者を頭の中で一致させなければならないのだけれど、文字の説明と発音の説明が錯綜として、聞いているうちに混乱してきた。文字ばかりでなく、発音もさっぱり分からない。アラビア語には各種の喉音があるけれど、実際に聞いてみると、どれも同じように聞こえてしまう。アッリフとアインの聞き分けなんて、絶望的だ。

実は、私は語学教師として、うまく行かない授業を受けると学習者はどんな状態に陥るのかを、実地で経験するいい機会になった。たとえば、文字の説明で、習っていない文字まで入れて、このように使われると紹介されても、あまり役に立たないことが分かった。前後の文字が分からないので、せっかく今習っている文字も、よく分からないのだ。私は自分のサイトに、ア段から順に提示した文字だけが入った語句を掲げている「ひらがな用例集」を作り、教材を作る人の用を足すようにしているけれど、こういう努力の重要性をひしひしと感じた。

それから、アラビア語は一つの文字に、独立形・語頭形・語中形・語末形と、4つの形がある。これは記憶に急激な負担をかけるので、学習者はパニックに近い状態に陥りやすい。教えるときは、なるべくゆっくりと体系的に、練習させながら教えてほしかった。あまりにもすばやく通り過ぎたので、ろくに書き写すこともできず、ただただ当惑するばかりだった。

書き方に関しても、母語話者の先生は一貫として板書するとき文字の前に立ちはだかってしまい、書いているところが見えなかった。「書いているところが見えるように書いてください」と要求したけれど、最初は形だけ見ればいいと言われてしまった。だけど、授業中板書されたなら書き取らなければ。単語を書き取るのは絶望的だったので、せめてもと、文字だけでも書き写した。書き方はあとで教えられた。でも、そうやると、最初に文字を全部板書して見せてくれたのはあまり意味がなかったことになる。他の受講生の中にも、教え方に注文をつけた人がいた。その人も職業は教師にちがいない。

発音に関しても、音声学的な説明とは異なる方法で説明するので、一部はその音の特徴が理解できなかった。私は音声学的な説明をしてくれないと、どうその音を把握したらいいのか、どう発音したらいいのかが、分からないのだ。それから、2~3回その音を聞いたくらいでは、特徴をつかむことすらできないことがわかった。音の理解は、いやになるほど反復してやっと、少しだけ分かってくる。

それから、挨拶言葉をいくつか教わったけれど、発音は各自ハングルで書き取るようにと言われた。でも、ハングルであれローマ字であれ、かまわないから、できれば板書してほしかった。私は音がきちんと判別できなくて、いくつかの挨拶は書き取れなかった。たとえハングルがアラビア語の音とかけ離れているといっても、何かが書いてあれば、それを足場にして理解することはできる。

あとになって、そんなことを考えたけれど、それでも今日先生がおそらく目標にしていたところは身に付いたようだ。今日は、最初のいくつかの字母と、それから母音記号を覚えた。帰りのバスの中では、デジカメで撮った板書を見ながら復習し、帰宅後は、今日配られたプリントを見ながら文字を判別する練習をしてみた。

まあ、先生の教え方を云々するのは、立派な学習者ではない。勉強は本来自分でするものだ。先生は何らかの面においてその助けになればいい。運良く、上手に導いてもらえればなおいいけれど、そうでなくても自分で身に着けられるようにならなければ、いくら先生がよくても、身に付くものも身に付かないだろう。私は、自分の前に立っている2人の先生が自分だったらという仮定で考えた。私だって、大なり小なり、似たような失敗をしているかもしれない。

日本語教師は、こういう授業をしばしば受けてみるべきだと思う。できれば、教え方のあまりうまくない先生から習った方がいい。上手な先生から習うと、自分に理解する才能があると勘違いしてしまいやすいから。知識は十分にあるけれど、教え方は素人の先生から習うと、本来の自分の学習能力が如実に現れてくる。今回私が受けた授業は、そういう先生(たち)によるものだった。なるほど学生たちはこうやって苦労するのか。

c0019613_23281030.jpg板書を見れば分かるとおり、手で書かれたアラビア文字は、まるで速記文字のようだ。もしかしたら、速記文字の考案者は、アラビア文字からヒントを得たのかもしれない。文字の一部でも判別できるようになると、気分がいいものだ。

アラビア文字の世界が、少しだけ開けてきた。
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by ijustat | 2009-08-09 22:05 | Language Learning

フランス語の入力

ウィンドーズXPによるフランス語の入力は、次のように行うことができる:

1.言語バーの設定から、「フランス語(カナダ)」を選んで追加する。

2.文字盤は、基本的に英語と同じだが、特殊文字などや、鍵の位置が違うものもある。それは以下のとおり。

イ)単独で出る文字

 め(英は“/”) → é (Shift+~ → É)
 け(英は“'”) → è (Shift+~ → È)
 ゜(英は“]”) → ç (Shift+~ → Ç)
 む(英は“\”) → à (Shift+~ → À)

ロ)キーを使う文字

 Ctrl+Alt+゛(英は“[”), 母音字 → à, À, è, È, ì, Ì, ò, Ò, ù, Ù
 Shift+゛(英は“[”), 母音字 → ä, Ä, ë, Ë, ï, Ï, ö, Ö, ü, Ü
 ゛(英は“[”), 字母 → â, Â, ê, Ê, î, Î, ô, Ô, û, Û, ĥ, Ĥ, ŵ, Ŵ, ĵ, Ĵ, ĝ, Ĝ, ŝ, Ŝ, ĉ, Ĉ
 Ctrl+Alt+゜(英は“]”), 字母 → ã, Ã, ĩ, Ĩ, õ, Õ, ũ, Ũ, ñ, Ñ

 "œ" は [右手側のCtrl] を押しながら、[e]
 "Œ" は [右手側のCtrl] と [Shift] を押しながら、[e]

※その他右手側のCtrlで色々な特殊文字が表示される。たとえば、¹, ², ³, ¼, ½, ¾; ¡, £, €, ⅜, ⅝, ⅞, ™, ±, ¿; ł, œ, , ŧ, ←, ↓, →, ø, þ, ~; Ω, Ł, Œ, ®, Ŧ, ¥, ↑, ı, Ø, Þ, ˚, ¯; æ, ß, ð, ŋ, ħ, ij, ĸ, ŀ; Æ, §, Ð, ª, Ŋ, Ħ, IJ, Ŀ, ˝, ˘; ¢, “, ”, ʼn, µ, ―; ©, ‘, ’, ♪, º, ×, ÷.

ハ)その他の記号

 Shift+ね(英は“,”) → '
 Shift+る(英は“.”) → "
 Shift+ぬ(英は“1”) → !
 Shift+お(英は“6”) → ?
 Ctrl+Alt+つ(英は“z”) → «
 Ctrl+Alt+さ(英は“x”) → »
 Ctrl+Alt+ね(英は“,”) → <
 Ctrl+Alt+る(英は“.”) → >
 Ctrl+Alt+や(英は“7”) → {
 Ctrl+Alt+ゆ(英は“8”) → }
 Ctrl+Alt+よ(英は“9”) → [
 Ctrl+Alt+わ(英は“0”) → ]
 Ctrl+Alt+へ(英は“=”) → ¬
 Ctrl+Alt+い(英は“e”) → €
 半角/全角 → /
 Shift+半角/全角 → \ (英字フォントでは、¥)
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by ijustat | 2009-02-11 16:54 | Language Learning