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用例

自分の外国語学習を助けるために、辞書めいた単語集を作る人は多いだろう。私は韓国語学習のために、本や雑誌、新聞などを読みながら用例をコツコツとカードに採った時期があった。

しかし、カードは1万枚近く集まると、引き出し一つが一杯になってしまう。学者はカードを数十万枚とか百万枚とか集めるというけれど、どこに収納するのだろうか。そんなことを考えながら、私のカード集めは徐々に減っていった。そうこうするうちに、優れた韓国語の辞書がいくつも出て、私のカード集めは断絶した。

特に決定的だったのは、『연세한국어사전』が出たことだった。この辞書は60年代以降に書かれた韓国語のコーパスを利用して作った辞書で、実際の韓国語をかなりしっかり反映した優れた辞書だ。この辞書がありがたいのは、すべての“意味”に用例が最低一つは付いていることだ。5万語で57,000ウォン(約6千円)というのは、ちょっと高いと思ったけれど、この辞書の価値から考えたら安いものだ。私の用例集めは、このすごい辞書のお陰で、すっかり頓挫した。

ただ、長年の癖で、いまだに気になる用例を見つけると、カードにメモする癖が残っている。しかし、取ったカードは整理せずに、段ボール箱にそのまま放り込んである。捨てるのはもったいないけれど、整理するのが面倒なのだ。もともとこんな性格だから、辞書作りができるような柄ではないのかもしれない。

3年前に、韓国のある出版社で、韓国人の先生が書いた日本語単語教材の改定作業を行ったことがあった。3千語ほどの収録語彙から2割程度の語彙を入れ替える作業は難しくなかったけれど、例文を全部書き換える作業は大変だった。

実際、その作業は順調には行かなかった。日本人が日本語の例文を作るのだから簡単だと思うかもしれないが、例文を作りやすい語と作りにくい語とがあるのだ。作りにくいものは、用例を集めたコーパスまがいの資料を検索して、結合頻度が一番高そうなものを選び、形や長さを整えて例文にした。または、検索した用例を眺めながら、いい例文がひらめくのを待ったりもした。例文を作るのは本当に大変だったけれど、それは大まかに言って次のような条件を自分に課していたからだと思う。

 1.その語の意味が例文自体から体得できる例文
 2.その語を使う状況が分かる例文
 3.分かりやすい例文

たとえば、「おかしい」という語では、「エンジンの音がおかしいですよ」と「彼は本当におかしい冗談をよく言います」という用例で意味を区別した。また、見出し語の単語を文脈が支えるような例文を作ろうと思ったので、たとえば「今朝はヨーグルトを飲みました」という例文は、半固体にもなったり液状にもなったりする「ヨーグルト」が「飲む」の意味を支えず、むしろ「飲む」という動詞が「ヨーグルト」の状態を規定してしまっているので不可になる。「ヨーグルト」の代わりに、「コーヒー」「お茶」「水」などに変える必要がある。もちろん、「ヨーグルト」が見出し語の場合は、上の例文も可能だ。そんなことを考えたものだから、例文を作る作業は遅々として進まなかった。

どこの部分でだったか、「缶詰」の用例でどんな缶詰が多いのか、ハードディスク内の資料を検索したけれど、用例がない。インターネットで検索してみたら、なんと「猫の缶詰」「英語の缶詰」「音楽の缶詰」みたいな用例ばかりで、食べ物の缶詰は「水煮の缶詰」くらいしかなかった。水煮の缶詰はちょっと難しい。それで、実物の缶詰を調べるために、家の倉庫を引っ掻き回した。結局、鯖の缶詰か秋刀魚の缶詰かにした覚えがある。

そんなことをして、たった3千語程度の用例を作るのに、何ヶ月もかけてしまった。一応期日内に終えることは終えたけれど、その作業のために他のことができなかったし、作業自体もとても辛かった。これが3万4千語の辞書となったら、その苦労は並みではないはずだ。『現代ギリシア語辞典』には、作例とは思えない生々しさの残る例文が、時々見受けられる。それらはきっと、著者が長年集められたものに違いない。その刻苦は想像にあまる。そして、自分は決して辞書作りには足を踏み入れないぞと決心したのだった。

ところで、単語教材で用例を作るときは、文の長さに制限があった。しかし、個人的に外国語を学習する場合は、例文の長さはいっこうに構わない。ある語が、何行にもわたる文脈の要となっているなら、そっくりその長い段落を書き写してしまえばいい。

そういうものを集めていったら、あとで自分だけの辞書ができる。自分だけのというのは、自分が使いたい言葉の使い方が集められている一方、他人が使うにはあまり役に立たないからだ。その辞書は、私の読書傾向に偏っている。また、私は「基本主義」を旨としているので、おそらく用例に採るものも、基本語が占められるだろう。それは、私がその外国語で作文をしたり会話をしたりする上で意味があるもので、他の人が見るときは、役に立つ保証はない。

用例を集めるのは、なにも辞書作りばかりが目的ではない。用例を集めることによって、外国語に対する観察力が研ぎ澄まされるのだ。それによって理解力は深まり、わずかな用法の差に敏感になる。ひいては、その外国語で本を読んだり、相手の話を聞いたりするとき、論理の繊細な流れや揺れをよく捉えられるようになる。コンピュータで一気にQWIC検索をしてしまうことでは得られない、深い直観が得られる。

そんなことを考えていたら、またカード採りを始めたくなった。まず最初にやるとしたら、英語だろう。集めるカードは1万枚、という制限を設ければ、やりやすくなるかもしれない。際限なく用例を集めようとすると、目標が見えなくなるからだ。それに、カードが増えすぎると収拾が付かなくなる。カードが1万枚たまったら、異なり語数は3千語ぐらいになるのではないだろうか。そうしたら、自分だけの用例辞典にまとめる。コンピュータに入力するのもいいかもしれないけれど、自分の勉強のためなら、手で書いた方がいい。

それでは明日から、英語の用例集めを少しずつ始めようか。
by ijustat | 2005-08-09 03:33 | Language Learning


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