動詞だけの復習(現代ギリシア語)

昨日、また애오개にある韓国正教会へ行って来た。장로교신학대학교(長老教神学大学校)の学生たちが성찬예배(聖体礼儀)に招かれ、そのついでに私も一緒に呼ばれたのだ。

c0019613_3155228.jpg韓国正教会の大主教を勤めておられる Αριστοτέλης(アリストテリス)神父さんは、エキュメニカル運動のメンバーで、おそらくその一環としてだと思うけれど、プロテスタント教会の神学者や神学生を招いて、正教会の礼拝を見学させたり、正教会の教理について講義をしたりしている。だから、正教会の人たちも、私のようなプロテスタント教会の信徒に対しても、屈託なく接してくれる。

前回の土曜日に神父さんに会ったときは、ギリシア語が口から出てこなくて大いに当惑した。まあ、ずっと怠けていたから悪いのだけれど。

そこで一念発起して、『現代ギリシア語の入門』(荒木英世著、白水社、1990)から動詞だけを抜き出し、そこからさらに、エッセンシャルだと思われる動詞88語を選んで、現在形と接続法とアオリストの過去形を覚えた。

日本語を見てギリシア語で言ってみたり、現在形を見て他の変化形を言ってみたり、手を動かして書いてみたり、その動詞で自分の知っている名詞と一緒に文を作ってみたりした。もたもたしているけれども、何とか言える。1週間で、ゼロから「初級の中」まで一気に上がった感じだ。

c0019613_3162841.jpgそして、いよいよ今日、正教会へ行った。午前9時から11時まで、2時間の礼拝が終わったあと、선교관(宣教館)地下のセミナー室で、正教会の礼拝についての講義を Αριστοτέλης 神父さんがされた。さすがにほとんど聞き取れないのは先週と同じだけれど、覚えた基本動詞は耳に入った。韓国語の通訳を聞いてメモを取った。

この教会には、神父さんと同じくギリシアから来た Αθανασία(アサナシア)さんというおばあさんがいる。英語が堪能で、とても優しくて親切な人だ。早速、“Το ευδομάδα, έμαθα ελληνικά ρήματα.(今週、ギリシア語の動詞を覚えました)”と言ってみた。すると、驚いて“Γιατί έμαθες ρήματα;(なんで動詞を覚えたの?)”と――たぶん、そう言ったのではないかと思う――聞くので、“Για να μιλήσω τα ελληνικά.(ギリシア語で話そうと思って)”と答えた。もちろん、すごくたどたどしいギリシア語でだ。

これは、実は5年以上前まで神父さんからギリシア語を習っていたときに比べると、大きな進歩だったのだ。当時は動詞の変化形をこんな風にして覚えてしまうような勉強方法は考えてもいなかったし、今よりずっと記憶力が悪かった。そのために、口頭では自力で文章を組み立てることがなかなかできなかったのだ。今回は、いわば自転車の補助輪をはずして乗るのに成功したようなものだ。

장로교신학대학교の学生たちが帰って行ったあと、神父さんに挨拶をして帰ろうとすると、一緒に食事をしていきなさいと言われた。それで、教会の聖歌隊の人たちと一緒に食事をご馳走になった。焼き鯖の定食で、韓国の庶民料理だけれど、日本風な感じがしてとても美味しかった。Αθανασία さんが“Μου αρέσει κορεάτικο φαγητό.(韓国の料理が好き)”と言った。私も、英語交じりではあったけれど、ギリシア語で簡単な話をした。

ところで、神父さんは2年ぐらい前から、教会の人たちにギリシア語のレッスンをしているそうだ。金曜日の夕方やっているということなので、私も加わりたいと言ったら、今学期はアメリカに行ったりして休んでいるけれど、また始める予定だから、そうしたら呼んであげると言われた。

神父さんのギリシア語のクラスに出ているという聖歌隊員に、どの辺まで進んでいるんですかと尋ねると、会話教材で勉強しているのだけれど、2年間やって5課まで進んだとのことだった。もしかして、以前いただいたテサロニケの大学で出したギリシア語教材のコピー版だとしたら、5課まで進んだというのは結構な分量だ。あの本は研究室にあるから、持って帰ってきて読んでおかなければ。

1週間の動詞集中学習は、何とか功を奏したようだ。動詞が時制ごとに人称変化できると、一応何とか話ができることを確認した。もちろん、初めて学ぶ外国語ではこういうことは無理だけれど、中途半端に習得したまま錆び付いてしまった外国語は、このようにすれば息を吹き返すし、やめた時点よりも幾分前に進める。

勉強は、ほんのちょっとしたコツが結果の違いとなって表れるということを、身をもって感じた。
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by ijustat | 2009-11-22 02:56 | Greek


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