「お返事」と「ご返事」

ある日本語学習雑誌の日本語校閲をしながら、「お返事」か「ご返事」かで迷った。自分は「ご返事」を使うけれど、「お返事」も悪くない(※あとで自分のサイトを検索してみたら、「お返事」は77件も出てきたのに、「ご返事」は1件しか出てこなかった。しかもこの1件は、私が書いたものではない。私に関して言えば、自分がどんな言葉を使っているかという意識は、てんで当てにならないものだ<3月10日追記>)。そこで、インターネットで用例を見てみた。グーグルによると、「ご返事」は約 4,660,000 件で、「お返事」は、なんと約 82,900,000 件。つまり、「お返事」が「ご返事」の約18倍も出てきたわけだ。圧倒的に「お返事」が優勢だ。

しかし、あるサイトでは「『お返事』――え、この言葉のどこが? と思った人は、既に毒されております。いうまでもないことだけど、『返事』の正しい丁寧語は『お返事』ではなくて『ご返事』でありますよ」と主張している。この手の意見は胡散臭いので、近代日本語の粋を集めた「青空文庫」の中を調べてみた。グーグルの検索ウィンドーに以下のように入力する。

  "ご返事" site:www.aozora.gr.jp

その結果、青空文庫でも、「ご返事」は約 29 件、「お返事」は約 104 件と出た。つまり、「お返事」が「ご返事」の約3.6倍出てきたことになる。ウェブ全体でも青空文庫でも、やはり「お返事」の方が優勢だ。夏目漱石や与謝野晶子などが「お返事」を用いている。これを見れば、「返事」の正しい丁寧語は「お返事」ではなくて「ご返事」だなんて、チャンチャラおかしい意見だということが分る。ことばの規範について偉そうに言っている意見を鵜呑みにしてはいけない。

もっとも、「御返事」という表記では、ウェブ全体で約 1,350,000 件、「青空文庫」でも約 248 件と、圧倒的多数を見せている。ただ、この「御」が「ご」と読まれることを考えて使われたのか、「お」と読まれることを考えて使われたのかは知る由もない。また、最近では、「おへんじ」と読むときは「お返事」と書き、「ごへんじ」と読むときは「御返事」と書くというように使い分けられている可能性もある。そうすると、「返事」をめぐる「お」と「ご」と「御」の関係は、ますます複雑になる。

一方、NHKでは、「最近では「お返事」と言う人が多くなりつつあります」と結論付けていて、「ウェブ上でおこなったアンケートでは、「お返事と言う(ご返事とは言わない)」という回答(全体で63%)が、若い人になるほど多くなっていることがわかりました。また、特に女性はこの答えを選ぶ傾向が強く見られました(男性56%、女性68%)」という調査結果を紹介している。

たしかにそうなのかもしれないけれど、グーグルでの用例を見ると、本当にそう考えていいのかどうかは疑問が残る。それに、その記事にある年齢別の使用グラフも、本当に世代による変遷を表しているのかどうか疑わしい。

近代文学の多い青空文庫と、最近書かれたものが多いウェブ全体とを比較すると、たしかに変遷がある感じもする。けれども、「御返事」が隠れたカードになっていて、何ともいえない。それに、アンケートの結果にしても、「お返事」と「ご返事」は昔から揺れている表現なので、歳を取るにつれて何らかの規則意識が規範意識に影響してくることも考えられる。先ほどの胡散臭い主張に露出する可能性も、人生を長く生きれば生きるほど高くなる。そのため、昔は「お返事」も使っていたのに、「返事」が漢字語であることから、だんだんと「ご返事」の方がよさそうに感じられてきた、なんてこともありうる。私のように、実際にはほとんど「お返事」ばかりを使っていながら、自分は「ご返事」を使っているなんて思い込んでいる人も、たくさんいるだろう。

では、なぜ同じ漢字語でも「ご食事」「ご電話」という人はほとんどいないのか。「返事」では「ご返事」も頑張っているというのに。ふたたびグーグルで頻度を比べ見てみよう。

 ご食事:約 16,300 件
 お食事:約 104,000,000 件

 ご電話:約 39,700 件
 お電話:約 190,000,000 件

「お食事」は「ご食事」の約6千4百倍、「お電話」は「ご電話」の約4千8百倍も使われている。こんなに頻度差があったら、まるで比較にならない。たとえば、「お食事」という言葉を1年に300回聞いたとすると、約20年に1度、「ご食事」という言葉を聞くかもしれないという計算になる。私は23年前、外国人が「ご食事」と言って笑われている現場に出くわしたことがある。「ご電話」を聞いた記憶はない。これでは規範意識が揺らぐことはありえない。「お返事」と「ご返事」の問題とは次元が違う。

ちなみに、NHKで「お返事」と「ご返事」について扱っているページは次の通り。「どちらも正しい言い方です」と言っている。根拠なしに規範を振り回したりする愚は犯していない。

  http://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/term/148.html
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by ijustat | 2012-03-08 09:48 | Japanese


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