人気ブログランキング | 話題のタグを見る

アラビア語講座6

今日は、アラビア語講座の6週目だ。不思議なことに、復習もろくにしていないのに、文字がだいぶ読めるようになって来た。もっとも、関心はずっとあるので、時々『CDエクスプレス アラビア語』を眺めては、文字を読んでいた。それがよかったのかもしれない。

先生が先週くださったプリントは、残念ながらあまり役に立たなかった。内容が悪いというのではなく、読みにくいのだ。母音記号が落ちていたり、アラビア文字を使わずハングルだけで発音を記録したりしていた。私の考えでは、母音記号は実際の文書では使われないのだから、省略してしまい、代りにハングルで読みを併記したらいいと思う。そうすれば、ハングルを見てどの母音を用いるのかが分かるし、正確な子音の発音は、アラビア文字を見たらいい。まあ、それは私の考えだけれど、私がアラビア語の教師だったらそうやるだろう。

今週は、名詞のプリントを配られた。だけど、前半は前回のプリントを読んだ。手順としては、あまりよくなかった。そうすると、前回のプリントを忘れてきた人がいるだろうし、その人にまたプリントをあげるのは、資源の無駄だ。実際、私はプリントを忘れてきて、先生から1部もらった。これで、先週のプリントを2部所有することになった。

今週の授業も、前半は韓国人の先生が授業をし、後半は母語話者の先生が授業をする。後半の授業は、人称代名詞だった。アラビア語には、人称代名詞の他に、名詞に接尾型の人称語尾が付きうる。たとえば、「本」“キターブン”を「私の本」にするときは、“キタービー”にする。「私たちの本」は“キターブナー”だ。

アラビア語講座6_c0019613_23244359.jpgだけど、先生の板書はものすごく早く、あれよあれよという間にホワイトボードを埋め尽くし、何がなんだか分からないうちに、説明から練習まで始めてしまった。その間に私はやっと2人称まで書き写したけれど、複数女性形までは書き取れなかった。私のノートは3人称が空白のままだ。

そのようになった理由は、まず体系を枠組みとして提示してくれなかったため、どのように板書をノートに書いたらいいか分からなかったのと、意味もよく分からない段階で板書をものすごいスピードでするため、付いていくことすら難しかったのとによる。それでも予習さえできれば何とかなりそうなのだけれど、プリントは当日配られるため、次の週に何を勉強するのか、それを始める瞬間まで分からないのだ。もらったプリントを見ても、それを今日やるかどうかも分からない。実際、今日もらったプリントに数詞があったけれど、今日は数詞の勉強をしなかった。先週だったか先々週だったか、何も分からない段階でいきなり雪崩のように数詞を板書したのが数詞の勉強だったらしい。数詞はもうやったというわけだ。私はコンピュータでもOCRでもないので、目に焼きついた画像がそのまま意味を持ったテキストとして脳裏に貯蔵されるなんて芸当はできない。

それでも、他の受講生たちは、不自由していないようだった。4期生もいるらしく、ある受講生は、授業の前に母語話者の先生とアラビア語で話していた。たどたどしく話していたけれど、私から見たら、ものすごい実力だ。そういう受講生に合わせたら、私なんかはまともについていけるわけがない。

それでも、授業に出ることは、一人で勉強するよりもはるかに役に立つ。教室で先生が口にし板書するアラビア語は、MP3でも動画でもない生きた姿の言語だ。それに触れ、その一部でも理解することで、記憶の中に徐々にアラビア語の語彙や表現の記憶が蓄積されていくのだ。できの悪い学生でも、絶対に休んだり遅刻したりしてはいけない理由がここにある。決して、絶対に、時間の無駄にはならない。

で、今日渡されたプリントを帰ってから見ると、母音記号が付いていたり付いていなかったりしていた。母音記号が付いていない語は、もちろん読めない。つまり、発音すらできない。“キターブ”だって、母音記号が付いていなかったら、とりあえずカターブとか読むしかない。カターブなんて言ったら、アラブ語話者の人たちは聞き取ってくれるだろうか。

それで、家で勉強するのはもっぱら『CDエクスプレス アラビア語』または『알기쉬운 아랍어 입문』ということになる。
by ijustat | 2009-09-13 22:35 | Language Learning


<< 딘타이펑(鼎泰豊) 読みさした…… >>