夕べ、インターネットで신촌以外にある古本屋を探していたとき見つけた。その独特な佇まいに心惹かれ、ぜひ行ってみようと思った。そして今日(2009年12月2日)、授業が終わったあと、さっそく探しに出た。
グーグルで住所を調べると、どのサイトも종로구 누하동とまでは紹介しているけれど、番地まで載せているページはない。ソウル市の地図で見ると、누하동は경복궁と사직공원の中間あたりにある地域だ。ただ、面積がとても小さいので、すぐに見つかるだろうと高を括った。 ところが、実際に行ってみると、地図で当たりをつけていた裏通りは見当違いだということが分かった。누상동の方まで行ってみたけれど、人に聞いても대오서점なんて知らないという。 それで、また方向を変えて、今度は누하동の中央でなく、통인동との境界にある細道を探してみることにした。すると、あった! 想像していたよりも、ずっと小さい。家の玄関を古本屋にしているという感じだ。車を止めて、店の中に入ってみると、驚いたことに、そこに主人の居場所はなく、すぐに家屋の中庭となる。中庭にも本棚が見える。 入り口付近の本を物色してみたけれど、目を引く本はなかった。何だか、売れ残りばかりといった感じだ。それに、新しく入ってきた本も見当たらない。そこで、中庭に出てみた。中庭には3つの書架があるけれど、もっと驚いたことに、そこにある本は、どれも日焼けしてすっかり色あせていた。長年の風雪にさらされて、形も微妙にゆがんでいる。それも、学校の教科書や参考書ばかりだ。 それに、主人の気配がない。これは、どう見ても古本屋で生活しているという感じではない。明らかに、まったく放置されたまま数年経っている。 このままでは、この古本屋の外見だけ見て引き下がることになる。もちろん、上っ面だけ見た印象をブログにしたり顔で、たとえば「廃業同然で放置された古本屋である」などと書くことはできるけれど、それでは本当の姿は見えてこない。それに、表面だけ見て分かったように書く文章は、私は嫌いだ。 そこで、入り口のところで見つけた三中堂文庫の小説を1冊手に取って、中庭に戻り、「여보세요!」と叫んでみた。すると、中から「예에!」という威勢のいい返事があって、奥の部屋の扉が開き、80歳ぐらいの白髪のおばあさんが出てきて마루のガラス戸を開けた。年は取っているけれど、その表情を見ると、明るく、しゃきっとしていて目つきがしっかりしている。頭のよさそうなおばあさんだ。 インターネットでこの店を見つけ、訪問したということを話した。この店のどこに関心を持ったのかいと聞くので、店の한옥(韓国家屋)のたたずまいに惹かれたと答えた。おばあさんは、そういう人がやって来るのがうれしいらしい。明るい表情で私を見つめた。 インターネットでは、この店の記事はここ10年近くにわたって間歇的に書かれていて、古いものには90歳のおばあさんが店を守っていると書いてあり、最近のものには70歳のおばあさんが店を守っていると書いてあるけれど、おばあさんは娘さんですかと尋ねると、私は嫁ですよと答えた。昔は旦那さんがこの店をやっていたけれど、旦那さんが世を去ったあとは、姑と一緒に店を守り、姑が100歳を目前にして世を去ったあとは、自分がこうやって死ぬまで一人で店を守っているのだと言っていた。子供たちは、古い家に住むのが嫌で、出て行ってしまったという。子供たちとはいうけれど、たぶん私よりずっと年上に違いない。 おばあさんは、自分が死ぬまで店を守るとは言ったけれど、それは店を管理することではなく、そのまま放置しておくということだ。放置したままでもやっていけるのは、この店が自分の持ち家だからで、たいていの借家住まいでやっている古本屋だと、こんなのんびりしたことは言えない。 店の左隣には、小さな部屋がある。そこで、話ついでに言ってみた。ブログなどの写真を見ると、以前は修繕屋で、その後飲み屋が入り、それからきれいに飾った空間になっているようですね、と。すると、あの飲み屋には騙されたのよという。どういう理由でかは知らないけれど、その飲み屋はおばあさんの名義で、その以前からあった空間を、新たに改築したことにしてしまい、そのために、その後ずっと毎年財産税を15万ウォンも余計に取られるようになったとのことだった。税務署の人は理解してくれないんですかと聞くと、名義が私になってるからねえ……私が悪かったのよ(내가 잘못한 거지요)と言う。胸の痛くなる話だ。 この店は、その独特なたたずまいに関心を寄せて訪れる人が多いらしく、新聞記者も来たし、中学生が見学に来たこともあったという。中学生は、柱の寸法まで測って行ったという。柱の寸法を測って何になるんだろう。私が笑うと、おばあさんも笑った。 実際、韓国家屋の美しい構造を古本屋に利用するというのは、奇抜な発想で、それは絵になる。ただ、残念なことに、本がいかにも古い。いや、古本屋なのだから古くてけっこうなのだけれど、そうでなくて、本が風化しかけている。特に中庭にある本はそうだ。これでは、お客さんはなかなか買おうとするまい。 軒下にも棚があり、本が置いてある。手前にある本が目を引いたので、あれを見てもいいですかと聞くと、あれは日本の本だという。私は日本から来たので日本語は大丈夫と答え、見てみた。残念ながら、面白そうな本はなかったけれど、文庫本の「吾輩は猫である」があった。いちばん上の本は、埃がたっぷり積もっていた。 日本にしばらく住んで帰ってきたのかいと言うので、いいえ、日本で生まれたんです。私は日本人なんですよと答えると、ほう、ずいぶん韓国語が達者じゃないのと言って驚いていた。それで私は、韓国に住んでいる間に何か面白いものを見て回りたいと思い、自分は本が好きだから、ソウルの古本屋を見て回っているんですと答えた。 入り口に近い方の棚には、英語の文法教材があった。他の古本屋では見かけない本だ。おばあさんの話では、それは以前よく売れていたという。棚から手に取ると、本の上に載っていた埃や砂利がバラバラと落ちて、軒下の台を汚してしまった。本は湿気を含んで柔らかくなっていて、少し反っていた。開いて見ると、中はそれでもきれいで、文型の説明などの合間に、筆記体を練習するページがある。こういう教材は、最近は出て来ないし、出たとしても、時代遅れだから売れないだろう。 それにしても、この本の古さ! この回転のなさ! おばあさんの話では、おじいさんがいた頃は本の仕入れもしていたんだけれどね(할아버지가 있을 적에는 책을 사들이기도 했는데)という。自分一人になってからは、仕入れはぜんぜんやっていないのだそうだ。その上、何年か前に何某かが、대전だったか대구の方だったかで図書館を始めるとか言って、トラックにごっそり本を積んで持って行ったという。しかしその後音沙汰なく、電話をしても出ないのだそうだ。それで、こんな売れ残りのような本ばかりになってしまったのか。それでもたまに、主婦などが昔の参考書を見つけ、懐かしさに買っていくこともあるという。 それを聞いて、車のトランクに古本屋で売った本の残りがあるのを思い出した。파지상(古紙回収業者)に持っていくのがもったいなくて、そのままにしておいたものだ。そんなものでも引き取ってもらえますかと聞くと、そりゃもちろん構わないわよと言ってくれた。それで、段ボール箱を車から持って来て縁台に置き、一冊一冊取り出しながら、なぜ古本屋で売れなかったかを説明した。これは欠巻で(짝이 안 맞아서)売れないもの、これはベストセラーで古本屋にあふれかえっているので売れないもの、これは大学の案内書で、まあ買う人はいないでしょうね、などと説明しながらおばさんにそれらの本を差し上げた。そして、これらはどうにもならない本だけれど、この本棚にあるのもどうにもならないものが多いから、風化した本を処分して、代りに新しいものを置いたらいいと思いますと付け加えた。私もずいぶん余計なおせっかいをするものだ。 中庭の書棚にある本がどれだけ古いものかということは、2005年7月21日に書かれた한겨레신문の記事を読むと分かる。 책들은 대부분 철 지난 교과서와 참고서 또는 바랜 만화책. 비닐로 비가림 한 책더미에 낡은 사다리 두 개가 기대어 있다. 부엌 조리대 맞은 편, 기름이 튈까 비닐로 덮은 책더미 역시 찾지 않을 참고서다.そのときの本が、そのままの状態で、ずっとそこにある。買い手が絶えて久しい参考書類が、徐々に風化しながら、この静かな中庭に無言で佇んでいる。 私がこの店で買うことにした本は、次の2冊だ。 『巫女圖』(金東里著、三中堂文庫、1975年。1982年重版) 『영어기초확립』(안현필著、大英堂、1981年。初版本) いくらですかと尋ねると、いいわよ、この本と交換ということにしましょうと言う。でも悪いからと言ったけれど、私の持ってきた本を指しながら、この本でも書棚の飾りになるのだから、それだけでもありがたいわよという。それで、ありがたくこの2冊をいただくことにした。 また残った本を持ってきてもいいですかと聞くと、ええどうぞという。ただし、普段は午後、運動しに出ていて店を空けているのだそうだ。今は白内障の手術を受けたあとで、こうやって家で休んでいるけれど、またしばらくしたら、午後はいないと言っていた。しかし、店は開けっ放しにしているから、縁台に置いてメモを残しておいてちょうだい。そうすれば、誰が置いて行ったのか分かるからという。じゃあ、そうしますと答えた。 おばあさんは、店の前まで出て来て見送ってくれた。挨拶をしようと思って車の窓ガラスを降ろすと、発音が上手で日本人だなんて分からないわよ(발음이 서투르지 않아서 모르겠어요)と言った。うれしいことを言ってくださる。 この古本屋については、インターネットでけっこうたくさん読むことができる。50年代から同じ場所でやっているそうだ。けれども、記事は新しくなればなるほど、この古本屋の衰退が読み取れるし、今日会ったおばあさんの静かな老後の生活とは裏腹に、古本屋という観点で見たときに感じる寂寞は、そこにいたときよりも、帰宅後にひしひしと迫ってきて悩まされた。一時は繁盛したこともある店の静かな終焉を見るようだった。 皆さんも、要らなくなった本があったら、この店に持ってきて、引き取ってもらおう。もちろん、無料でさしあげるのだ。ただし、値打ちのある本はおばあさんにストレスを与えるだろうから、普通の古本屋で引き取ってもらえそうもない本がいいだろう。そうすれば、この古本屋の見栄えをもう少しよくするだろうし、新聞記者やカメラマンが来て撮って行った写真に、自分のものだった本の背表紙が写るかもしれない。それから、おばあさんがかなり高齢なので、大量に持ってくるのもよくない。本棚の整理には体力が要るのだ。 대오서점の正確な住所をおばあさんに聞いた。서울시 종로구 누하동 33번지だ。グーグルの地図では、斜めになった通りから少し奥まったところに表示されるけれど、店は当然のことながら、道沿いにある。電話番号は、看板によると02-735-1349。 ------------------------ 대오서점について、インターネットの書き込みなどに載っているものや、おばあさんから聞いた話を継ぎ合わせ、年代記的にまとめてみた。 1930年に、경기도 원당で、おばあさんが生まれた。名前は권오남。 1953年に、軍隊から除隊したばかりの조대식さんのもとに嫁いだ。そして、古本屋を開業。조대식さんと권오남さんの名前の最初の字を取って、대오서점と命名した。なんと睦まじい名前だろう! その後、6人(임종업記者の記事)または4人(NEUTRINO氏のブログ)の子供を産み、育てた。当時は店も繁盛していたそうだ。최종규記者の聞き書きによれば、「그때는 그곳 둘레에도 헌책방이 예닐곱 군데 있었다고 하며 좋은 책들이 많이 팔리고 나갔다」ということである。NEUTRINO氏も、「할아버지 살아 계셨을 때에는 꽤나 잘 나가던 서점이었단다」と書いている。 1998年に、ご主人の조대식さんが他界した。その後店舗を縮小し、賃貸に出した。それについて、임종업記者が「할아버지가 돌아가시면서 전문서적쪽은 뚝 떼어 팔고 문간방의 것만 남겨……」と書いている。それから姑と2人の暮らしが始まった。 2003年1月20日に、최종규記者が대오서점を取材した記事をのブログに載せている。これが、現在インターネットで読める대오서점関連記事の中で、いちばん古いものだ。 そのブログ記事の内容によると、店には「책 삽니다」と書かれた貼り紙があった。たしかに、そのとき撮られた写真を見ると、それらしき貼り紙がある。その貼り紙は、その後撮られた写真には見られない。 店頭の本棚は、そのときもすでに日焼けして色あせていた。최종규記者は「유리 진열장 안에 있는 책은 빛이 바래 허옇게 떴습니다」と証言している。しかし、記者・報道カメラマン・作家などが訪れる、有名な古本屋だった。「기자들이 퍽 자주 찾아온다고 합니다」、「다른 사진기자와 작가들이 자주 많이 찾아온다」という文面からそれが分かる。 中庭を利用した店の中の独特な雰囲気も、최종규記者は「안으로 들어서니 오래된 기와집 안쪽에 책꽂이를 촘촘히 놓고 책을 가지런히 꽂아놓고 있는 모습 또한 남다르며 예스럽습니다」と指摘している。しかし、おばあさんの説明では「지금은 '아주 조그맣게 줄어들었다는 책꽂이' 」だったと記しているように、当時の店の規模は、往時に比べればだいぶ縮小していた。それでも、soccerballl氏がこの年に撮ったという写真を見ると、正面玄関から中庭に入って右側にも本棚があり、本もけっこうたくさんある。私が訪れた2009年12月には、そこに本棚も本もなく、縁台になっていた。 おばあさんの姑さんについては、「나이 97세인 할머니」と紹介し、そのときのすでに体が不自由だった様子を「움직임이 수월치 못해 무슾걸음으로 마루에서 바으로 다니시는 듯합니다」と描写している。 このとき최종규記者が撮った写真では、店の左側の小さな部屋に、옷수선집が入っている。 2004年2月に、姑さんが100歳を目前に他界した。そして、一人暮らしが始まった。この年おばあさんは、「막내아들」の取り計らいで、初めて店を離れ、설악산と제주도へ旅行に行った。 2005年7月21日に한겨레신문の「헌책방 순례」に発表された임종업記者の記事によると、この頃はすでに本の回転がほとんどなく、「이웃에서 책을 가져오거나, 참고서를 찾는 학생들이 차츰 잦아들어 이제는 거의 없다」という状況だった。おばあさんは記者に本について、「버리지 않고 그냥 장식품으로 두는 거야. 책이 들지도 않고 나지도 않아」と述べている。このとき記者が撮った写真を見ると、中庭に入って右側にあった本棚が無くなっている。 おばあさんの収入については、「이제는 가겟방에 이어 시어머니가 쓰던 방도 세를 주어 그 세로써 생활한다」というから、古本業は、このときほぼ廃業に近い状態となっていわけだ。おばあさんは店を開けたまましばしば外出するが、それについて、임종업記者に「가져갈 것도 없고 잃어버릴 것도 없어」と語っている。 2007年2月8日に書かれたsoccerballl氏のブログでは、その建物の情景について「참 정겹고 친근하게 다가오는 한옥집」と評し、대오서점については、「문화재급 헌책방」と言っている。この言葉は、すでに商業活動が停止しているのが外見から読み取れることを、ほのめかしている。 その年の11月11日に書き込まれた、あるブログの写真を見ると、店の左側の狭い部屋にはまだ옷수선집が入っている。2003年の写真にあるものよりきれいになっているけれど、電話番号を見ると、同じ店のようだ。 2008年5月16日に書かれた최종규記者の文章では、その頃のおばあさんの暮らしについて、「할머니는 헌책방 책살림을 돌보기는 힘들고, 당신 한삶을 돌보고 계신데……」と証言している。これは、私が訪問したときの状況と同じだ。 同じ年の10月9日に書かれたimookin氏のブログによると、店の中に残っている本は、「갱신되지 않은 헌책들」であり、「헌책도 주인장의 손을 타지 않으면 방치된 느낌이 드는구나」という感想を漏らしている。この店に漂う寂寥を吐露した最初の書き込みだ。 たしかこの年だったと思う。おばあさんは友達と一緒に日本へ旅行に行っている。 2009年4月11日に撮ったというブログの写真を見ると、店の左側の狭い部屋は「클레오」という飲み屋になっている。この飲み屋のために、おばあさんは大変な迷惑をこうむることになる。 その年の5月中旬に、店の左側の狭い部屋に、新しく「자신들이 디자인한 제품을 파는 젊은 디자이너들의 가게 '풀'(pool)」が入った。2009年5月中旬というのは、2009年6月11日に書かれた색연필(kwakmh1004)氏のブログによる。店名については、2009年10月5日に한겨레신문사で発表された현시원記者の記事による。poolは昼はやっていないのだろうか。私が行った午後2時ごろには閉まっていた。 そして、同年の7月月21日に書かれたPeace & Pride氏のブログによると、대오서점は「거의 폐업 상태」であり、「이제는 거의 책의 드나듦이 없고 정리나 관리가 거의 되어 있지 않아 '책방'이라고 하기에는 많이 아쉬웠다」という感想を漏らしている。それから8月2日に書かれたNEUTRINO氏のブログでは、「요즘은 들고 나는 책이 없어 사람의 발길이 뜸하지만……」と証言している。そして、12月2日に、初めて私もこの店を訪れた。
by ijustat
| 2009-12-02 21:18
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