自分の性格は外国語学習に適さないいくつかの問題を抱えている。まず怠惰だということ、目的意識を持って行動できないということ、そして関心の対象が四散しやすいということ。だから、こういう問題をある程度克服するために、まずは目標をはっきりさせる必要がある。
この性格のためにいまだにまともにモノにできずにいるのが英語だ。はたして自分は英語ができるといえるのか、それともできないといえるのか。いちおう辞書を引けば読めるという点では、できるといえるけれども、自由に読むには語彙が不足しているし、文法の知識も高校生レベルでとまっている。まあそれ以下に落ちなかっただけでも幸運だけれども、学校で習った文法の知識だけでは、たまにまったく歯が立たない部分もある。 今年の初めに、1年で英語を自由に読めるようにするという目標を立てた。それが、もう6ヶ月も無為のまま経過してしまった。これではいけない。今後は計画的に学習を行いたい。 まず、音声と表現に慣れるために、『イギリス英語日常会話表現集』(ベレ出版、2003年)をまじめに勉強する。最近はMP3プレーヤーにファイルを一つずつコピーして数日間移動中に聞いたりついて言ったりするだけだったけれど、これからはテキストを数回書いて、いちおうそのときだけでも暗記できる状態にしようと思う。1回の学習日数は2日から3日ぐらいをめどにして、慣れたらもっと早く切り上げられるようにしたい。そうすれば、最低9月末までに聴き終えられるだろう。 そのあとの音声学習は、『BBC WORLD ニュースセレクション 2002-2003』(DHC、2005年)を聞く。これもやはり、MP3プレーヤーでニュースを一つずつ慣れるまで繰り返し聞く。この教材は年末までに聞き終える。聴きながら、同じ速度でついて言えるようにする。この学習は語彙力の向上にも多少は役に立ちそうだ。 会話の勉強は、今年はできそうもない。しかし、今年の音声学習は“多聴”でなく“精聴”で、しかも聴きながら同時に慣れるまでついて言う練習をするので、口頭練習にはなるだろう。ただ、会話というのはアウトプットによって定着するものなので、これが純粋に英語の生成能力を高めることにはならないだろう。いずれにしても、会話が目的ではなく、読むための音声学習なので、話すことに重点は置けない。 で、肝心の読解だけれども、は自分の必要な本や興味のある本を読む。言語学や言語習得・学習関係の本や、聖書注解書や信仰書、息抜きに小説なども読む。学期中はバイブルクラスの司会のために“The Gospel of John Volume 1 - The Daily Study Bible”(William Barclay著, The Saint Andrew Press, 1955年)を該当する箇所だけ読んでいたけれども、夏休み中はバイブルクラスがないので、まずは Rick Warren の“The Purpose Driven Life”(Zondervan, 2002年)を読もうと思う。 作文も、体系的に勉強するのは今年は無理そうだ。せいぜいノートに英語で落書きをするくらいがいいところか。しかし、手を動かして書くことは読解力の向上につながる。だから、書く練習は必要だ。音声学習のテキストを書き出したり、本を読みながら手書きで抜粋することを、今年の書く練習としよう。出力となる作文の練習は、来年からだ。今年はたっぷり入力をして過ごそう。 このように、今年の英語学習は、ちゃんと読めるようにすることを目標に進めていく。この目的意識をもってやったら、はたして年末にはどのくらいの英語力が身についているだろうか。 ---------- ところで、読むのが中心なのに、なぜ聞いたり、口真似したり、手で書いたりするのか。それは、それらがすべて読むという行為に連動しているからだ。 私たちが文章を読むとき、実はその言葉が耳から聞こえているように心の中に響いている。聞く練習を多く行うことで、読むときにその言葉が心の中に正しい英語で響くようにすれば、英語を受容する能力が高まる。少なくとも、読んでいる文字が心の中で音として響いているとき、その音と同じくらいの速度で読むことができる。速読とまでは行かないけれども、話すのと同じくらいの速度で読むことができるわけだ。 ただしそのためには、読んで理解できるくらい耳で聞いても理解できるようになる必要がある。それは自然な英語の発音な分けだから、自然な英語が聞き取れなければならない。これは私たち日本語話者にとって、結構大変なことだ。発音の学習を一からやり直さなければならないからだ。 しかし、聞きながら理解できるならば、文字を追いながら辞書を引かずに理解できるようになる。この効果の大きさは無視できない。だからこそ、読むための外国語学習であっても、音声を重視することは効果を高めることになる。 また、ついて言うことは、その音声を自分の体に刻み込み、内在化させることになる。よりいっそう身近なものになるわけだ。そして、テキストを書き写すということは、文字を体に刻み込んで内在化させることになる。特にこれは、手で書くことが肝心だ。コンピュータでタイピングをしたのでは、印象が薄い。手で書くことで、その文字列が体に染み付くように覚えられる。 そういうわけで、読む練習とはいえ、耳と口と手を用いることで、学習効果を高めることができる。
by ijustat
| 2005-06-19 16:15
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