(加賀乙彦著、集英社新書、2006年)「★★★★☆」
「あのときは、悪魔がささやいたんです」 この言葉は、あるときは病院で、自殺を図り一命をとりとめた人々の口から、また、あるときは、人を殺し判決を待つ未決囚や、いつ来るか分からない“お迎えの日”におびえる死刑囚たちの口から、発せられたものだという。 著者は、このような人々の口から決まって出てくる「悪魔」という言葉を鍵に、犯罪や自殺などに走る瞬間を追い、さらにはカルト宗教に走る若者、軍国主義、共産主義の台頭、原爆投下の決定にまで考察の幅を広げている。 悪魔のささやきは、「あいまいでぼんやりした心に働きかけてくる」(110ページ)ものだという。それは、「犯罪に走る直前、あるいは自分の命を絶とうとする直前、何か得体のしれない強い力に背中を押されたように感じ、それを『悪魔にささやかれた』と表現していた」(123ページ)のである。だから、どういう声で、どこから聞こえたか、どんな内容だったかを尋ねると、彼らはこう答える。 「いえ、何かを言ってるのがほんとに聞こえたわけじゃなく、そういう感じだったってことなんです。誰かに動かされたみたいに、気がついたらやっちゃってたんですよ」(123ページ) 悪魔というものは、「ぼんやりとした状態にある人間の心にすっと入り込んでくるし、欲望にこそ取り憑きやすい」(157ページ)。それは「人間というものが持っている弱さや醜さにつけこみ、それを引きずり出し、人を悪い方向へと突き動かすもの」(176ページ)なのである。 「では、どうしたら悪魔のささやきを避けられるのか。ささやきに惑わされて走り出してしまったとき、どうすれば湖に飛び込む前にブレーキをかけることができるのか」(177ページ)という疑問に、著者は答えている。 その一は、「自分の目の前、身の周りだけに関心をとどめてしまわず、視界を三百六十度に広げ、できるだけ遠くまで見晴るかすこと」(179ページ)。その二は、「世界の代表的な宗教について知ること、とくにその経典に目を通すこと」(182ページ)。その三は、「死について知ること、考えること」(189ページ)。その四は、「自分の頭で考える習慣をつけること」(198ページ)。その五は、「確固とした人生への態度を持つこと」(204ページ)。 そして著者は、「個人主義」を勧めている(205ページ)。著者のいう個人主義とは、「人間ひとりひとりが思想、信教の自由を持ち、また個人が尊重されること」(206ページ)であり、「自己の個性の発展を仕遂げようと思うならば、同時に他人の個性をも尊重しなければならない」(207ページ)という思想である。それによって、「流されやすさ」(76ページ)がかなり避けられるだろう、と著者は述べている。 さらに、人格というものを重要視している。会津八一の『趣味の修養』という文章の中から、次のような言葉を引用している。 「偉大なる国民は偉大なる個人の集合であらねばならぬ。その偉大なる個人はいふまでもなく円満な人格の所有者でなければならぬ。その円満なる人格には豊富な趣味を欠くことは許さない」(208ページ) この本は、精神科医の立場から見た、悪魔に対する本格的な研究の書である。その点で、とても価値が高い。ただ、残念なことに、口述筆記で書かれたためか、構成が若干漫然としている。それが本書の星を一つ減らした所以である。しかし、内容としては申し分なく、大事な部分に線を引きながら、何度も読み返す価値があると思う。 この本を熟読し、内容を黙想することで、私たちの内から外からたえずささやきかけてくる、破滅への誘惑の正体を知り、それを避ける方法を学ぶことができるだろう。
by ijustat
| 2006-10-12 00:05
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