韓国の古本屋に関心を持って調べながら、ある重要な事実に気づいた。それは、韓国では「헌책」(比較的廉価な中古書籍)と「고서」(比較的高価な古書)とを排他的に区別する傾向があるという点だ。日本語の「古本」と「古書」にも、韓国語とよく似た違いがあるけれど、排他的といえるほどはっきりした概念の違いはない。けれども、韓国では「헌책」と「고서」を別物のように区別し、「헌책」を扱う店、「고서」を扱う店というように、別の種類として扱おうとする嫌いがある。
その理由は、韓国語の「헌책」という表現にあるようだ。「헌책」は、連体詞「헌」と名詞「책」からなっている。「헌」は、辞書によれば「오래된. 낡은.」(연세한국어사전)ということだから、「헌책」は日本語の「古本」と、意味上ほとんど違いはないはずだ。ところが「헌」には、一般には“古くて無用になった”といった印象が強い。「古着」や「古新聞」などの「古」と、印象が似ているかもしれない。その一方で、「古里」や「古道具」、「古酒」などの「古」の印象は、「헌」にはない。このように、「헌」には「古」とは違う意味合いが含まれている。そのために、「헌책」と「고서」は、その言葉から来る印象に、日本語に訳しただけでは知りえない大きな開きが生じている。 考えてみれば、それは市場のイドラだ。中古書籍という点では、安物も、高価なものも、比較的新しいものも、大変古いものも、区別はない。同じ内容的価値を持った本なら、新しいものよりも古いものの方が、残存する部数が少なくなるわけだから、値段が高くなるのは当然だけれど、大変古いものでも、オリジナリティーのない無価値な本ならば、それほど高い値段は付かないだろう。逆に、比較的新しいものでも、たとえば1997年に出た『ハリー・ポッターと賢者の石』の初版本は、19,700ポンド(2007年当時のレートで約4,600,000円、現在のレートでは約2,800,000円)の値がついたという。今日の韓国のレートで計算すると、約35,700,000원だ。90年代に発行された本だから、『ハリー・ポッターと賢者の石』は、「고서」よりは「헌책」に入るはずだ。しかし、このような貴重な本を「헌책」というのも、違和感があるのではないだろうか。 『모든 책은 헌책이다』というタイトルの本を書いた최종규氏ですら、「헌책」と「고서」とを使い分けている。言葉がどれだけ私たちの思考を規定してしまうかを物語る現象だ。『모든 책은 헌책이다』というタイトルを生み出したなら、「고서」と言われている本も「헌책」と呼ぶべきだったと思うのだけれど、それは私の個人的な考えに過ぎないようだ。だから、최종규氏に限らず、古本を愛好する人たちは、헌책である“にもかかわらず”価値がある、というようなニュアンスで語ることが多い。はじめは何とも思わずに聞き過ごしていたけれど、徐々に違和感を感じるようになって来た。この違和感は、古本屋と新刊書店との区別すら希薄な日本の読書人(知識人ではない)の傾向と、本を物よりも知識の媒体として見ようとする私の性向との複合作用かもしれない。 韓国では、1960年代よりも以前の本を「고서」と規定しているそうだ。日本でも「古本」と「古書」を分けるのだろうか。調べてみると、分ける業者もいるという言い方をしている。日本著者販促センターのサイトでは、紀田順一郎の『情報読書術』(実業之日本社、1982年7月初版)から次の一節が引用されている。 古本と古書という分け方をする業者もいるので注意されたい。「古本」というのは、比較的新しい本、どちらかといえば、出版社にまだ在庫があるか、品切れになって間もない本である。日本では、学術書などは絶版になったことが知られたら、すぐに値段が跳ね上がるので、「古本」が安い本という印象は、私にはあまりない。古本が安いのは、その本がまだ新刊書店でも売られているか、絶版になった本でも求める人の少ない場合だ。出版された時点から貴重な本は、絶版になったら決して安くならない。それでも、それは「古本」と呼ばれる。「헌책」が古くなって値打ちの下がった本ならば、「古本」と「헌책」の意味には多少差があることになる。たしかに、「古本」よりも「古書」の方が一般に値が張るけれど、かといって「古本」が必ずしも安い本というわけではない。 いずれにしても、韓国では一般の古本を売る店を「헌책방」、値の張る古書を売る店を「고서점」と呼び分けている人が多い。そういう点では、호산방や통문관のような古本屋は「헌책방」でなく「고서점」ということになる。しかし、호산방のことはよく知らないけれど、통문관のように有名な店も、最近は古本の調達に苦心しているという点では、一般の古本屋と同じだ。それに、一般の古本屋だって、정은서점や책방진호のように、古書を見る目のある古本屋もある。だから、一般の読書人は、통문관にも行くし、책방진호にも行くし、はたまた장승배기の문화서점にも足を伸ばすのだ。 ここで一つ、簡単な調査をしてみよう。「古本」と「古書」のコロケーションと頻度を、グーグルで検索してみるのだ。 貴重な古本:約 70,300 件たしかに一定の傾向が見られる。では、今度は韓国語語の「헌책」と「고서」でも頻度を調べてみよう。 귀중한 헌책:0 件画然とした違いが表れた。この結果を見ると、たしかに傾向としては似ているけれど、「古本」と「古書」にくらべ、「헌책」と「고서」では徹底した使い分けが行われていることが分かる。特に、「貴重な / 귀중한」を冠したときの頻度の差には、驚きを禁じえない。「古本」と「헌책」が同じ意味だと言うことに、ためらいを感じてしまうほどだ。そのためだろうか、韓国では古本を驚くほど軽く見る傾向がある。최종규氏は次のように述べている。 굳이 나라밖 이야기를 들지 않더라도, 학문을 깊고 넓게 헤아리는 대학교 둘레에는 어디에나 헌책방이 있습니다. 미국이나 일본이나 유럽은 모두 매한가지입니다. 한국이라는 나라만 남달리 ‘책 안 읽’ 고 ‘헌책 얕보는’ 버릇이 깊게 배어 있습니다.これは、韓国が豊かになったためばかりではないだろう。私は、「헌책」という単語のために、その本の価値を低く見てしまうのだろうと睨んでいる。その名称にもかかわらず、古本の価値に目覚めた人たちは“헌책”のマニアになるけれど、「헌책」という名前だけを知っている、きれいな部屋に住む現在の韓国人は、そのみすぼらしい名前を忌避するのではないだろうか。 このように、日本語の「古本」と「古書」との区別と、韓国の「헌책」と「고서」の区別は、似ているといえば似ているけれど、その意味あいはとても違う。「헌」は“古くなった”という点では中立的なはずだけれど、どうも「헐다」(壊す、けなす)という動詞を連想するらしい。そのために、ただ古くなったという意味に留まらない、価値の低下を強く意識させるわけだ。この「헌」という連体詞を用いているために、韓国の古本屋が被っている損失は、計り知れないものがある。 ちなみに、新しい本しか扱わないブックオフは“古書”でなく“古本”を扱うと言うんだろうと思って調べたら、「新古書」を扱うのだそうだ。新古書だなんて、意味は通じるけれど、少し安易な名付け方のような気がする。
by ijustat
| 2010-02-13 01:30
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