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뿌리서점4

またもや文字数が制限を超過してしまった。それで、3たび新しく記事を立てることになった。以前の書き込みは次の通り。

 뿌리서점 (2009年10月28日~2009年12月27日)
 뿌리서점2 (2009年12月30日~2010年1月31日)
 뿌리서점3 (2010年2月6日~2010年2月20日)

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2010年2月21日、日曜日。18時過ぎに뿌리서점に立ち寄った。そのときちょうど、중간상인(仲買人)が来ていて、뿌리서점の主人は店先で本の選別をしていた。ずいぶん慎重に、長い時間をかけて、本を選んでいた。オートバイで本を運んできた初老の중간상인は、その脇の腰掛に座っていた。選別が終わり、買う本を決めると、主人は23,000원を중간상인に渡した。その人は、受け取った5枚の紙幣をじっと見つめながら、ゆっくりと数えていた。

私も本を持ってきた。主に妻が処分した信仰書や聖書だ。これも主人はじっくりと選別し、中に混じっていたノートや私が持ってきた日本語学習書はダメだったけれど、信仰書と聖書はすべて買い取ってくれて、10,000원くれた。これは、중간상인が持ってきた本の半分にもならない量だったので、중간상인からも一般の客からも、同じ値段で本を買い取ることが分かった。

それから、本を見に売り場へ降りた。今日は何も買わないつもりだったのだけれど、日本の本が並んでいる棚で、『あなたの疑問は、みんなの疑問―コンプリ神父が答える』という本が目に留まった。何だろうと思ってみると、キリスト教の教理に関する問答集だった。なかなかよさそうな本だったので、手に取った。

そのあと、『イギリス・ジョーク集』という本があったので、手にとって読んでみた。

 一人のアイルランド人が天文台に雇われた。
 最初の夜勤のとき、学者が大きな望遠鏡をのぞいているところをわきでみていた。
 と、突然流れ星が落ちた。
 「うわあ、すごい」と、たまげたアイルランド人が叫んだ。「うまくあてましたね、先生」
表紙の見返りには、こんな言葉が書いてあった。

ユーモア――それは悲しみのカリカチュアである。
            ……ピエール・ダノニス<フランス>
いい言葉だ。それで、この本を買うことにした。今日買ったのは、次の2冊。

 『イギリス・ジョーク集』(船戸英夫訳編、実業之日本社、1974。1976年4版)
 『あなたの疑問は、みんなの疑問―コンプリ神父が答える』(ガエタノ・コンプリ著、ドン・ボスコ社、1990。1993年2版)

主人に値段を聞くと、最初4,000원と言い、それから3,000원にしてくれた。あとで本の下に書かれた値段を見たら、どちらも“30”と書かれている。これは、3,000원という意味だ。つまり、表示どおりに買うと6,000원になる本を、3,000원で売ってくれたというわけだ。

日本語能力試験の教材のヒントになるものはないかと思って、日本の雑誌を物色してみたけれど、雑誌ではなかなかヒントは得られないことが分かった。生活にかかわる雑学の本や、実務的な書類や案内書、街角での物売りの声などから、ヒントは得られるようだ。けれども、韓国には日本の街角がないので、それらの資料を得るのは難しいことになりそうだ。まあ、頑張ってみよう。

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2010年3月6日、土曜日。교보문고へ行った帰り道、뿌리서점に寄った。先日교보문고で買った『우리말 띄어쓰기 길잡이』(문태식編、도서출판 세진사、2003)を持って売り場まで降りて行き、主人に本を1冊持ってきましたと言うと、1冊なら買わなきゃ(한 권이면 사야죠)という。

私は古本屋に本を売るとき、なぜ手放すのかを説明する悪い癖があるけれど、ここでもその癖が出て、この本は物足りないと言った。すると主人は、どうして物足りないのかと聞いた。そこで、これは辞書として使うには用例が少なすぎて、知りたい分かち書きが載っていない。それで、もっと本格的なものがほしいと思っていたところへ、先日인천の배다리골목へ行ったとき、『띄어쓰기사전』という本格的な辞書を手に入れたので、この本はもう必要なくなったのだと答えた。主人は『우리말 띄어쓰기 길잡이』に2,000원を払った。

そのあと、부산の보수동 책방골목へ行った話と、인천の배다리골목へ行った話をした。そして、보수동 책방골목にある고서점という名の古本屋で김두봉の『깁더 조선말본』を320,000원で買った話をした。それを聞いて主人は、その本なら10年前に上海版を100,000원で売ったことがあると言った。2000年ごろのことですね、と私は確認した。なぜなら、고서점の主人から、今から10年ほど前は800,000원で取引されていたことを聞いているからだ。しかもそれは、京城版のことで、上海版だったらいくらになるのか見当もつかない。すると主人は、いや、80年代のことだと言った。だったら20年以上前のことですよと答えると、そうか?と訝った。80年代といえば、이희승の『국어대사전』(개정증보판、민중서림)が1988年の時点で75,000원だった。2010年現在、定価200,000원(ISBN-13: 978-8938701015)で売られている。上海版は、なかなか手に入らないと聞いている。それを80年代後半に100,000원で売ったというのは、当時の値段としても決して高かったとはいえない。

この日は何も買う予定がなかったのに、日本の本がある棚を見ていたら、辻人成の詩集があった。へえ、この人は詩も書いているのか、多彩だなあと思いながら手に取ってみると、なかなかいい。それで、つい買ってしまった。書名は以下の通り。値段は3,000원。

 『屋上で遊ぶ子供たち』(辻人成著、集英社、1992。1993年3版)

詩集のように売れない本は、たいていは初版で終わってしまうと思うのだけれど、この本は1992年10月10日に初版を刷ったのち、1993年1月25日の時点で第3版を刷っている。

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2010年3月19日、金曜日の深夜。妻と一緒に용산の이마트へ買い物に行った帰り、뿌리서점へ寄った。次男の小学校の先生が、子供に本を1週間1冊読ませなさいと言っていたそうだ。けれども、次男は本1冊を2~3時間で読んでしまう。1週間で1冊は、次男にとっては本を読めというより、本を読むなというのに近い。それに刺激されてか、数年に1冊本を読むかどうかという妻が、本を読みたいから뿌리서점へ行ってみようと言ったのだ。それは革命的なできごとだった。

店に入り、妻が日本の本を探している間、自分は長男の役に立ちそうな、簡便な英会話文例集を探そうと思い、外国語教材がある棚へ行った。すると、50代ぐらいの男が私に大きな声で「교수님(大学の先生)」と呼んだ。何だろうと思って相手を見ると、自分は日本語が読めるようになりたいのだという。そのわけは、日本の法律を読みたいからだという。

法律が専門なのですかと聞くと、自分は医者だったと答えた。しかし法律も大学でたしかに専攻したし、コンピュータサイエンスも必要だという。何だか要領を得ない話だ。

漢字が分かるなら、日本語を読めるようになるのは訳ないことですと答えた。そして、どうやったら最短距離で勉強できるかを説明した。けれども、それには返事もせずに、自分は莫大な金を奪われたのだけれど、韓国の法律は日本の法律を訳したもので、それは西洋の法律を訳したものだし、英語はギリシア語やラテン語から来ていて、特に法律はラテン語が多い。で、アメリカの法律家たちは、もとはといえば、アングロサクソンでイギリスの法律を基にしており、裁判ではその法律用語を自分たちに都合いいように解釈して、意味を逆さにしたりしてしまう。そんなことをずっと話し続ける。

何が言いたいのかさっぱり摑めないので、何で日本語が必要なんですか、と聞き直した。すると、だから韓国の法律は日本の法律を訳したものだし、その源流は西洋の法律なんだから、英語の法律は、アングロサクソンの文化から出たものであって、もとはギリシア語やラテン語から来たものであり、ギリシア語は今から3000年前にフェニキア文字からギリシア人が作った文字だ。自分は10年ほど前に30億ウォンにもなる金を奪われたのだけれど、これから本に書こうとも思っているのだけれど、アメリカ人の法律の起源はラテン語やギリシア語で、それが日本語に訳されたわけで、アメリカはアングロサクソンの法律であるから、その源流はギリシア・ローマに遡り、それを知っている彼らは法律用語を楯にとって意味を逆に解釈したりする。自分は確かに大学で法律も専攻したし、卒業証書も持っているけれど、英語はラテン語とギリシア語から作られたもので、だから英語の法律にはラテン語がたくさん使われていて、それは、私たちの法律用語とは大いに異なる。なぜなら、それは元はといえば、ラテン語で法律が書かれたためで……と、そんな風に、話は巨大な渦を巻いて混乱している。

私が何をしにこの棚の前に来たのか、この人は一向に察する気配がない。私が目の前の棚にある本を取ったり入れたりしていても、まったく意に介さない。日本ではKYなんて単語が数年前から大手を振っているらしいけれど、この人は、空気が読めないというのを通り越して、まわりの空気を吹き飛ばし、自分の幻想の中へ相手かまわず呑み込んでいく。

妻が来て、早く行こうと言ったのを機に、それでは失礼いたしますと言って、その場を離れた。

妻は、ドストエフスキーの『罪と罰』が読みたいと言った。初めからそんな重い本を読もうとするのは良くないよと言うと、あれは彼が獄中でキリストを受け入れた証なんだよという。幸か不幸か、뿌리서점には、『罪と罰』の日本語版はなかった。まずは本棚にある中から面白そうなものを探すべきだと思うのだけれど、妻はそういう無計画な本探しを潔しとしないらしい。結局1冊も買わずに店を出た。

妻と一緒に売り場から階段を上がると、外に主人がいた。私の顔を見ると、今も古本屋めぐりをやってますかと聞く。ええ、1週間に1軒ぐらい、行っていますと答えると、そうですかと、にこやかに微笑んだ。寒さの緩んだ風が、頬をうっすらと冷やしながら、夜の裏通りを静かに流れている。

主人は昔の話を始めた。

1980年代ごろ、동부이촌동に중앙대학교 국문과の教授がいた。その教授はたくさんの人から本を寄贈されるために、家が本で溢れてしまい、ついに奥さんが癇癪を起こして、通りかかった파지상(屑屋)に本をただで売り払ったという。その파지상はリヤカー1台にどっさり本をもらって、自分もいい本をたくさん手に入れたそうだ。教授の奥さんは、뿌리서점にもどっさり本を運んできて、お金も取らずに帰って行った。主人はその教授の家にも行ったことがあるらしく、ベランダまでも本でいっぱいだったと言った。それも、良書でいっぱいだったのだそうだ。おかげでずいぶん儲けさせてもらいました、と顔をほころばせながら話していた。私は、本に対する理解のない奥さんを持ったことは、その教授にとって災難だったに違いないと思った。

寄贈された本でいっぱいといえば、詩人の김남조の家もそうだったという。숙명여자대학교の教授をしていたけれど、家は반포동にあって、そこも寄贈された本であふれかえっていたそうだ。뿌리서점の主人は、김남조の家からも、どっさりとサイン入りの詩集を手に入れた。

こういう話を聞くのは面白いので、もっと聞きたかったけれど、妻が早く帰ろうと急かすので、しかたなく主人に挨拶をして車に乗り込んだ。運転を始めると、たった今主人の話していた教授の奥さんの話を妻は持ち出し、あたしだって癇癪を起こすわよと言った。いやあ、まずい話を聞かせてしまった。

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2010年3月20日、土曜日。21時ごろ、뿌리서점へ行った。店に着いたときには、客が数人いるだけで、主人がいなかった。私は前回来たときに、他の客から話しかけられて探せなかった英会話の例文集を探した。しばらくして主人が店に戻ってきた。

下の子が処分した本を持ってきたと言うと、表情を曇らせた。子供の本は、最近はなかなか売れないのだそうだ。それでも見てくれた。そして、単行本はいちおう引き取ってくれて、5冊ほどで2,000원くれた。残った本は、대오서점に持って行こうか。

뿌리서점では、いつも大きな音で時事討論ばかりやるラジオが鳴り響いている。私が店に行ったときには、今日は史上最悪の黄砂だと言っていた。具体的な数値や単位は忘れてしまったけれど、空気中の黄砂の含有量が最も多かったという。そのため、서해안(黄海に面した地域)では、行楽行事が中止になったりもしたという。

英会話の文例集は、なかなか探しにくかった。どれも分厚くて、なかなか薄いものが見つからないのだ。それで、結局次の1冊を買った。

 『말이 확 트이는 이창수 회화영어』(이창수著、다락원、1993。1998年15刷)

ちょうど私が本代を払う頃、중간상인(仲買人)が来て、せっかく来たのだから本を買えと뿌리서점の主人に迫った。もう22時を回っていたので主人は渋い顔をしたけれど、自分たちはせっかく来たんだぞと言って譲らない。それで主人は、分かりました、じゃあ本を見ましょうと答えた。

私は、路面に置かれた本を主人が検討するのかと思って期待したけれど、店の外に出てみると、トラックの上で本を検討していた。トラックの運転席には不貞腐れた顔をした運転手が煙草を吹かしていて、뿌리서점の入り口では、先ほどの중간상인が戸口で門番のように立ちはだかって、険しい表情で主人を睨んでいた。まるでやくざみたいだ。

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2010年4月7日、水曜日。授業が終わってから뿌리서점に立ち寄った。先日배다리골목の図書館で최종규氏からいただいた写真を主人に見せてあげようと思ったのだ。店に着いて私が写真を見せると、主人は최종규氏を褒め称え始めた。

それから主人と一緒に、戦争が起こったら韓半島はおしまいだという話から、ベトナム戦争のときに海上で台風に遭ってひどい目にあった話、韓国とトルコが9千年前に同じ部族で、当時の金石文に「조선」と書かれているのが発見されたという話を聞いた。

韓半島の戦争の話と、金石文の話はあまり興味を誘わなかったけれど、海上で台風に遭ったときの話はすごかった。主人は若かりしころ、軍隊に入隊してベトナムに送られた。軍艦でベトナムへ赴くとき、巨大な台風に遭遇して、船は上下左右に大きく揺れた。そのときの船酔いはひどかったそうだ。船体が波に突き上げられるたびに吐いたという。吐くものが無くなっても吐いたそうだ。次々と押し寄せる、高さ10メートルの巨大な波に船が突き上げられ、ストーンと落下するとき、死ぬほど吐き気がしたと言っていた。船乗りになって20年のフィリピン人も乗っていたそうだけれど、彼ですら船酔いに苦しんでいたというから、その凄さが伺われる。行きだけでなく、帰りもそうやって船酔いに悩まされたそうだ。

主人が外で本の整理をしていたとき、中国語の本が置いてある棚の前の本の山の上に、10冊束ねられた漫画本があった。見ると、「名侦探 柯南」と書いてある。新品同様だ。店の中に降りてきた主人に、「명탐정 코난」の中国語版はいくらですかと尋ねると、1冊1,000원だという。じゃあ買いますと答えた。計算するとき、主人はさらに1,000원まけてくれた。主人は、中国の漫画はなかなか売れないのだけれど、新たな持ち主が出来てよかった(중국 만화는 잘 안 팔리는데 주인을 찾아서 다행이에요)と言っていた。

そうやって買ったのは、次の10冊。

 『名侦探 柯南 特别篇1』(青山剛昌著、青文訳、长春出版社、2002)
 『名侦探 柯南 特别篇2』(青山剛昌著、青文訳、长春出版社、2002)
 『名侦探 柯南 特别篇3』(青山剛昌著、青文訳、长春出版社、2002)
 『名侦探 柯南 特别篇4』(青山剛昌著、青文訳、长春出版社、2002)
 『名侦探 柯南 特别篇5』(青山剛昌著、青文訳、长春出版社、2002)
 『名侦探 柯南 特别篇6』(青山剛昌著、青文訳、长春出版社、2003)
 『名侦探 柯南 特别篇7』(青山剛昌著、青文訳、长春出版社、2003)
 『名侦探 柯南 特别篇8』(青山剛昌著、青文訳、长春出版社、2003)
 『名侦探 柯南 特别篇9』(青山剛昌著、青文訳、长春出版社、2003)
 『名侦探 柯南 特别篇10』(青山剛昌著、青文訳、长春出版社、2003)

次の日研究室で、第1冊の最初にある「消失的男人」を読んだ。単語がよくわからなくても、漢字なので意味は追える。ところが、コナンの決定的な一言が理解できなくて、なぜ犯人が分かったのか理解できなかった。あとで、同室の陈华先生に教えてもらって、やっと分かった。

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2010年4月24日、土曜日。知人の김완일氏と영풍문고で長々と駄弁った帰り道。용산駅で降りたあと、夜風が気持ちよくて涼しかったので、まっすぐ家へ帰らずに、뿌리서점へと足を向けた。店先の雛壇で本を見ていると、主人が中から出てきた。風が暖かかったので、まっすぐ帰らずに、ついつい来ちゃいましたと言うと、それはすばらしいと言って喜んだ。

それから店内に降りて行き、本を眺め始めた。まずは日本の本のある棚から。新しく入ってきた本で気を引くものはなかった。戦前版の『廣辭林』があったので、開いてみると、染みた部分が橙色に変色している他は、新品さながらのきれいさだった。へえ、いつ印刷されたんだろう、と思って奥付を見ると、昭和15年に刷られたとある。

英書のあるところから男性が出てきて、私を見ると、「안녕하세요?」と挨拶をした。最初は誰だか思い出さなかったけれど、すぐに気が付いた。「아, 마상영 선생님!」と答えると、よくぞ覚えていてくれましたと言ってにっこり微笑んだ。それで私は、この間(2009年12月6日)この店で会って、ウラル・アルタイ語族について聞かれたときのことを話した。そのとき私は、自分の知っている範囲で答えたつもりだったけれど、帰ってから調べてみると、間違っていた。どんな風に間違っていたんですか、と마상영氏は尋ねた。にこやかだけれど、その質問は正鵠を射ている。それで説明した。ウラル・アルタイ語族の共通点は母音調和にあると言ったけれど、チュルク語族のある言語は 、母音が減少したために母音調和がなくなってしまっていた。それに、アルタイ語族には人称変化がないと言ったけれど、人称変化がないのは満州語とモンゴル語で、チュルク語族はどれも人称変化があった。そんなことを話すと、またにこやかな笑みを浮かべ、いいことを教わりましたと言った。

마상영氏との話を切り上げたあと、もう少し奥へ行くと、中国語の本がある棚に、『语言学百题』というタイトルのコピー本があった。韓国では、外国の本などを無断でコピーして製本する場合が多い。これもその一つだ。정은서점ではコピー本は買い取らないけれど、뿌리서점ではかまわずに買い取る。この本を手に取った。

そのとき、また男性客が入ってきて、太くよく通る声で、主人に「안녕하세요오」と挨拶をした。それからすぐに、「ノムラ・タツオ상이 2017년에 한국을 다시 접수하겠다고 했어요」と言った。主人が驚いて、「아니, 일본이 다시 한국을 지배한단 말이에요?」と叫ぶと、「그렇죠」と言う。“ノムラ・タツオ”の発音は正確だった。だけど、知らない名前だ。男はさらに続けた。「1945년에 일본이 미국의 궤계에 걸려서 이 아름다운 강산을 빼앗겼는데, 2017년에 이 아름다운 강산을 되찾겠다고 했대잖아요」という。主人は「아니, 2012년에 우주가 망한다고 하는디, 2017년이면 아무 소용 없어요.」と答えた。するとその男も負けずに、「그런 꿈 같은 소리 하지 마시라니까요. 진짜 그렇게 말했어요. 일본 사람들은 지하에 도피쳐를 만들었대잖아요. 그러니까 지구가 멸망해도 살아남을 거거든요. 그들은 결코 죽지 않아요. 전 일본의 기술을 믿어요」と主張した。ひょっとして、熱狂的な愛国者の辛辣な皮肉? それとも、キ印?

私はその男と顔をあわせるのを避けるため、日本の本棚がある通路から、いちばん右側の、洋書や写真集、漢籍本などがある棚へ退避した。そして、棚にある本を適当に取り出して、一番奥に椅子代わりとして置いてある、プラスチックのビールボックスに腰掛けて、本のページを開いた。シェイクスピアの“The Tempest”だった。難しくてよく分からないけれど、単語を一つ一つ目で追っていった。しかし、耳は依然としてその男の方へ傾く。「천황이 빨리 한국을 방문해야 돼요. 천황이 무슨 뜻인지 알아요? 하늘을 다스리는 황제라는 뜻이에요. 곰의 자손과는 달라요. 그러니까 빨리 천황이 와서 한국을 다스려 줘야 한국도 좋아질 거예요…….」

そのとき妻から電話が来た。今どこにいるのという。私は声を殺して答えた。今、뿌리서점にいるんだけど、変な客が来て日本礼賛をしてるから、店の隅で本を読んでいるふりをしながら、その客が帰るのを待ってるんだ。妻は、あらそう、じゃ気をつけてね、と言って電話を切った。“The Tempest”なんか、ちっとも頭に入らない。

そこへ、主人が本の整理をするために、こちらの通路に入ってきた。そして、「교수님은 요즘에도 헌책방 순례 자주 다니시나요?」と言った。見上げると、主人の後ろにその男がいて、こちらを見ている。困った。逃げようがない。主人は、昨日の新聞で、청계천の古本屋が惨憺たる状況だという記事を読んだ話をした。ある할머니は長年店を構えてきたけれど、昔はたくさん来た学生客も、最近はコンピュータに熱中して本を読まなくなり、1日の売り上げが1万ウォンにもならない日があるということだった。すると、後ろにいた男は、「거짓말이겠죠」と言った。しかし主人はそれを無視して、청계천には昔は150件もあったという古本屋が、今では30件しか残っていないけれど、まさかそんなに悲惨な状況だとは知らなかったといい、こういうことは청계천から始まって、じきに他の古本屋にも拡散していくはずだと、心配顔で言った。そして、自分は500年古本屋を続けるつもりだったのにと言って嘆いた。500年というのはどういう意味だろう。私には韓国の古本屋の未来を占う能力はないけれど、古本屋が消滅するとは思えない。その男がまた脇から、古書を扱えばいいと答えた。主人は、最近は古書がなかなか出てこないと答えながら、通路から出て行った。男も一緒に出て行った。

そのあと主人の声は聞こえなかった。店の前へ出て行ったようだ。かわりに、その男は마상영氏と思われる声の持ち主と話していた。その上品な話し方をする声の持ち主は、優しい声で男に「실례지만 무슨 일을 하세요?」と聞いた。単刀直入の質問だ。この奇妙な話をする男のアイデンティティーに鋭く切り込みを入れる、最も核心を突いた質問。やっぱり声の主は마상영氏に違いない。案の定、男は、自分は人に話すほどの仕事はしていないと答えた。すると声の持ち主は、個人的な質問をした非礼をわびながら、「더 이상 깊이 들어가면 다치죠?」と、かなり不穏な発言を、さらりと言ってのけた。

そのあと二人の足音は、日本語の棚の前を通り過ぎて、私がいる場所のちょうど向かい側にある、キリスト教関連書籍の棚の前に来た。そして、一頻り教会の問題点などを批判する話に花を咲かせ始めた。その様子を見計らって、私は店を出た。

主人は店の前の雛壇のところにいた。主人の脇にいた初老の男性が、私に「안녕하세요!」と声をかけてきた。見ると、동부이촌동にある부대찌개の店の主人だった。この主人は、夜遅く店を閉めたあと、한강 둔지を奥さんと一緒に散歩し、時には뿌리서점まで足を伸ばして本を物色する読書人だ。その人と挨拶をしたあと、主人に先ほど選んだ『语言学百题』(王希杰編、上海教育出版社、1983)の複写本を見せ、いくらですかと尋ねると、2,000원だという。これを1冊買って家に帰った。

帰宅後、インターネットで「ノムラ・タツオ」という人名を調べてみたけれど、それらしい人物は出てこなかった。
by ijustat | 2010-02-21 22:18 | Bookshops


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